蕩尽に関する別考察 9








「なぁ、
「なに」
「『関わらない方がいい』ってどういうことや?」
「………」


五限目が終わり、集合場所であるラウンジへと向かう道すがら、
何とはなしに、まるで今ふと思い当たったかのように装って、
昨日の紡がれなかった言葉と先程の含みのある物言いについて切り込んでみた。


「…忘れて」
「は?」
「聞かなかったことにしてって言ったの」
「何で…また急にそんな」
「…もう、手遅れだから」


いつものことながらは、それ以上の説明を加えてはくれなかった。
そして自分も敢えてそれ以上に踏み込んでは聞かない。

何故か?
恐いからだ。

おそらく聞けばきちんと答えてくれるだろう。
自分にも納得できるような非常に判り易い形で。
ただその代わり。
聞いたその分だけ、得た答えの分だけ、
が遠のいていってしまう、そんな気がするのだ。
だから聞かない。
聞けない。


「…ごめん」
「謝るなよ。気にしてない」


だからお前も気にするなよ、と。
言えば、は「ありがとう」と薄くだが静かに笑った。


「でもまぁ、忘れんで気には止めとく。何かあった時のために」


こうしたからの"忠告"にも似た言葉は外れた試しが無い。
心にはしっかりと留めておこうと、そう思った。





そうしてラウンジにて。
EMCフルメンバーに有馬嬢を加えて、一行は高野へとタクシーでもって向かった。
割り勘にすればバス代とさして変わりないからだ。
信長さんはバイクでタクシーの後を追う形で移動し、程なくして目的地へ。
店へ予約した時間よりも15分早い到着となった。


「先に文誠堂を見てみますか?」


信長さんがお伺いを立てると部長が首を縦に振ったため、
有馬嬢の住むマンションを経由し、文誠堂へと赴く。
しかし非常に残念なことに、『本日休業』の札と共に店のシャッターは既に降りていた。
まだ黄昏時というのに早いものだと思えば、最近は臨時休業が多いのだという。
「しゃーないな」と言って踵を返そうとした信長さんにつられて江神さんの方を見れば、
部長と、そして部長より少し離れた位置に居たが揃って同じ方角を見ていた。


「昔は羽振りが良かったけれど、今はそうでもない、か」


二人が見ていたのは文誠堂右隣の住宅。
裏手は駐車場となっているその家屋は、低いブロック塀で囲まれた木造二階家で、
文誠堂と同年代、築三十年にはなるだろうか。
表札には『印旛』とあった。


「シャーロック・ホームズめいた推理ですね。
 ブロック塀の細工や窓枠の凝った意匠から推察すると、
 この家は新築当時はなかなかのものだったけれど、
 補修が行き届いてない点からすると今は経済的に余裕がない、ということでしょ?」
「推理というほどのものやない。常識的な観察や。
 最近になって中古物件を買うたんかもしれへんしな」


何やらホームズ批判とも捉えられかねない発言だ。


「ここに住んでるのはどんな人なんやろ?」
「ほれ、
 さっきから黙っとらんで少しはモチを構ってやれ」
「ちょお待て、信長。
 それじゃまるで俺がに構って欲しくて喋っとるみたいやないか」
「違うんか?」
「違うわボケ」


時と場所を選ばない経済学部コンビの漫才に、思わず赤ら様な溜め息が喉を突いて出る。
ダシに使われている当のもどうやら同じような心境であったらしく、
相変わらずの控えめさながらも呆れたように自分よりも幾分小さな溜め息を吐いて見せた。


「…住人は定年年齢前後の老夫婦でしょう。
 周囲から評判は芳しくなく、近所付き合い等、周囲との交流ほとんどない。
 また夫婦の一方もしくは両者ともに排他的なヒステリーの傾向がある。
 ああ、ちなみにここでいうヒステリーとは神経症のそれじゃなく、
 精神的な原因で一時的もしくは慢性的に生じる病的興奮状態のことです。
 あともう一つ付け加えれば、息子か娘か子供が一人、
 おそらくは娘だと思いますが…まぁ既に独立なり嫁ぐなりして孫もいますね」


良く通る声を必要最低限に抑えて、
はさらりと、というよりはむしろ手早くといった具合にそう考察を述べる。
先輩陣は慣れたもので、すぐにその根拠について問い質していたが、
有馬嬢はといえば、驚いたように口を開け放って感嘆の息を零していた。


「凄い…まるでホームズみたい」
「本当にそうなんか?」
「うん、私の知る限りでは」


その大きな瞳を真ん丸くしたまま、から視線を外さずに彼女は、
ぼんやりとだが自分の見た限りの実情を語り始めた。


「住んでるのは六十歳ぐらいの夫婦。
 いつも二人揃って、ぶすっと不機嫌そうな顔をして歩いてるの。
 見た目だけでは判断できないけれど、ちょっと陰険な感じ。
 余所見をしながら走って来た小さな子供がぶつかったって、
 その子のお母さんに怒鳴り散らしてるのを見たこともあるもの」
「へぇ…」


ということは、少なくとも重なる部分に関しては確定と思ってもいい、はず。


「戻ろうか」


言うなり江神さんは通りへと向かって歩き出した。
当人宅の前で噂話するのは少々まずいとの配慮だろう。
いまだぶつぶつと考察を続ける経済学部コンビに「行きますよ」と一声掛けてから、
部長についで歩き出したは、ふと半身振り返り立ち止まった江神さんと、
一言二言交わし、その後二人肩を並べて、彼女には珍しく列の先頭を歩き始めた。

ふむ、なかなか絵になる構図である。


「君との話を聞いとったら、
 何や溝口さんとのトラブルも隣の家に非があるように思えてくるぞ」
「深い事情があるのかもしれないから、先入観を持たないようにしてね。
 彼女もそこのところは敢えて断定も言及もしなかったみたいだし。
 事実はミステリより奇なり、という入り組んだ背景がないとも限らないし」


何とまぁ、ミステリ心をくすぐる言い回しだろうか。
モチさんなんかを面白いように刺激するような表現をしてくれる。
これはもうモチさんとしては黙ってはいられないはず。
闊達な推理合戦が展開されそうだ。



区切りがいいんでこの辺りでちょんぱ。(古)
いや、コレ本当何の夢小説なんだろうか…。
アリス友情夢…?何だかこんな中途半端なSSばかり書いてる気がします。