「アリス。
 文字通り『夢中で船を漕ぐ』のもいいけれど、たまにはノートも取ってみたら?」


うとうと、というよりはもう既にうつらうつら、と。
いや、もはやかっくんかっくんと、夢と現の間を行き来する友人有栖川有栖。


「……悪い…今、ええとこ、なんや…」
「………何が。」


浅く、深く沈んではふわりと浮上する感覚に相当弄ばれているらしい。
意味不明ながらも非常に気になる言葉を零す彼。


「後で、写させ…て、くれ…」


どうやらまだ辛うじて現側に在るらしい、その意識は。


「───アリスにとって、私ってただの都合のイイ女?」


耳元で囁かれた、甘く吐息に掠れた言葉にがっちりと引き戻された。


Sign of tender feeling.


「───っな!!」


───ガッシャーン…


「…くっ」


そう噴き出し、俯いて口元を押さえたのは隣の


「目、醒めた?」
っ」


一瞬にして教室中の視線を一心に集めてしまった僕は、
顔を赤らめ、小さな声に出来る限りの勢いを乗せて精一杯の非難を込めつつ彼女の名を呼ぶ。
が、しかし。
いまだ顔を挙げず無音で肩を震わせている彼女の様子に、結局は潔く溜め息を吐き、
落としてしまったアルミのペンケースとぶちまけてしまった中身を急いで拾い集める。

栄誉ある撤退というヤツだ。


「冗談に決まってるじゃない。あんまりにも暇だったものだから」
「あのなぁ…」
「まぁ、アリスにそんな器用な真似ができるとも思わないし」
「ほっとけ」


やっと笑いにも一段落ついたらしい。
けれども間髪入れずに再度からかわれてしまった自分は、
情けなくも年不相応に拗ねた表情でもって机付けの椅子に座り直した。

と。


「へぇ、放っておいていいの?」
「?」


今度は明らかにタチの悪い、にやりという擬態語がしっくりとくる表情を見せる
と、背中のその背筋を下から生ぬるく舐め上げられるような、
ひやりとした言い様の無い悪寒が吹き上げてきた。
そして、その示すところいえば。


─── これは…アリ…いや、ユウセイガワ…? とにかくいないのか? ───


「! は、はいっ」
「く…っ」


自分は教授に御丁寧にも名指しで御指名を受けていたらしい。


「は、早く言えよ! バカ!」
「だって…っ」


─── おいッ、ユウセイガワとやら、早くレポートを取りに来い! ───


「は、はいッ」
「駄目…も、限界…っ」
「笑うな!!」










山有り谷有り、オチ有りで講義終了。

午前の講義はこれで終わりだ。
講義開始前に今日は学食で昼をとと決めてあったため、
どちらがとちらとは言わないが、一方はきちんと広げていた、
また一方は単に広げていただけのテキストやら筆記具やらを手早く片付ける。

すると、後ろから近付いて来たのは見知った声と気配。
何やら笑っているらしい男性二人の声色。


「よっ、夫婦漫才」
「モ、モチさん!? に部長ッ!?」
「見事な寝ぼけっぷりやったな、アリス」
「なっ、何で二人がこんなとこにおるんです…?」


毎度お馴染み、EMCの部長・江神二郎に望月周平。
しかし自分がこうして寝っこけていたこの講義は民法総論。
総論は法学部1年時の必修であって経済部が、ましてや哲学科の二人がいるわけがない。
当然二人とも、民法総論などを趣味で取るような類いの人間ではない、と思う。


「ふふふ、そりゃ可愛い後輩共がしっかりと勉学に励んどるかを、
 先輩としては見とかなあかんと思うてなぁ」
「まぁ偶々この時間、揃って休講だっただけやけどな」
「江神さん〜、折角先輩風吹かしとるんのに」
「はは。で、本題や。昼一緒せえへんか」
「別に構いませんよ。ね、アリス?」
「あ、ああ」


先に言うとくけど奢らんで、と先手を打ったつもりのモチさんを、
最初からそんなもの期待してませんと見事返り討ちにしたを先頭に、
僕、江神さんと続き4人揃って学食へ向かう。
こうして4人揃って昼食なんて初めてのことだ。
何やら変に緊張する。


「アリス」
「は、はい?」
「何や? そんな上擦った声出しよって」
「い、いえ…何でもないです」


やましい事など何にも無いのに、何故か冷や汗だらだらの僕は、
不審なことこの上ない酷く上擦った声を上げてしまった。
そんな自分の様子も、江神さんは特に気に止めた様子もなく、
先行する二人をまるで遥か遠くにでも見つめるかのように目を細めて淡々と言葉を発した。


「楽しいか?」
「へ?」


楽しいか?と、そう言いよこしてきた江神さん。
目的語の無いそれをどう扱って良いものかと一瞬悩み倦ねいていると。


「今の生活、楽しいか?」


視線も絡めずに付け足された目的語。


「え、ええ、まぁ楽しいです、けど?」
「そうか」


江神さんの意図する所ががいまいち明確に掴めない僕は、必要も無いのに語尾を上げる。
そして、それと同時に相手の表情も見上げれば。


「江神さん?」


苦く笑っていた。


「気にするな」
「いや、気にするなと言われましても…」
「何、ただ羨ましいと思っただけや」


羨ましい?
誰が?





僕が?





「部長ー、アリスー?」
「モチ達が呼んどる。行くぞ」
「は、はい」





───江神さん、それって…



何が書きたかったって、そりゃ寝っこけたアリスが…←オイ。
あながち嘘ではない冗談はさておき、そこはかとなく妬いてしまったりな江神さんでした。