蕩尽に関する別考察 1








噴煙と火山弾。
満月とナイフ。
血と灰。

一生消え去ることのないネガを脳裏に焼き付けた夏は幾分過去のものになり、
記憶として再生されるその映像も、幾分鮮明さの角が削り落とされたものとなってきた。

そしてまた新しい春が巡って来たのだ。
巡って来たというよりは駆け抜けていったといった感覚の強いその季節の移り変わりは、
一年間という月日を数カ月という期間へと短縮したような錯覚を覚えて。
けれど、今年もまた一緒に大学の桜を拝んだEMCメンバーの顔触れに、
それが夢や何やらのあやふやなもので無かったことを実感する自分が居た。


「なぁ、
「何」


ふと視界の端に、シャーペンさえ握っていない自分のそれとは違い、
講義の要点のみを的確に書きとっている綺麗な手を捉えて、何となく声を掛けてみる。
すると、視線は黒板で繁殖する白い文字を追いながらの、
実にそっけない短い返事が返ってきた。


「お前何でまた会社法なんてとったんや」
「アリスと似たような理由よ」


ぼんやりと、そんな感傷的な回想に浸っていたのにも訳がある。
いや、訳と称するには相当に気が引けるのだが。


「随分と暇そうね」


そう、要するに会社法の講義があまりに退屈だったのだ。

会社法。
時間割を組み立てる都合上、穴埋め的に登録した科目であったが、
一体これが将来自分にとって何の役に立つというのか。
推理小説家を志望している自分に。
一旦そう考えてしまえばシャーペンを握る指も緩むというもので。


「窓外の新緑を楽しみながら物思いに耽ってるような授業態度に、
 元より会社法を将来の役に立てようという意志自体が全く感じられないけれど?」


…仰る通りだ。
結局それが何であれ、役立てようとする意志がなければ無意味と同じことなのだ。
毎度の事といえば毎度の事なのだが、
どうにも思考を先読みを得意とする彼女にまた手痛い指摘を受けてしまった。

そうこうしているうちに、どうやら会社法の講義は終了したらしく。
周囲ではガタガタと音を立てて席を立つ生徒達。
勿論、白いシャーペンをペンケースへと戻す彼女もそれに倣っている。


「時期外れな五月病?」
「いや…」


特に生徒達からの質問も無かったらしい初老の教授はすっかり教壇から降りきっていた。
ともすれば目の前に広げられた教科書は訳の判らない文字の羅列であり、
ノートは当然に真っ白。
もうどちらも既に各々の役割を果たしていないな、なんて他人事のようにぼんやりと思う。
これなら学生会館で優雅に読書でも嗜んでいた方が大分有意義だったかとも思うが、
そこまですると隣の親友はノートを貸してはくれないだろう。
別段ノートや何やらのためにと親友であったり一緒に講義に出ているわけではないが、
実際問題、ゼミや講義への高い出席率とそれ故に評価された去年の成績は、
彼女に担う部分が大きかったりするのだから、
やはりあやかっている事実は否定できないのかもしれない。


「飯か」


自分の腑甲斐無さを浮き彫りにすることで現実を直視したせいか
幾分ぼんやりとした頭もようやく冴えてきたようだった。


「どうする?」
「? 食堂やろ?」
「新入生歓迎と称した勧誘活動で相当に込み合ってるわよ…暑苦しそうね」
「…確かに」


既に退室仕度も済んでいる彼女を横目に、ようやくいそいそと、
全く未使用と言っても過語ではない教科書とノートをショルダーバッグにしまう。
するとふと、セミロングの艶やかな赤い髪をした女生徒が視界に入った。
語学の講義が同じで、学籍番号が一つ違いであることから席が近く、
それなりに言葉を交わすことの多い有馬麻里亜だ。
彼女は先程までの自分と同じように、頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めている。
否、実際は何も見てなどいないのだろう。
その背中は誰の干渉も望んでいない様に見えた。


「誘うの、彼女?」
「嫌か?」
「別に」


は別段人見知りをするタイプではない。
確かに進んで人と会話しようとする性質ではないし、
どちらかといえば受け身的な会話を好むが、元来器用にできているのだろう。
話し掛けられれば初対面の相手にでも、否初対面だからこそそこそこの愛想をもって、
極普通に、または普通以上に機智に富んだ会話を交わすことができる。
むしろ親しい間柄であればある程その互いの理解度故に、愛想の無さを露呈する人間だ。
ついでにいうと、窓際の彼女も人見知りとは無縁と思える人種の人間である。


「いや、行こう」


けれどほとんどの生徒が廊下へと姿を消したというのに、
一向に動こうとする気配の無い彼女を認めて、と二人で食堂へ向かうことに決めた。



これはもへじ様から御申告して下さった22222hitsキリリクです。
お待たせしまして申し訳ありませんでした。
そして勝手に連載にしてしまって更にすみません。(汗)
リクエスト内容は、『ミステリーズ発売を記念して、お相手は江神さん。
江神さんと一緒に何かの事件に巻き込まれる、といった感じのお話』とのことで、
なら御大に頭を垂れつつ、『蕩尽に関する一考察』に巻き込まれさせて頂こうと。(日本語変)
…管理人の脳みそではまだ推理小説内包夢小説は無理でした…ほ、本当すません…!