蕩尽に関する別考察 3








「居た」


"いつもの場所"から、信長さんが僕らを見つけて手を振っている。
大きなテーブルが二列、どんと構えるラウンジの左の列、奥から二番目だ。
隣のに「行こう」と小さく声を掛ける。
するとは「モチさんがお待ちかね、ね」と意味有り気な一言を呟いた。
何のことだか判らず、ぐっと眉根を寄せて見せると、
「じきに判るわよ」とさっさと歩き出してしまう。
慌てて足早に追う。

江神さんが背中越しに、指先で煙草を挟んだ右手をひらひらと振って寄越した。


「階下で食べてきました」


挨拶も無しに開口一番、自分達の昼飯事情を告げる。
しかし、誰一人として気にとめた様子の無い先輩陣には、
俺らもついさっき下で昼食を済ませたところだと、そう返された。
後輩も後輩なら、先輩も先輩なのである。
僕は信長さんの隣に、は江神さんの隣の椅子へと腰掛ける。
不遜な自分と経済学部コンビとは違って、と江神さんは軽い挨拶を交わしていた。
江神さんが微笑った。

───ん?


「これってもしかして、『誰が駒鳥を殺したか?』が掲載されている号ですか?」
 マザー・グース殺人ものの古典」
「もしかせんでもそうや」


自分の視線を卓上に釘付けにしたのは明らかに中古の様相を呈する絶版本。
その持ち主である銀縁眼鏡のエラリー・クイーン・フリーク、
もとい望月周平ことモチさんの話によると、わざわざ彼自身が大阪まで出張し、
梅田の古書店で入手したものらしい。

ああ、さっきのの意味深な台詞の真相はコレかと一人納得する。

そうしてモチさんの入手経路解説を聞きながらもじっと本を見つめていると、
探していた獲物を地元でかっ攫われてさぞや残念だろう、と、
どうしてか信長さんの方がしてやったりといった表情を寄越してきた。
勿論「いいえ」と答え、きっちり否定する。
はっきり言って自分は読めればそれ良い人間なのだ。
読み終えたら貸して下さいとモチさんに頼んでみた。


「貸すけど、お前もたまには何か見つけてこいよ。
 親切な先輩に貴重な絶版本を借りてばっかりでは、義理が立たんやろ」
「いえ別に」
「お前なぁ…。おい、人事みたいに傍観しとるけどお前もやぞ」
「…その台詞、親切な後輩に貴重な絶版本を借りてばかりいる、
 しかも自分はお高い棚の上らしい、どこぞの先輩達にも是非聞かせてやりたいものですね」
「「う…!」」


9割方自らの手で蒐集した物に加えて、本人の言曰く、
"この世で最も敬愛してやまない哲学者"と"犬嫌いな推理小説ファン"から贈られたという、
貴重な蔵書・絶版本を、しかも大部分は初版本という一財産を大量に所持しているに、
先輩陣が頼み込んで本を借りることも少なくはなかった。
EMCきっての漫才コンビの二人が揃って呻く。
コンビ片割れのモチさんが「江神さん、叱ってやって下さいよ」と嘆いた。


「ええやないか。ケチ臭いこと言うてたら、ツキが落ちるぞ」


名指しで嘆かれた長老は苦く笑った。
二浪した上に、四回留年している江神さんは今年で27歳になる。
この事が、2年の先輩達曰くの『長老』というあだ名の由来だったりするのだが、
こうしてこの場で苦笑していることからも判る通り、
後輩的にはめでたく、今年も長老の留年は決まったのだった。


「そうですよモチさん。ケチ臭い男はモテませんよ?」
「放っとけ。というかお前には言われたないわ、アリス」
「ケチなモチか…随分とええゴロやなぁ」
「…お前も黙れ、信長」
「何や、ケチ臭いだけやなしに器量の狭い男やなぁ。ケチで狭地なモチ」
「〜〜〜…ッ!!」


なんて不毛な漫才だろう。
いや、元より漫才に不毛も有毛も無いのだろうが。
相変わらずは涼やかな表情で傍観に徹しているし、
江神さんも煙草をくわえたまま静かに笑っている。


「ほら、その辺にしとけ」


江神さんという人は本当に深い人だと、そう思う。
"不思議"とはまた違う、"深い"という表現が一番しっくりくる人だ。

その江神さんがこうして英都大学文学部哲学科に、
我らがEMCへと留まり続けるその理由とは何なのか。
当人の人間性やその博識加減から鑑みても、
単に単位不足やら学力不足といった類いの理由ではないことは明確だ。
では何故?
は何とはなく感じとっているらしいが、僕には皆目見当も付かない。
以前、江神さん本人の口から『畢生の超大作ミステリを執筆中で、
それが完成するまで卒業しない』のだという事を聞いたが、おそらく眉唾物だろう。
あまりに冗談っぽくて信憑性に乏しい。


も呆れとる」
「…もう慣れましたよ。いえ、"慣れ"といよりはむしろ"麻痺"とでも言うべきですね」
「おい、お前先輩を先輩とも思うてへんな? 敬意が感じられん」
「敬意を払うべき先輩には、心身をもって払っていますが」
「嫌味か!」
「はは、容赦ないな」


だから一年の後期試験を終え、春休みに入った頃は気が気でなかった。
そんな様子の江神さんだからこそ、もしかしたら新学期が始まって突然ひょいと姿を現すと、
「俺卒業したから」と言って、あっさりと去って行ってしまうのではないかと。
心配で堪らなかった。
その事をに相談すると、「あの人はまた来年もこの大学に居るわよ」と、
彼女にしては珍しく随分と柔らかい表情で、
まるで僕を安心させるかのように断言したのだった。

そして実際、その言葉通り江神さんは今年もこの大学に居る。


も、もうその辺で勘弁してやれ」


この人はとてもじゃないが、一年かそこらの付き合いで計りきれる人間じゃない。
勿論、自分ごときに計りきれる人間だとも思っていないが。
変な意味でなしに、純粋に江神さんについてもって知りたいと思っていることを、
言えばは、自分と考えを同じくしていたらしく。
『これじゃ私達"江神二郎中毒"ね』と、小さく笑った。
僕もつられて笑ったのを覚えてる。


「不憫な先輩をあまり苛めてくれるな」
「何ですか、それ!」


回想ともタイミング良く重なって、江神さんも笑った。



ある日のEMC風景。
またもや短く…───全然進みませんね、ハイ。(汗)
ミステリーズ!を読んでない方にも楽しんで頂けるように、
内容を押し込んで盛り込んでいきたいので、次からはドバーっと長文が続くかと。