Blue in me .


「江神さんて"水"みたいな人ですよね」


突然そんな突拍子も無い発言をしたのは、何を隠そう、自分だ。


「何やアリス、急に」
「いえ、何となく」
「相変わらず逞しい突飛な発想力やな」


何てことはない、EMCでは日常的な出来事だ。
誰かしらが何かしらふと思い付いたことを何とはなしに口にする。
それは大概、ミステリの講評だったり今日の昼食のメニューだったりと、
本当にとりとめのないことがほとんどだ。
今のも、それ。
ラウンジの窓から差し込む午後の陽射しを背に受ける江神さんを見て、
反射的にもそんな発想が口を突いて出たのだった。


「で、俺のどこが『水みたい』なんや?」
「そりゃ、掴み所の無いところでしょう」
「ほぉ。モチは俺のことを掴み所の無い男や思うてるわけやな」
「いや、ほら…なぁ? アリス?」
「僕に振らんで下さい」
「元はと言えばお前が言い出したことやろ!」


何やら既に不毛なカマの掛け合いとなりつつある江神さん談義。
仕方無しにもとりあえず、「何となく、雰囲気が?」と言えば、
「何で疑問系やねん」とペシリと手痛いデコツッコミ付きで却下された。
自分は思ったままを口にしたというのに、何が悲しくて却下されねばならないのか。
不服を恨みがましげな上目遣いの目線で訴えれば、
「可愛ないからやめとけ」と今度は信長さんに却下された。
一体どうしろというんだ、この僕に。


はどう思う?」
「…私ですか?」
「そや」


お鉢は回りに回って、へ。
信長さんに振られるまでは、我関せずとばかりに活字を追っていたその視線。
けれど話自体はしっかりと聞いていたのだろう。
本人曰く『"聞き耳"は職業病なの』やら『でなくとも嫌でも耳に入ってくる』とのことだが、
何の話題かなどと問い返すことも無く、
単行本から顔を挙げると、僅かに思案するかのように利き手を口元へと添えて答えた。


「そうですね…穏やかで紳士的な物腰が"水"を思わせるといえばそうかもしれません」
「何や、曖昧な物言いやな」
「率直な感想です」
「はは。しかし少なくとも俺は、に『紳士的』と思われてるわけだ」


穏やかに笑って江神さんは、そっと話を括った。
ふむ、確かに"紳士的"というのは一理あるかもしれない。

…まぁ単に年長者の貫禄というだけの話かもしれないが。


「江神さんが"水"やったら、お前はアレやな、"泥"。
 しつこいところや、一旦陥ると抜け出せないところがぴったりや」
「言うてくれるな信長…それは宣戦布告と受け取ってええんやな?」
「泥なぁ」


そうしていつの間にやら本格的な比喩大会となっていたらしい。
読書を本格的に切り上げた様子の江神さんと経済学部コンビの戯れ合いを、遠目にも眺める。

と。





「───No this my hand will rather the multitudinous seas incarmadine, …」





突如鼓膜を打ったのは、涼やかなクイーンズイングリッシュ。


「…making the green one red.」
?」
「何でもない」


ひっそりと呟くと寂しげに、どこか自嘲げに笑っては静かに目を閉じた。


「今日はお先に失礼します」
「何や、もう帰るんか」
「ええ所用で。それじゃあまた明日」
「おう、またな」
「2限の商法でな」
「レジュメ、忘れないようにね」
「…あ。」
「相変わらずの世話女房っぷりやな。亭主がろくに成長せえへんせいか」
「放っといて下さい…」










「…シェイクスピアやな」
「へ?」


今日はまた『突発』が多いものだと思う。
何が急にシェイクスピアなのかと思いっきり眉根を寄せれば、
江神さんは笑って「making the green one red.や」と日本語英語を披露した。
ああ、と。
ようやく合点がいく。


「聞いてたんですか、江神さん」
「まぁな」


聞けばシェイクスピアのソネットの一節なのだという。
はてがシェイクスピア信派だったろうかなどと思い返すが、
その思考も、穏やかでどこか寂しげな江神さんの声にほどけて、消えた。





「───この私の手は幾つもの大海原を唐紅にする、清い水の青も血染めにする」





No this my hand will rather the multitudinous seas incarmadine,
Making the green one red. 



基本的に、子孫を残せ女は子を産めと五月蝿いシェイクスピアは嫌いなんですが。
シェイクスピアのソネットには、こう、ぐっとくるものも多いのも事実なんですよねー。

…訳が文学的でないとか手痛いツッコミは是非無しの方向で(汗)