I hope to call you
by my family name.


「"ジョウちゃん"」
「何かな、天城氏」
「何ですか、天城さん」


『天城』という、声を掛けた相手の名前部分だけを、
見事にハモらせて振り返ったのは黒衣の探偵と黒髪の探偵だった。


「おっ?」
「「え?」」


またも見事なタイミングで顔を見合わせる二人。
二人のユニゾンぶりに、ぷっと吹き出す不良探偵。
そんな三人がいるのは、JDC1Fのフロントロビーである。


「ああ、そういや、
 『城ちゃん』も『嬢ちゃん』も、どっちも『ジョウちゃん』なんだったな」
「天城氏、今のは…いや、さっきのも含めて一体どっちの事を言っているんだ?」
「あ? ああ。さっきのは『嬢ちゃん』の方にな」
「いや、だからどっちの『ジョウちゃん』なのかを聞いているんだが…?」
「………」
「当の嬢ちゃんは、傍観者決め込んでんなぁ」
嬢も黙って見てないで何か言ってやってくれ!」
「ああ、すみません。面白かったもので、つい」
嬢〜」


二人の、もしかしたら漂馬はわざとやっているのかもしれない、
不毛なやり取りを黙って他人事のように傍観するのは、
当該本人に含まれるはずの黒髪の探偵・
常と変わらぬの淡々としたリアクションに、
城之介は大仰に脱力し、俯いて大きな溜め息を吐いた。
そんな彼を見て、と漂馬の二人は、
本人には気付かれぬように顔を見合わせ軽く笑い合った。


「しっかしこれだと、今みたいに2人が揃ってるところじゃ使えねえな。」
「今更気付いたんですか」
「まぁな。んー…、どうすっかねぇ」
「龍宮の呼び方を変えれば問題ないだろう」


そう、今発覚したこの事実は意外と日常生活に支障をきたすのである。

今現在、彼は助手である蒼也から『龍さん』と呼ばれている。
もっと言えば最初に蒼也が起用しようとしたのは『龍さん』ではなく、
『城さん』だったのだが『"象さん"のように聞こえて滑稽』との理由で、
城之介が手厚く却下したのだ。
言葉を操る『言司探偵』と言わしめる彼の、素晴らしくも妙なこだわりである。
実のところ、現在の『龍さん』という呼び名も彼的には、
『"硫酸"のようで嫌』であるらしいのだが、
そんなことを言ってばかりいてはキリがないので、妥協点を見い出しているとのことだった。
そして、こうして漂馬が好んで使う『城ちゃん』も、
『お嬢ちゃん』の様に聞こえるとして勘弁願いたいのが本音なのだという。


「んー、『城ちゃん』ってのもなかなか捨て難ェしな」
「その理由が何なのかを是非説明して貰いたいな…」


どうも不良探偵相手ではいささか調子の崩されるらしい黒衣の探偵。
そんな彼にささやかな助け舟を差し出したのはだった。


「なら私の方を変えますか?」
「何だ? 『嬢ちゃん』っての気に入ってなかったのかよ?」
「そんなことはないですよ…───あら」
「ん?」


会話の途中にすっと横にズレ、漂馬の横、
その背後の物体にピントが合わされたらしいの視線。
彼女と同じ方向に視線を流した黒衣の探偵も「おや。」などと一言を漏らす。
そんな二人に疑問符をひとつ浮かべながら、
漂馬がその視線の先を追おうと振り向こうとしたその瞬間。


「あーッ、いた!! 天城さん!!」


漂馬を大声にも名指し指差しで御指名してみせたのはフロントの女性である。
その見知ったならぬ聞き知った声に漂馬はといえば。


「うおっ。やッべぇ」


まさに、一転。
条件反射にも逃走態勢に入った。


「やっと見つけた! さっさと報告書提出して下さいーッ!!」
「…つーワケだ。
 じゃあな! 『ジョウちゃん』達!!」
「お、おい、天城氏! 結局、龍宮達の呼び方は…」
「悪りィな、そん時のインスピレーションで判別してくれッ」
「天城さんー!!」


