蕩尽に関する別考察 10
予約した時間通りに<サライ>へと入り、たっぷりと時間をかけて注文した後、
ビールでの乾杯を交わすと早速、経済学部コンビによる有馬嬢の人定質問が始まった。
次々と無造作に投げ寄越される質問を実に要領良く捌いていく彼女。
ここで初めて耳に入ったのが彼女の家業の話だった。
聞くところによると彼女はかなり名の通った文具メーカーの社長令嬢だという。
二重に驚く。
一つは純粋に彼女がお嬢様であったこと。
もう一つは、この間のの台詞を思い出してのこと。
親友は言った。
『外見ほど"お嬢様"していない…失礼ね、そういう言い方は。
外見以上に逞しくできてるようね、彼女』と。
こうなると『ホームズみたい』という彼女の比喩もあながち的外れではない気がする。
ただし本人が聞いたら見事に顔を顰めそうだが。
「ところで、江神さんが何歳か判る?」
そうこうして、ビールと食事が進んでいくと、
ふとモチさんが江神さんの肩を叩いてそんなことを言った。
勿論、と言っては本人に失礼ではあるが、彼女は3回答えて3回とも見事に外した。
そう言えば、入部当初に僕とも同じ様にモチさんから問題を出されたけっか。
僕はやはり当然のように当てられなかったが、
これに関しては何とも正解をできなかったのを思い出す。
するとまたもやあの時と全く同じく、信長さんが楽しそうに「27だよ」と答えた。
「クイーンが傑作を四連発した齢ですね」
なんとまぁマニアックな感想か。
そんな切り返しをされては、エラリー・フリークが喰い付かないわけがない。
「ええ切り返しやなぁ。惚れ惚れする。──もっと飲もう」
「飲みますっ」
二人とも既にほろ酔い状態だ。
ほんのりと普段よりも幾分陽気めいたその目許を赤く染めていて、にこにことしている。
そうして一時間近く経った頃だろうか。
冷麺を啜っていたモチさんの箸がふと止まる。
訝しんで視線を送れば、箸を置いてこそこそと囁いた。
「……文誠堂の親爺さんが、きた」
入ってきたのは齢相応に頭の薄い、背中の丸まった男性だった。
僕らは一時会話を中断して溝口氏の動向を伺う。
注文したのは生ビールと飲茶。
軽い夕食といったところか。
「そろそろ例の問題について考察しようとしてたのに、やりにくくなったなぁ」
「聞こえませんよ──考察してみますか?」
声のトーンを落とした信長さんにつられて一同もひそひそと小声になる。
しかし店内のテーブルのほとんどが埋まり、BGMも流れているこの状態では、
店の奥の席に座る溝口氏にこちらの会話が届くとは思えない。
よって有馬嬢の提案通り、溝口氏の散財についての考察…もとい推理を開始することにした。
「さっきアリスが何か言うてたっけな。
そうや。親爺さんの気前の良さは、何かに対する贖罪ではないか、という説。
仮にそうやとしたら、誰に詫びているんや?
