Bloom in the air.


「あ…」
「ん?」


晴れやかな日曜休日の午後。
家族連れやカップルでそれなりに賑わう梅田の街中に、
買い物へと繰り出した今日の自分には珍しく火村以外の連れがいる。
自分とは真逆の性別で、自分よりもずっと年下で、自分とは不釣り合いに見目の整った彼女。
更に自分と同じくして火村のフィールドワーク助手であり、
また英都大学在籍の現役女子大生である


「どうしたん?」


別段、特別な関係があるわけじゃない。
ましてや恋人なんて親密な間柄にあるわけでもない。
火村の教え子と火村の友人が、日々の雑貨を一緒に買い歩いているだけだ。

少なくとも彼女にしてみればそうだろう。


「いえ…この時期に珍しいと思って」
「ええと、そこの花屋の花んこと?」
「はい」
「どの花?」
「あの赤い鶏頭です」


細い人さし指が色とりどりの花々の一点を指し示す。
赤いという、ケイトウなる花を。


「あー…、どれがそのケイトウなん?」
「黄色のミモザの上辺りに置いてある花ですよ」
「…すまん、ミモザが判らへん」
「なら青いラークスパーの左下の…」
「ああ、アレか」


ラークスパーが如何なる花かはやはり知らなかったが、
青い色の花といえば彼女視線の先一帯には一種しかなかったので何とか判別がついた。


「はあー、おもろい形してるんやなぁ、ケイトウって」


面白いというか、初めて見た人間なんかは花とは認識できないような形をしているというか。
何と表現すればいいのだろう。
おそらく花弁なのであろう花穂は帯化していて、とても肉厚な印象を受ける。
イメージ的には鶏のとさかにもっさりと毛が生えた感じ…そうか、
だからケイトウ、鶏頭なのか。
人知れず納得する。
その独特の花弁がうねうねとギャザーを寄せるが如き要領でヒダを作り、
球形の花部を形成している。


「なんや脳みそみたいな花やな」


正直にそう感想を零せば、彼女は非常に控えめながらも一瞬きょとんした表情を見せて、
少し間を置いてからゆったりと「確かに…」と、半ば関心したかのよう呟いた。


「こんなけったいな外見しとったら別名もさぞや多いんやろな、このケイトウって花は」
「そうですね…鶏頭は和名ですけど、別名には韓藍、鶏冠花、セロシア、
 学名は確かケロシア・クリスタタだったと思いますよ」
「いつものことながら、君は今すぐにでも植物学者になれそうやね…」
「大学卒業後の進路の一つとして考えておきます」


彼女のその人外な博覧強記ぶりにも大分慣れたもので、
思わず言葉を失ってしまうような狼狽ぶりはなくなった。
…毎度、内心でこっそりと大きく目を見開くぐらいのことはしているのだが。


「鶏頭の右隣に同じ色の、花穂の穂状花序が紐状に長く伸びた花があるでしょう」
「ああ、アレやな。ひょろりとふさが垂れ下がったみたいな」
「ええ。あの花は鶏頭の仲間で見た目の通り紐鶏頭と言うんですけど…、
 英名と花言葉が面白いんですよ」
「へぇ、君がそうも勿体振って言うんやったら、そらさぞや面白いもんなんやろうな」
「さぁ…それはどうでしょう」
「何やそれ」


休日であるせいもあってか、自分達以外には着物の御夫人に今をときめくセレブな女性、
そして2組の家族連れと、花屋の前は気付けばちょっとした人だかりができていた。
好奇心の発達する年頃なのだろう。
子供達はしきりに花を指差しては親にその名前をせがんで、
兄弟姉妹で互いに「あの花が好き」だの「この花の方が綺麗」だの、
自らの趣向を主張していた。


「で、英名は何て言うん?」
「『Love-lies-bleeding』」
「……それってフェラーズの『猿来たりなば』で…」
「ええ。紐鶏頭の日本語ルビですよ。
 これはクリスピンの『愛は血を流して横たわる』の原題ですね」
「はぁ、そう言われれば思い出したわ。
 何や随分と小洒落た遊び心の持ち主やったらしいな、その翻訳者は」


こんな些細な事柄にもミステリ談義を見い出し開花させる彼女のその機智を、
少しでも分けて貰えれば、自分ももっと艶めいた文章が書けるようになるのではないか。
考えてやめた。
そんな事を考えるだけ、火村に鼻で笑われるのがオチだ。


「花言葉の方は?」


一旦あのニヒルな笑みを思い浮かべてしまえば、
つらつらと芋づる式に思い出す火村のからかい・ひやかし混じりの言葉達。
どうにか振払おうと言葉を紡いで現実に目を向ければ、
そこにあったのは予想以上に近い距離にある彼女の顔。

火村のそれとはまた一味違う、シニカルな口元。


「花言葉は『色褪せる恋』。
 血溜まりに横たわった愛の末路なんでしょうね」


そんな皮肉たっぷりな笑みさえ綺麗だと思ってしまうのは、
決して惚れた弱みにだけによるものじゃない。
はず。


「だから墓前に捧げる花として良く霊園なんかで見かけるのだと」
「…やっぱちゃんって火村と感性がよう似とるよ…」
「お誉めの言葉として受け取っておきます」


脱力ぎみにそう告げれば、彼女は一片も涼しげな表情を崩さず受け流したが、
その後、ふわりと落とすように柔らかく微笑った。
明らかに自分以外に向けられた、滅多にお目にかかることのできないその笑みに、
何だろうと不思議に思って視線の先を辿ろうとするが、
それよりも早く何かにズボンをぐいぐいと2回引っ張られる。
視線を落とせば、いつの間にやらそこに居たのは小学校に入ったばかりぐらいだろうか、
小さな女の子だった。


