蕩尽に関する別考察 13








結局足も根もしっかりと生えたらしい有馬嬢。
その彼女から歓迎コンパの翌々日、思ってもみない情報がもたらされた。
なんと、昨夜文誠堂付近で江神さんを見かけたというのだ。
確かに昨日今日と、江神さんはEMCへと姿を現してない。
首を捻って、モチさんの方へと視線を巡らす。
すると経済学部コンビは顔を見合わせ、呆れぎみに肩を竦めていた。
次いで視線を引き戻し、隣のを見る。

そこには、どこか遠くを見つめるような温度の低い瞳があった。


「江神さんは何をしてるんですか?」


彼女の話によると、江神さんには距離的に遠かったため声は掛けなかったのだそうだが、
翌朝モーニングを食べに行きつけの店へと赴くと、
そこのマスターが江神さんらしき人物に文誠堂について色々と訊かれたらしい。
『髪の長い学生風の男』というとかなり限られてくる。
おそらく江神さんで間違いないだろう。


「おいおい、どういうことや。
 あの人、暇を持て余してるんやな」
「あの謎に、そこまで夢中になれるとはな。好奇心が強過ぎへんか?
 俺なんか、ぼちぼち頭から追い払いかけてたわ」


まったくだ。
所詮、男が一人、自分の金を好き勝手浪費しているだけの話なのだ。
それで誰かが迷惑をこうむっているわけでもない。
この僕ですらもう既に飽きて、頭を悩ますことなど昨日の内にやめてしまっていたのだ。
だから信じ難かった。
江神さんがそんなにも真剣にこの謎に挑戦しているとは。

そうしてふとラウンジの入り口に見知った人影を発見してはっとする。
片手に重そうな紙袋を下げた提げた江神さんだ。


「ああ、皆集まってるな」


そう言うなりどさりとテーブルの上に乗せられた重量級のそれ。
中腰になって中を覗き込めば、中には予想通り古書、しかも箱入りの本で一杯だった。
押し付けられたのだと、江神さんは肩をほぐしながらぼやく。


「有馬さんに見られてますよ、部長。
 昨日からあの界隈で聞き込み調査をしていたそうですけれど」
「気になったんで、ちょっと単独調査をな」


単独調査。
あの江神さんがここまでこだわる理由が判らない。
もしかしたら、と隣の親友へと視線を巡らせるが寸前で上手くかわされた。
ような気がした。


「ついさっき店に行って、本人に疑問をぶつけてみた。返事は同じや。
 『ギャンブルのツキを落とさないための縁起担ぎですよ』の一点張りで、
 とても納得がいかん。
 ノラリクラリとはぐらかされて、しまいにこんな手土産を持たされてしもうた。
 正面突破は無理やな」
「そこまで言うんやったら、ほんまに縁起担ぎやないですか?」
「土地を叩き売ったのが縁起担ぎのはずないやろう。──奇行はまだ続いてるぞ」


今日のつい先程、江神さんが文誠堂へと赴いたところ、
溝口氏は店の売り物である本をせっせと段ボールに詰めていたという。
それも店の奥の、最も良質な蔵書を全て。
聞くと図書館に寄贈するのだそうだ。
どういうことだろう。
商売気の無い店主だとは思っていたが、ここまでとは。
これではまるで店を畳む準備ではないか。


「うーん。やっぱり閉店するんですよ。
 『いいえ』と答えたのは、まだそれを公にしたくない事情があるんやないですか?」
「そうかな。俺には別の筋書きが想像できる。もしそれが的中してたら、やばいぞ」
「やばいようなことが……これから起きるんですか?」


有馬嬢の問いを目で受け止めるだけにとどめて、
一瞬、ほんの一瞬だけ、江神さんはちらりとの方を見た。

は何の反応も示さなかった。


「俺の妄想やったらそれでええんやけれど、最悪の事態に備えておくべきやろうな。
 まだ間に合う。
 それが起きるとしたら、明日の土曜日やろう。
 店のめぼしい本は処分が済んだようやし、天気予報では晴れるそうやから」


土曜日?
処分が済んだ?
晴れ?

───最悪の事態?


「何のために人は蕩尽するのか、について学者は色々な説を唱えるけれど、
 こんな金の使い方があるとは思わんかった。
 最初に金を発明した人間も想定してなかったやろう」


経済学じみた語り口に反応して、モチさんがマルクスやら何やらと講義を始めそうになったが、
江神さんが大きくかぶりを振って片手で制する。
そのいつにない乾いた表情にモチさんも思わず言葉を飲み込んで黙った。
自然と他メンバーの背筋も伸びる。


「難しい議論は必要無い。
 俺の頭の中にあるのは奇妙な理論やけれど、それは小学生にも理解できる性質のものや」


両手が、僅かに汗ばんでいるのに気付いた。


「ではその奇妙な理論というのを教えて下さい」


待ちきれなくなってせがむ。
すると江神さんは真顔で条件をつけた。


「もしそれを聞いて納得がいかんかった時も、俺を手伝ってくれるか?」





全員の答えは『イエス』。



本当はヒロインもコンパの前日に周辺聞き込みに行ってます。
ただ、彼女はきちんと仕事としての情報収集の技術をもっているので、
周囲に顔を覚えられることが無い(アシがつかない)という。
だからマリアの話にも出てこないんです。
そんなこんなでほとんど話に絡ませられなかったワケです。(汗)