これまで集まった情報によると不特定多数に奢ってるみたいやけどな」
「不特定多数ということは社会と言い換えることもできる。なぁ、アリス」
単なる思いつきもいいところに言っただけだったのだが。
しかし色々と時間をかけて考え直してみれば、それもいささか不都合だ。
不特定多数、社会に向けて償いをしたいのだったら、
近所に奢り回るよりは慈善団体に寄付するなり何なりする方がよっぽど有意義で有用だろう。
「なるほど」
考えて、そう告げれば信長さんが大きく頷く。
続けて信長さんは、溝口氏は実は致死性の病に冒されており、
絶望と自暴自棄の結果としての散財ではないかという「不治の病」説を提言したが、
それならば尚の事自分の快楽のために散財するはずだ。
その後もモチさんからは「厄払い」説、僕からは「市長選立候補」説と上がったが、
両者共に、各々それなりの方法があるというのにやり方が無秩序過ぎるとのことで却下された。
というか後者は自ら自爆スイッチを押して却下したのだが。
ふと、江神さんの向かいに座る親友に視線を巡らせる。
は相変わらず相槌を打つ以外は一切、自ら口を開くことはなかった。
まぁそれは場の流れを静かに見守っている部長にも言えることなのだが。
「あぁー」
と、隣の令嬢が突然おかしな声をあげる。
「何やねん」
「嫌なことを考えついちゃった」
大分酔いが回ってきているのだろう。
自分の額をぺしりと叩いて落語家のような仕草を披露する彼女に、
「言えよ」と肘でつついて話の先を促した。
「うーん、不埒な仮説だなぁ。恥ずかしいけど、言うね」
新たな仮説はこうだ。
僕の贖罪説から得た発想らしいのだが、
溝口氏はこれから犯す悪事への事前の贖罪として散財しているのではないかというものだった。
「つまり、これから皆さんにご迷惑をお掛けしますから、
あらかじめ来るべき損害の埋め合わせをしておきます……だなんて、変よね」
変にも程がある。
思わず心中でだが突っ込んでしまった。
「却下して。──じゃあ、不特定多数に奢っているように見えて、
実は意外な法則が隠されている、というのは?」
「我々が見逃している失われた環
ミッシング・リンクがある、というわけやな。
盛り上げてくれるやないの、有馬さん。
しかし、そんな法則なんてないやろう」
モチさんは拍手を交えつつも、まったりとそれを否定した。
それから有馬嬢が「天啓もしくは妄言」説も唱えたが、現実味が無さ過ぎる。
「無条件の喜捨ならばやはりそれなりに意味の通る散財方法があるだろう」との、
反論も出されて、彼女もあっさりとひいた。
「判らないな。
さんと江神さんはどうお考えになります?」
拗ねたような口調と上目遣いでもって有馬嬢は言う。
それはまるで「そういえばこの人達、確か名探偵だったはずよねぇ」とでも言う視線だ。
いや、そう穿って見えるのは僕が去年の夏の出来事を彼女に話した張本人だからだろうか。
多少ひやひやしながら二人を見遣る。
すると箸を休めていた部長は不貞腐れる令嬢に向かって小さく苦笑すると、
ふっと吸っていた煙草の煙を吹き上げた。
は特に表情を崩さずに、傾けていた冷酒のグラスを静かに置く。
先に口を開いたのはだった。
「…散財に多少意味を求め過ぎていますね。
あと"散財"よりももっと適切な概念、表現があるかと」
「そうやな」
どうやら二人の間では通じているらしい会話に、残された僕らは揃って首を捻る。
溝口氏の行為を表すのに、散財よりも適切な概念。
金銭を無駄に使うことを散財の他に示す語句があっただろうか。
「真面目な答えは用意してないけれど、何か喋ろうか。
俺が思うに、またの言うように、
溝口氏の行為は散財や椀飯ぶるまいと言うより、"蕩尽"と呼ぶのが適当やないかな。
まるで財産を無意味に使い尽くそうとしてるみたいやろ」
確かに。
言われて納得する。
溝口氏の気前の良さは何につけても無秩序だ。
そしてどの仮説も無秩序という反論の壁にぶち当たって仮説の域を出ない。
ともすれば蕩尽という新たな概念の登場が突破口となるかもしれない。
「無意味であることがポイントかもしれん」
「蕩尽……無意味……」
「そう人間が無意味に金を使うやなんて、珍しいことでもない」
「例えばどんな場合でしょう?」
江神さんが提示した新たな観点に唸るモチさんを横目に、有馬嬢が尋ねる。
尋ねて次の瞬間には「見栄ですか?」と自ら答えを口にしていた。
「適切な例やな」と部長も言う。
「勿論、虚栄のために贈答品を贈るという行為には、
自分の度量の広さを見せることで相手の好感を呼び込んだり、
財力や権力を誇示して心理的優位に立ちたい、名誉や威信を獲得したい、