まるで弾けかれでもしたように、猛スピードで駆け出した漂馬。
閉じかけた自動ドアを両の手で無理矢理こじ開け走り出て行く。
それをこれまた華麗な健脚を披露してフロントの女性が追う。
ともすればその場に残されたのは漂馬に向かって伸ばされ、
行き場を失った城之介の黒い手袋を嵌めた手と。


「…無茶言わないでくれ、天城氏…」


という呟きに。


「また私の仕事をむやみに増やしてくれて…」


というの小さなぼやきだった。










そんな珍事を挟んで、二人が移動した先はJDC第一班室。

は厳密に言えば特別契約班所属である。
しかし彼女の請け負う仕事内容の広さや多さ、重要さの問題、
それを実現するための探偵としての機動性を重視し、維持したいとする本人の意向、
そして何よりも第一班も上方へと位置するその能力を鑑み、 特別契約班所属でありながら、第一班としての待遇を同じくしていた。
故に、彼女のデスクも第一班室にあるのだった。


「龍宮さん、コーヒーでいいですか?」
「………。」
「龍宮さん?」
「あ、ああ。ありがとう。頂くよ」


利き手を口元に添えて、考え込んでいるようだった城之介が弾かれた風に顔を上げる。


「さっきの呼び方の事ですか?」


対しては、いれたばかりのインスタントコーヒーを紙コップ2つに注ぎ、
深く考え込んでいたらしい城之介のデスクへと淡々と歩み寄った。
今この第一班室にいるのは城之介との二人だけ。
その推理力の高さから毎日忙しく現場へと駆り出される第一班にしてみれば、
班室ががら空きなのはさほど珍しいことではない。
実際、今回パートナーを組んだ二人も、無事事件を解決して戻って来たところを、
ああして漂馬に捕まり、逃げられ、今に至るのである。


「ああ、まあそうなんだが…。
 嬢は、こう呼んで欲しいといったあだ名はないのか?」
「あだ名というものは、自ら名乗り出て得るものではないと思いますけど」
「…ふむ、確かに」


スティックシュガーを数本溶かし込んだコーヒーを旨そう口にする城之介に、
愛想の欠片も無く手早くそう話を切り上げると、
報告書をまとめるためには自分のデスクの方へ向かって踏み出す。
ともすれば、それにも構わず、というよりもむしろその歩みを阻むかのように、
会話を続けんと黒衣の探偵は楽しげに口を開いた。


「さすがは嬢、手強いな…。
 ───それでは質問を変えようか。
 嬢はどうして天城氏に『嬢ちゃん』と呼ばれているんだ?」
「何をどうすると『それでは』に繋がるんです…まあ、いいですけど」


いちいち龍宮さんと言葉で遊んでいたらキリがありませんし、と。
言って、思惑通りにも話を続行する意向を見せた彼女に、彼は満足そうに微笑う。
そんな城之介に対しては、わざとひとつ軽く溜め息を吐いてみせた。


「…確か、珍しくJDCに顔を出してた天城さんと偶然出会して、
 ちょうどその場に居合わせた氷姫宮さんと3人で飲みに行こうという話になりまして」
「………待ってくれ、嬢は未成年だろう?」
「細かいことは気にしないで下さい」


言っては、城之介のデスクの近くにある備え付けのソファに腰を下ろす。
すると、城之介はわざわざ座っていた自分のデスクの椅子を離れ、
追ってその隣へと腰を下ろした。
諦めか、はたまたそれ以外の何か。
わざわざ隣に移動したことについて、は特に言及しなかった。


「結局3人で飲みに行ったんですが」
「……こらこら。」
「仔細は聞き流して下さい。
 それでその帰りに天城さんが言ったんですよ。
 『もっと可愛げのないヤツかと思ってたんだけどよ、
 意外と面白えな気に入ったぜ、嬢ちゃん』と、そんな具合に」
「それは失礼だな、天城氏は。
 嬢は充分可愛いいぞ?」
「…そういう問題じゃないでしょう。
 激しく論点がずれていますよ」


