A cat or an owner ?
「火村先生」
「何だ」
小次郎を胸に抱きながら、向かいに座って本を読むこの部屋の主へと声を掛ける。
返ってきたのは予想通りの素っ気ないもの。
別に、これ以上文法的に複雑な返事など期待していなかったからいいのだけど。
「先生は私のこと好きですか?」
「……何だと?」
呼びかけた男の、本から持ち上げた視線は心持ち不機嫌な、心なしかキツイものだった。
「だから、私のこと好きかって聞いてるんです」
「突発的過ぎるぞ」
「そうですね」
「おい」
胸に抱いていた小次郎を軽く持ち上げて頬を擦り寄せる。
柔らかなその身体と、自分よりほんのりと高い体温が酷く心地良くて目を閉じた。
「」
「何ですか」
桃じゃこう大人しくはいかない。
ウリはこうしてもあまり喜ばない。
ああ、やっぱり小次郎とが一番相性が良いんだろう。
そんな事を考えながらゆったりと頬を離すと間近で合った小次郎のくりくりとした瞳。
思わず自分でも判るくらい自然に口元が緩む。
小次郎はじゃれつくように私の方へと前脚を伸ばすと、にゃあと鳴いた。
「『何ですか』じゃねぇだろ。自分から聞いておいて」
ふと、目の前の男の片眉がぴくりと跳ね上がる。
「別に…。それが答えだ、とそう言われたのなら私はそれで満足ですから」
「アリスに負けず劣らずの屁理屈主義だな」
一体何だってんだってんだ、と。
若白髪の混じったその髪をまるで猫が毛繕いでもするように掻き回す先生。
それとは対象的に小次郎はどこか嬉し気に、すすんで頬を擦り寄せてきた。
そんな愛らしい仕草の一つ一つに、額に優しく唇を落とすことで応えてやる。
「いいか、俺はまだ何も解答しちゃいない」
「そうですか」
「自己完結は止めろ」
「にゃー」
「………小次郎、お前は少し黙っとけ」
目を据わらせてそう言うや否や、先生に片手で小次郎を取り上げられた。
不満を露に鳴き声を上げる小次郎。
勿論、私も努めて非難めいた表情を作る。
「明からさまに嫌がってますよね、小次郎」
「さあな」
うららかな午後の昼下がり。
穏やかな日向での、それでいてどうしてか悪寒を感じずにはいられない無言の睨み合い。
「フー!!」
「………」
「おいで、小次郎」
じたばたと先生の腕から抜け出そうと試みるその姿もそれはそれで可愛い、なんて。
そんな不謹慎な事を考えながらも小次郎のもとへと腕を伸ばす。
すると、あと10cmで可愛らしい鼻先、という所でその距離はふいに広がった。
原因は明らかに目の前の人物。
「………火村先生」
火村英生、私に最も近い男。
「何だ」
「『何だ』じゃないでしょう。いい加減小次郎を返し…」
ねぇ、先生。
気付いてます?
「黙れ」
今の先生の顔、思いっきり肉食獣のそれで。
近付いてくるそのしなやかな動きだってネコ科のそれで。
「───ん…っ」
もの凄く猫じみてますよ?
「…私は先生じゃなくて小次郎が欲しかったんですが」
「まだ言うか」
噛み付くような、喰らい付くようなキスの後。
交換した言葉といえば、そんなものだった。
「おいで小次郎」
再度名を呼び腕を伸ばすと小次郎は、
飼い主にはにても似つかない素直さで私の胸元へと飛び込んできた。
更に待ってましたとでも言うように柔らかいその小さな身体ごと擦り寄せてくる。
そんな微笑ましいだろう光景に、にこりともしない相手は更に目を据わり具合を深めて。
一方、小次郎も先生の視線もしっかりと受け止めた私はと言えば。
「………お前な」
してやったり、と。
言わんばかりに勝ち誇って、意識して艶っぽい微笑を敷いてみせていた。
この笑みの意味するところを相手がどこまで理解してるかまでは判らない。
けれど、彼の表情から読み取れるのは滅多にお目にかかれないような嫉妬という類いの気配。
猫を愛するが故か、はたまた私への執着心か。
その判断を下すに講じる手段はただ一つ。
「ねぇ、先生。私のこと好きですか?」
「言って欲しいのならねだってぐらいみせたらどうだ?」
「───……」
珍しいこともあるらしい。
敬愛する助教授は、どうやら私が微笑ってみせた"本当の意味"を理解していないようだった。
「…何だ?」
「私が現実に入手可能な範囲内にある欲しいものは、
全て手に入れようとする主義なのは御存じですよね?」
「あ? まぁな」
「なら、もう私が"ねだる"必要はないと思いますが?」
「───…」
可愛げの無い猫を手懐けるには、それなりに"コツ"がある。
「故人は諺という素晴らしい格言を残しましたね」
必要なのは相当に捻くれた脳細胞と少しばかりの演技力。
「『海老で鯛を釣る』」
「……魚介類と一緒にするな」
「それは失礼。この場合は『愛らしい猫で可愛げの無い飼い主を釣る』ですか。
ああ、でもそうすると海老で鯛を釣ったことになりませんね。
むしろ鯛で海老を釣ったといったところですか」
あとは気まぐれな相手の気分次第。
「…っち、上手く乗せられたって訳かよ」
だって、こうでもしないとあんな風に求めてなんてくれないでしょう?
「まったく、欲深い上に頭も舌も回る……タチの悪い猫を飼っちまったもんだぜ」
互いに自分は棚の上、なネコ科の二人でした。
そして小次郎とラブラブ!(そこなのか)(そこなのです)
もとい、火村先生との小次郎争奪戦をお送りしましたー。