Clairvoyance


目の前には二人の大人。
眼帯を付けた初老の男と、全体的に酷く冴えた印象のある男。


「見事な推理じゃったな」
「初めまして、俺達は…」


日本の探偵組織であるJapan Ditective Club、通称JDCの一探偵と、
そのトップである総代表だと名乗った男二人。
名前は覚えてみせる気も、必要性も特になかったから適当に聞き流した。
物事を一度覚えてしまうと、
余程の事が無い限り忘却することのできない性質の自分にとっては、
この情報の貯蔵は"無駄"でしかないと判断したからだ。

更に言うなら、単純に人と会話することが苦痛だった。
人と会話することにどうしたって価値を見出せない。
だから黙礼だけで最低限の礼儀を満たし、その場を辞すことに決めた。


「………」


大抵の大人達はこれで気分を害すか生意気な子供だと見下すか、でなければ、
勝手に自尊心を傷つけられたと思い込んで向こうから会話の意志を放棄してくれる。
けれど、その二人は違った。


「これ、待たんか」


眼帯の掛かる方とは反対側の、鋭い片瞳に宿るのは明らかな好奇の気配。
もう一方もそれ近い感情を抱いているようだったが、
純粋であるが故か、不思議とそれらは嫌悪感を誘わなかった。


「蒼司、お前の表情が固いせいで怖がって逃げ出しとるぞ」
「…師匠」


どうやらこの二人は、
次々と不快な事ばかりつらつらと言い押し付けてくるくせに、
どうあっても口元の笑みだけは死守しようとする印象のある大人達とは違うらしい。

だからといって、どうということもないが。


「…用件があるのなら手短かに願います」
「急ぎの用でもあるのか?」
「あろうとなかろうと関係ありません。手短に願います」
「そうか。ならば無いものさせて貰おうかの」


少しばかりあからさまに拒絶を突き付けてみたが、あっさりと流されたようだった。
変な人達。


「どうしてあの女が犯人だという発想を持ったんじゃ?」
「…先程お話した通りです。それ以上の説明を加える気はありません」


何を聞くのかと思えば。

面倒な。
思考を会話用に順序付けることが、思考を対話用に変換することが、
思考をいちいち発声することも何もかもが面倒で仕方ない。
不快だ。
胸が吐き気をもよおす。

どうしてこうも無駄に自分の"異常さ"を実感しなければならないのか。


「ふむ。ならばお前さんの推理方法がどんなものか聞きたいんじゃが?」
「推理方法…?」
「ああ、差し支えがなければ是非聞かせて欲しい」


差し支え。
この意図の計りきれない二人の大人を相手に会話する倦怠感を差し支えと称して良いのなら、
有るものとして即座にこの場から立ち去ることができるのだが。
いくらこの二人が他の大人達と違うとはいっても、さすがにそのまま伝えては不味いだろう。
下手に正面切ってやっかみを起こす方が数倍面倒だ。
けれど、他に差し支えと言えるような事柄が生じてるかといえば答えは否。

ちり、と。
視線を感じてふいに顔上げると、背の高い方の男と目が合った。


「ああ、そういえばまだ君の名前を聞いていなかったな」





向けられた冴えた瞳に、その奥に宿る悲しく穏やかな光に息を呑んだ。





「───先程、関係者と警察一同の前で一度名乗ったと思いますが」


危うく呑まれかけて、隣立った左眼帯の男の鋭い視線に現実へと引き戻される。


「とことん可愛げの無い娘じゃな」


だからなんだというんだ。


「…それはどうも」
「師匠」
「何だ蒼司」
「『何だ』じゃないでしょう」
「ふん。無いものを無いと言って何が悪い」


本当に変な人達。
媚びる気配もないくせに、何だってそんなにまで私にこだわるのか。

少しだけ気になった。
好奇心が口を突いた。





です」





大人二人に、驚いたように目を見開かれた。





「───別段、私自身には"推理"をしているという意識はありません。
 ただ現実とは、常に数式のように因果と応報が絶対の法則性に乗っ取って紡がれています。
 何一つの例外もなく、原因と結果が淀み無く、
 そして限り無く整然と一定の旋律で流れ続けているんです」