という立派な目的──すなわち意味──が張り付いてるんやけれどな。
贈与というのは力の誇示であり、人格の拡張であり、つまるところ投資や」
「文化人類学というか…経済人類学っぽい話になってきましたね」
うんうんとしきりに頷くモチさんとは違い、納得はできても口を挟むことはできない自分。
法学部生の出番は無さそうだ。
少なくとも、自分は。
「溝口氏のそれは、言ってみれば贈与の極端な形である蕩尽に分類できるでしょう。
まぁ自滅的であるべき蕩尽とするにはいささか破壊的である感はありますけど」
「ポトラッチやな」
まるで学者か研究者を思わせる口調で淡々とそう言ったに、
モチさんが身を乗り出し、またもや自分には全く馴染みのない単語を口にした。
ポトラッチ。
モチさんの言うところを整理すると、
ポトラッチとは北米インディアンにみられる贈答の儀式であるとのこと。
地位や財力を誇示するために、ある者が気前の良さを最大限に発揮して高価な贈り物をすると、
贈られた者は更にそれを上回る贈り物で返礼し、互いにその応酬を繰り返すというものだった。
そしてその応酬が激しさを増すと、自分の奴隷を殺して見せたり、
果ては自分の家に火を放つにまで至ることもあるらしい。
「相手を圧倒するために、自分の家を灰にしてしまうんですか?」
信じられない愚行ではないかと、自分なんかには思われるのだが。
「それは競合的な相手に向けて行われる蕩尽やろう」
「贈与ではなく、贈与交換の一つですね」
煙草の灰を落としながら、ゆったりとした口調で江神さんは言った。
短くだがも付け加える。
「ポトラッチには色んな形態がある。
圧倒すべき相手もないまま、無私無欲をアピールするための蕩尽をどう解釈するか、
これについては諸説ある。有名なのは『贈与論』を書いたマルセル・モースやな」
「ルース・ベネティクトの『文化の型』における説も有力ですよ」
「せやったな」
何てことはなく口を挟む親友。
が社会学の講義など取っていただろうかと記憶を探るが、やはり覚えは無かった。
ただ思い出したのは、以前外国に住んでいた時期もあったと本人が言っていた事だ。
…今度の学歴をきちんと聞いてみよう。
そう、思った。
「まぁともかく、そうした蕩尽は本質的に神への供犠であると考えるわけや。
破壊された財産はこの世から消えて、誰のものでもなくなるやろ。
それは神の許に送り出されたんや」
「大事なものを破壊することが、どうして神様へのお供えになるんですか?
神様……というか宗教って、えてして実利をとりますよね。
うーん、こんな言い方はバチ当たりかな。
とにかく、そんな無駄遣いをせず、
浄財だのお布施だのの形で寄進した方がお恵みがありそうに思いますけど」
「寺社や教会にとってはその方がありがたいやろうけど。
かけがえのない自分の財産を破壊すれば、
供犠の象徴的な側面にちゃんと応えられるわけや。
──では、そもそも何故、神に供犠という贈与を行うのか?
もちろん、超自然的存在にプレゼントを贈ることで反対給付が得られる、
という期待が根底にあるからや。簡単に言えば、神の庇護やら天の恵み」
「神様はお返しをしてくれる、と人間は考えずにはいられないんですね」と、
少しだけ寂しそうに彼女は言った。
「そう希うことで、神と交流が持てるんやないかな。
──供犠を捧げることは、超自然的存在と交換をしたことになる。
万物の真の所有者は神である、とするならば、
その神と交換を行わないことは非常に危険である、と人間は考えるんや」
無宗教な自分にはいまいちピンとこない内容だったが、
おそらく葬式は仏教の様式をとるのだろうから、実はそうなのかもしれないとは思った。
そうして静かなる熱弁に一旦の区切りをつけた江神さんは、ビールで喉を潤して一言。
「で、何の話やったかな?」
以外の全員が、各々ガクッと思いっきり滑ったのは言うまでもない。
「溝口氏が何故あんなに気前がいいのか、ですよ」
「ああ。そうやったな、アリス」
何とか経済学部コンビよりも早く立ち直って江神さんの穏やかなボケに答える。
わりかしこういう場面では役に立つのだ、僕は。
しかし。
「──要するに、判らん」
そう、そうなのだ。
時にこういう人なのだ、江神さんは。
「神からの見返りを期待してポトラッチに励んでるんやろう」
思わず、隣の令嬢を見やる。
ここまで見事なうんちくを披露しておいてこれだ。
「…いい指針になったんじゃない?」
「そうやな…」
煙に巻かれた彼女は、まるで狐にでもつままれたかのようにぽかんとしていた。
ポール江神なノリが大好きなのです。(笑)
というかもう収拾つかない感じ。
さて、どこまで続くのか、この連載。(他人事か)