蕩尽に関する別考察 4








「そやけどモチさん、このところツイてますね。
 春休みに中にも、探求本を立て続けに見つけたでしょ」


そう、この男は何故かここ最近富みにツイてるのだ。
鷲尾三郎の『酒蔵に棲む狐』、フリーマンの『オシリスの眼』など、
状態こそ良くないとはいえどれも100円やそこらの破格の安値で入手している。
自分の台詞を聞いて、ツイてる男はにんまりと笑った。


「古本ハンティングの醍醐味やな。
 それ以外にも、ただでもろうた本もあるし。
 古本屋回りをしてると色んなことがあるわ」
「ただ?」


無料。
それはあまりにもツキ過ぎではないかとモチさんにではなく、
天に向かって突っ込もうとしたところで、先に江神さんが反応した。
見ればも手にしていた先程の絶版本から視線を上げ、
二人の様子を静かに見守っている。


「なんぼ気前のええ古本屋でも、ただで本をくれたりはせんのやろう」


ご尤も。
それでは商売として破綻している。


「それがいてるんですよ、気前のええ親爺さんが。
 高野にある文誠堂っていう店なんですけど」


そこなら知っていると、全員が口を揃えて言った。
一度行ったきりの自分が覚えている限りでは、とても小さな店だったように思う。
大通りから少し入った所に構えられた、広さにして五坪ほどの店なので、
やはり蔵書量は大した量ではなく、五十を過ぎたぐらいの店主が背を丸めて店番をしている。
取り扱っている本の種類は歴史、宗教、思想関係等が主に目に付き、
その中でも昭和四十年代のミステリが比較的多く取り揃えてあるのが特徴的だった。


「在庫が入れ替わるテンポも遅いから、足繁く通うほどの店やないんですけどね」


それでも時折何か期待を誘うものを感じて、しばしば足を運んでいたらしい。
話を聞く限りでは、常連客と呼べるかどうか何とも微妙な頻度だ。
けれどモチさんの話によると、三日程前に文誠堂を訪れたところ、
『ようきてくれるね、学生さん。今日は奢りや。好きな本を持っていってよろしいで』と、
親爺さんから言われたらしく、四冊"だけ"頂いて来たそうだ。


「四冊ももろうて厚かましい、と言いたそうやな、お前ら」


思った。
も軽く肩を竦めている。


「誤解するな。
 俺は『それでは』と百円均一のワゴンにあった、
 岩波文庫の『棠陰比事』をもらおうとしたんや」
「百円均一、な…」
「何や信長。その目は」
「いいや?」


言いたいことは判る。
ええから話し進めえと、信長さんはしっしと追い払う仕草で話の先を急かした。
モチさんは信長さんのそれに憮然とした表情をみせたが、
またすぐに気を取り直して口を開く。
本当にいちいち漫才をせずには気が済まないのか、この二人は。
それとも元より漫才をしているという意識が自体が無いのか。


「そしたら『もっと持っていき。ワゴンやのうて棚から取ったらええんや。
 遠慮したら損やで』と強く勧められて……」


そんなこんなで三千円分もプレゼントして貰ったとのこと。
結局貰ろうたんかい、と声に出して突っ込んだのは言うまでもなく信長さんだ。
他のメンバーも心中同じ台詞を思ったことだろう。
ともあれ何とも羨ましい話だ。
「どう思う?」と先程から急に黙り込んでいたに話を振れば、
「羨ましい限りね」と全くもって興味の無さそうな返事が返ってきた。

先程の江神さんの台詞と同時に一時だけ見せた冴えた雰囲気。
まるで何処か遠くを見つめたかのように一瞬、色を失った瞳。
けれど今はもう既に普段と変わらない表情へと戻っている。

そんなの数瞬の内の変化に、何かしらの振り切れない感覚を覚えた。


「その親爺さんは、よっぽど機嫌が良かったんやろうか…」
「とりたてて上機嫌というふうでもなかったな」


一方信長さんの尤もな問い掛けに、「まぁただの気まぐれやないかな」とモチさんは言う。
本を頂いた後に何度も礼を言い重ねたらしいモチさんに親爺さんは、
まるで『いいってことよ』とでもいった感じの笑顔でにっこりと笑ったそうだ。
趣味として古本屋を営んでいるような種類の人間なのかもしれない。
ともすれば、不思議なことなど何もなくそれはもう至極簡単に、
『単に親爺さんが良い人だったから』という理由で全てに片が付く。