「ねぇ、オジサン」
「ん?」
「そう、オジサンだよ」
「お、おじ…」


そんなもの自然の摂理と社会通念からすれば当然のことであるのに、
小さなその女の子に『オジサン』と分類されたことに少なからずショックを受ける。
反射的に隣を見やれば、彼女は利き手を口元にあてて、
俯きぎみに小さくその肩を振るわせていた。


「ねぇねぇ、あのぐにゃぐにゃーってしたお花、ケイトウって言うの?」
「あ、ああ…そうみたいやね」
「だったらね、となりのひょろっとしたお花よりもぐにゃぐにゃっとしたお花の方がいいよ」
「はぁ…」


子供独特の見事に無邪気で自己完結であるが故に難解なその言葉の羅列に少々面食らって、
隣の彼女に視線で助けを求めるが、
彼女は彼女で酷く興味深げに子供の言動を観察していたらしく、
まぁ聞いてみましょう、と同じく無言に視線で返された。

そういえば以前、『あいつは意外と子供と人間以外の動物は好きらしい』と。
火村が言っていたような気がする。


「あのね、さっきママが言ってたの。
 あっちのぐにゃぐにゃのお花にはねとっておきのいみがあるんだって」
「とっておきの意味…ああ、花言葉やね」
「うん、それ! でね、ひょろっとした方のお花はあんまり良くないんだけど、
 ぐにゃってした方のお花はね、
 お花をあげた人をとってもうれしくさせるいみがあるんだって!」
「へえ、そうなんだ。
 じゃあ、あの花にどんな意味があるのかお兄さ…おじさんに教えてくれるかな?」
「うん!」


今し方、増やしたばかりの知識なのだろう。
小さな胸を張って拙いながらも楽しそうに言葉にする子供に、
視線を合わせるようしゃがみ込んでから、続きを促す。
…自分で言っておきながら微妙に笑顔が引きつったのはこの子と自分だけの秘密だ。


「えっとね、いろあ…うんと、そう、『イロアセヌアイ』だって!」
「いろあせぬ…『色褪せぬ愛』?」
「うん! それって『ずっと大好き』って意味で、
 ママもパパからもらってうれしかったって言ってたよ!」
「そっかぁ。君のパパはママのことが大好きなんやな」
「うん!」


何とも微笑ましい。
と、ほのぼのと嬉しそうな子供の笑顔に浸っていれば、
どうやらこの子の母親らしい若い女性が慌てて小走りに寄って来た。
子供の口を抑えて「すみませんっ」と口早に頭を下げるのその両頬は僅かに染まっている。
その背後では、同じく父親だろう、後ろ手に頭を掻いて苦笑する若い男性に頭を下げられた。
夫婦の初々しさというか瑞々しさに何やらこそばゆくなって、
どうしてかこちらまで照れてしまう。
照れ隠しに子供の頭を撫でてやった。


「えへへ…だからね、オジサンもぐにゃってしたお花の方がいいよ」
「え?」
「だーかーらー、オジサンもそこのお姉さんにあげるならそっちのひょろひょろじゃなくて、
 ぐにゃぐにゃのお花の方がいいよって言ったの!」
「!」


こら、余計な事は言わないの!と。
お邪魔してしまってすみません、と謝ると母親は一つ深くおじぎをして去って行った。
子供がじゃあねと小さな手を振っている。
残されたのは自分と彼女。
真っ赤になって硬直している自分と、にこやかに子供へと手を振り返している彼女。


「有栖川先生」
「は、はい」


不審な挙動に上擦った声と敬語。
無邪気な子供の台詞にもうものの見事に動揺している自分とは対照的に、
彼女は普段と変わらない調子で静かに、けれど可笑しそうに笑った。


「…それで、贈って頂けるんですか?」
「は?」


その表情や仕草は普段のそれとほぼ変わりなく見えるのに。
声色と口調だけが違って聞こえるのは、動揺の余韻なのだろうか。


「あの花のどちらかを」
「え、あ…いや」


どちらかを。
鶏頭か紐鶏頭かのどちらかを。

『色褪せぬ愛』か、はたまた『色褪せる恋』のどちらか一方を。


「───冗談ですよ。無理強いするつもりは…」
「いや…そうやね。買って帰ろうか」
「え…?」


その驚いたように僅かに揺らいだ瞳に。
自分は自惚れてもいいのだろうか。


「すみません、その花を適当に束ねて貰えますか?」


期待しても、いいだろうか。





「───はい、その鶏頭を」








贈れば彼女は。


「鶏頭だけを花束にして贈る人間なんてまずいないですよ」


火村先生だってそれぐらいの気は利きますよ、とは言いながらも。


「…有栖川先生らしくはありますけど」





受け取って、その花にやんわりと口付けた。



投票型アンケートのコメントで予想以上に需要があってびっくりなアリスSSを。
いや、ヘタレ属性愛な私としてはかーなーり嬉しかったのですが。(笑)
やはり数では火村に及びませんでしたが、私がアリス(作家編)大好きなんで、
これからは遠慮なしにバシバシupしていこうと思いますー。

ってか、フェラーズやらクリスピンやら…、
判った人はひっそりとほくそ笑んでやって下されば此れ幸い。(笑)