蕩尽に関する別考察 14








かくして土曜日の夜。
天候は朝から夜まで予報通りの晴れだった。
『真っ昼間からはないだろう』という江神さんの言に従い、
EMCメンバー5人揃って夕飯を取ってから、文誠堂の見張りにつくことになった。
幽霊部員はアルバイトが終わり次第、合流する手筈になっている。

見張りに際して、しっかりと下見を済ませていたらしい江神さんから、
文誠堂とその周囲の地理に関して丁寧で判り易い説明があった。


「左隣の駐車場はL字形になっていて、溝口さん宅を北側と東側から包んでる。
 南側は印旛さんの家で、西側は道路やな。
 更に印旛家の右隣は取り壊しを待っているかのような四階建ての空きビル」


本当、寄り添うようにぽつんと建っているのだな、いがみ合う両家は。
そんな感想を抱いて何とはなく隣のを見る。
すると自分の視線に気付いた親友は突拍子も無く、
「明後日発表のゼミのレポート終わらせて来た?」などと聞き寄越してきた。
…すっかり忘れいてた。
思わず「げっ」と蛙のような苦い音で喉が鳴る。
あれはどうあったって一日やそこらで終わるようなレポートじゃない。
に、それこそ縋るような視線を向けると、
「私、最近アリスの事を甘やかし過ぎてるわよね…」と控えめな溜め息を吐かれた。
そんな経済学部コンビ曰くの『夫婦漫才』を見て、江神さんが穏やかに笑う。
けれどさっと緩んだ口元を引き締めると、また堅い口調で言葉を続けた。


「──この立地が俺は曲者やと俺は思う」
「せやけど、監視するにしてもどこから眺めるんです?
 まさか何時間も電柱の影に身を隠すってわけにはいかんでしょうし…」


問えば、江神さんは無言で空きビルを指さした。


「ここに無断で入って見張るんですか? それはちょっと…」


というか普通にまずいんじゃ。
思いっきり建造物侵入だ。
見つかって通報などされもしたら…。


「3年以下の懲役または十万円以下の罰金ね」
「他人事のように言うなよ…」


涼しい顔でそう言い捨てた親友に思わず脱力する。
しかし、畳み掛けるようにしれっと開き直った部長の台詞に、
この肩は再びガクッと落ちるハメになった。


「下見は済ませてる。ここは絶好のポジションやぞ。
 四階の一番東側の部屋からは、溝口さん宅の裏口が丸見えやから、
 交替で窓の向こうに注目したらええ。
 それにトイレが使える」
「でもこれじゃあ文句無しの模範的建造物侵入ですよ」
「そこは学生のすることなんやから目を瞑れよ」
「そんな無茶苦茶な…」


本当にこの人は常識人なのか非常識人なのか判らない。
いや、常識人が非常識人のフリはできてもその逆はよほど難しいと、
どこぞの作家兼ジャーナリストも言うのだからやはり常識人なのか。
そんなとりとめもないこと思考を巡らせていると、とんっと江神さんに背中を押される。
遠慮せずに入れ。
つまりはそういうことらしい。
このEMCの良心最後の砦たる善良な法学部生を不法行為着手の一番手にするというのか。
殺生な。
思っても口にできず、されるがまま。
一同の代表まがいにも、敷地内への不法な一歩をやるせなくも踏んだ。


「鍵か…」


正面玄関の扉にはやはり鍵が掛かっていた。
「外しますか?」という何とも不穏当なの発言に冷えた汗をかきつつ、
辺りを見回せば、その傍の外階段がノーガードであることに気付く。
が階段に気付いていなかったとは思えない。
おそらく周囲の目を避けるに慮っての発言だろう。
しかし江神さんは階段を使う方を選んだ。


「ええんかなぁ、こんなんで」
「…意外と真実真面目なのね。
 戸締まりを怠った管理人にも責任がある。
 いちいち面倒だからその程度に開き直っておきなさいよ」


そうだ。
戸締まりを怠ったオーナーにも責任があるのだ。
親友の言った言葉を復唱して開き直ることにした。

四階分の階段を、呼吸を乱しつつ登りきり、ビル内部への穏便な侵入に成功。
江神さんの言う通りそこは張り込みには最適な場所だった。
かって事務所に使われていたのだろう部屋が三つ。
溝口宅の玄関、裏口の両方を同時に監視できるよう、
手前の部屋にモチさんと信長さん、
一番奥の部屋に自分と、そして江神と二手に別れて事に当たった。


「長丁場になるな」
「そうね。なんならレポートの話でもする?」
「ああ、そうやった」
「もう忘れてたのね…この際だからテーマは建造物侵入にしたら?」
「お前な…」
「いいじゃない。事実に即した内容になるわよ」
「評価がつかんかもしれんけどな」


部屋の片隅に残されていた、なかなかいい高さの、
スプリングの飛び出したソファを窓際まで運びつつとそんな軽口を叩く。
浅く腰掛けてみると、やはり丁度良い高さに視界が固定された。
溝口宅の裏口も丸見え状態。
何とも楽な張り込みだ。
と本当にレポートの話をしつつ、
時折間の手を入れてくれる江神さんと雑談をかわし、何事も無く過ぎた45分。
本当に何事も無かった。
無さ過ぎた。
江神さんの仮説に微かな疑問が湧く程度に。


「そろそろ有馬さんが来る頃やろう。角の辺りで待っててやれ」
「了解」





江神さんの指示通り、有馬嬢を迎えに行くべく北大路通に向かった。



夢なんだから、少しは江神さんとの絡みを書こうということでここらでちょんぱ。
本当は15で終わらせる予定だったのに、またもやダラダラと続いてます。(汗)