「今日、行ってみようかな」


文誠堂を本日の帰宅コースに組み入れようかと、本気で考える。
ここしばらくはどうにも財政難で、欲しい文庫本の自費購入も控え、
目の前の親友に借りることも多かったりするのだ。
というか実際に今も2冊程借りているのだが。


「アリスそれは───」


今の今まで傍観を決め込んでいたが初めて何かを言おうとして口を開いた。


「あかんで元々と思うて行ってみろ。さすがに俺は遠慮しとくけど。
 ──とにかく古本に関してはツキがきてるんや。ひと財産築きかけてる」
「お前のあの部屋にひと財産あるとは、誰も思わんやろうなぁ」


が、しかし、自らのツキに天狗なモチさんと信長さんの太い声に重なって、
程なく口を噤まざるを得なくなってしまう。
しかも噤ませたその二人と言えばの様子には気付いた様子もなく、
気前の良い古本屋から最近の盗難事件へと話題を移していった。

ちらりとの表情を窺う。
今は普段と何ら変わりのない涼し気なそれだが、
一瞬前に口を開き掛けたの表情は、些細なものとはいえ、
彼女にしては珍しく何処か迷っているような、
はたまた躊躇っているかのような気配を漂わせた代物で。


、今何て言…」
「せやけど、戸締まりには注意せえよ」
「なんや、急に真顔になったな」


気になってもう一度聞き返そうとして、またもや二人の先輩に阻まれる。
やはりモチさんと信長さんは気付かなくとも、には何とか届いたようだ。
はふっと両瞼を臥せると、
小さく首を振りながら「大した事じゃないの…気にしないで」と唇だけで伝えてきた。

何だというのだろう。
帰り際にでも二人の先輩がいない所でもう一度聞いてみようと、そう思った。


「このところ空き巣がはやってるやないか」


京都の治安は急速に悪化していると嘆く信長さん。
そんな大袈裟な…とは思うが、確かに近頃この近辺では空き巣が頻発しているのだと、
他でもない江神さんまでもがそれについて言及を加えた。
しかもそうした空き巣は容赦無く、貧乏学生の借家まで荒らしてくれるらしく、
信長さん、モチさんと同じ講義を取っているという共通の友人は、
その家で唯一の財産であったテレビを盗まれてしまい、相当に落ち込んでいるそうだ。


「ただ一つの財産やったテレビを盗まれて、がっくりきてました」
「がっくりきてたか?
 あいつ、気持ち良さそうに笑うてたぞ。
 『よぉし。これでもう何も盗られるものはなくなった』と」


それはヤケになっているだけだろうに。


「アリス」


突然脈絡も無く、親友が低く抑えた声で自分の名を呼んだ。


「何や?」
「ラウンジの入り口」
「ラウンジの入り口…?」


鸚鵡返しに答えてそちらへと視線を巡らせると、そこにあったのは艶やかな赤い髪。
きょろきょろと辺りを見回しながら歩く彼女を観察していると、
なんと、まともに目が合ってしまった。
内心しまった…とも思ったが、とりあえずコンニチハ程度に愛想で笑ってみる。
すると彼女はそのまま躊躇いのない足運びでもってこちらへと歩みよって来った。

一体どうしたのだろう?
しかしそれ以前に、これではまるで彼女と自分は、
に引き会わされたようなものではないか?
しかもに関していえば最初から彼女の目的を見通していて、
それで彼女を自分の元へと…───


「有栖川君」


控えめな声に思考が中断する。
気付けば彼女、有馬麻里亜は目の前に立っていた。



麻里亜嬢、初登場です。
この連載についての感想メールを頂くと、
『麻里亜とヒロインの絡みがどんなものか気になる!』といった内容のものを多く頂きます。
勿論仲良しさんなんでしょうけど、至極さっぱりとした会話が展開されそうですね…(笑)
予定ではそれほど二人の会話は無いのですが…書けるだけ書いていきたいですね。