一方はさらりと口説き文句を吐いて、一方それをまたさらりと受け流す。
一方は素で、一方はらしくもなくそれなりに苦心して。
崩れない女の平常心。
深まるあどけない笑み。
このまま張り合うのは得策ではない。
そう判断してはゆったりとコーヒーに口を付けると、早々にも静かに話を括った。


「…まあそれで、その時言ったのがそのまま定着してるのだと」
「ということはやはり、皆の好きなように呼ばせている、ということかな?」
「そうなるんでしょうか」


ふと、言われてみれば普段思い返すことのない自分の呼び名について考えてみる。
成る程、確かに彼の言う通りである。

(龍宮さんからは当然『嬢』。
 天城さんには『嬢ちゃん』もしくは『』。
 舞衣さんからは『ちゃん』。
割と年の近い音夢、蒼也、氷姫宮さんからは『』と呼び捨てに。
 総代や不知火老師も『』と下の名前で呼び捨てで。
 ジンさんには『君』。
 螽斯さんには『君』だったか。
 そして九十九さんからは『さん』…)

呼び名に苗字を使っているのは隣で微笑む黒衣の探偵だけで、
それ以外は皆、下の名前に敬称を付けたりつけなかったりで呼ばれていたのかと、
先程の『ジョウちゃん』と同様、また身近な新発見をしたものだと人知れず納得した。


「ということは、龍宮も好きなように呼んで構わないかな?」
「それは…別に構いませんけど」


(龍宮さんには例の方程式があるでしょうに…今更何をどうするのだか)


城之介は女性に対しては『(名字)嬢』、男性に対しては『(名字)氏』と呼び分ける癖がある。
方程式といったのは、彼がこの趣向を徹底して貫徹しているからだ。

自分が予想もしない解答を導き出すのだろう彼への期待と好奇心が少しばかり募るが、
また何か突拍子もない事を言い出すのではないかという疑念も捨て切れない。
心構えだけは用意しておくべきと思慮しつつ、ふと視線を相手へと向ける。

が、時既に。
目の前にあるのは、何かを企んでいるような、
それでいて悪戯を仕掛ける前のあどけない子供のような表情。





「それじゃあ、『龍宮嬢』なんていうのはどうだろうか?」





あまつさえ邪気の無い無垢な笑顔まで添えて、
やはり予測を裏切らない爆弾発言をあっさりとなんてされてしまいなどして。

ともすれば、されてしまったは。


「───……」


誰が予想し得ただろうか、そんなとんでもない不意打ちに、
気付けば、吐き出すはずの息を飲み込んでしまっていた。





「駄目かな?」


と、表情を変えずに言葉を発しなくなった自分を、
少しばかり不安そうに、窺うような幼い表情で見つめてくる黒衣の探偵。

思いの外、外へと表れていなかったらしい内心。
こういう時、無意識うちに感情が表情として表れるのに歯止めをかけてしまうという、
それは人としてどうなのか?と疑問を持ちたくなるような己の癖にも、
感謝したいとは静かに胸を撫で下ろした。
しかし一方で、素直に赤くなっておけば手っ取り早かったものを、と。
自分の捻くれた性格をつまらなく思ったりする冷静な傍観部分も居た。

けれど、それでも。
やはりそんなものは趣味ではないから。


「……嬢?」
「考えておきます」
「!」
「…選択肢のひとつとして、ですけど」


そっと、拙くそう告げる。


「───…そうか」


ともすれば黒衣のその人は、今以上に幼く見えてしまうほど嬉しそうに微笑って。


「ということは、今はまだ『嬢』のままで呼ぶことにするよ…」


かと思えば、突然酷く綺麗な男の微笑を敷いて。





「───未来の『龍宮嬢』」





ああ、本当に。
この人には適わない



人世の中の龍宮さんは天然の策士。
天然で事を運んでおきながら、最後にはちゃっかり確信犯というタチの悪いデフォルトです(笑)