ああ、どうして自分はこんな同じ日本国籍という認識ぐらいしかないの成人男性二人に、
好奇心なんてものに突き動かされたとはいえ口を開いてしまったんだろう、なんて。
そんな頭の中の冷静な傍観部分はいつも通り正常に機能してるのに、
どうしてかこの口は必要以上に動いているし、動こうとしている。


「"動機"と後に称される人間の深い部分から生じた激情は、
 人を"殺人"という新たな事象の発生へと駆り立てる。
 ある事象から新たに生じた事象が、
 結果という別の形でもって"殺人"と同質の現実として残る」


ああ、そうか。
文字通り"心が動じて"るのか。


「つまるところ、現実とは遅かれ早かれ、最終的には情報と推論から導き出されるもの…」


この二人の存在に。
冴えた印象のこの男に。


「それは遺伝子学の系統樹の枝肢のように厳かに、恐ろしく傲慢な程に無尽蔵に、
 ただただ延々と広がっていくものです。
 裏を返せば、現実という枝肢を分つ"事実"と"可能性"さえ把握すれば、
 あらゆる枝先は、物事の終着点ともいえる"未来"という事象は捕獲可能だということです。
 そして私にはそれを現実問題、実現可能とするだけの"脳"がある」


そう、この"異常さ"こそがまさにそれ。


「私には物事の"先の展開"が視(み)える。
 ある物事の終着点を既に今この瞬間にも手にしてる」


あの人は死ぬ。
あの人が死ぬことでこの人は泣く。
この人が泣くことでその人は怒る。
その人が怒ることで罪の人は笑う。


「始まった瞬間から終わりを目にしてる」


私の視える世界はどこまでも完結してしまっている。





「幾千もの事象を先視し、幾万もの現実を思考する、と…それが君の推理方法なのか」
「『千紫万紅』……『千視万考』といったところかの。
 つまりお前さんの視える世界はチェス盤上の遊戯に過ぎず、
 犯人の行動は、さしずめ盤真向かいの相手…敗者の一手でしかないと」


必ずしも自分が勝者だとは思ってないけれど、その比喩は的確だ。


「だから君はそうやって全てを拒絶するのか」


その指摘も実に的を得てる。
得てるからこそ、判っていて確認を求めてくる相手に初めて鬱陶しいという感情が沸いた。
怒りにも似た感覚。

感情が、大きく揺らいだ。


「私がその"先見"を、それに付随する感情の一雫でも、
 私という内部からそれ以外の外部へと零したらどうなるか…。
 あなた方ならわざわざ口にせずとも、お判りかと思われますが?」


次に起こるだろう犯行を予期し。
次に死に逝くだろう被害者を予見し。
次に泣くだろう人の心中を予感する。

物証、証明、明示そして解決。
そこに辿り着くまでの思考は早く短くとも、現実問題としての解決までの過程は長く遠く。
自分の思考と現実の進行、二つの時間の流れは恐ろしく異なっている。

犯人の正体を、次に生じるだろう犯行と被害者を、
その時点でそれまでの犯行の立証が不可能であるが故に、気付いていて黙っている自分を、
自分以外の"誰か"が勘付いたとしたらどうなるか。

それが犯人自身ならば執着も無いとはいえ自分の命は危険に晒され。
それが同じ側に立つはずの警察ならば「出し惜しみを」と軽蔑され。
それが被害者に近しい者ならば「怠慢だ」と非難され。
それが次の被害者として予期した者に近しい者ならば、
「死んだのはお前のせいだ」と罵られる。

事実、そうだった。


そして、その全ては決して間違いじゃないから。


「君は優し過ぎるんだな」
「私が、優しい?」


なら、私はどうすればいい?


「そう、君は優し過ぎるんだ」
「私は優しくなんて、ない」


簡単なことだ。
予見を、誰にも勘付かせなければいい。


「君は優し過ぎる。
 優し過ぎるからこそ、そうして他人の負うべき痛みまで抱き寄せてしまっているんだ」


そうすれば、誰も不必要に憎むことも泣くこともない。
誰も不必要に傷付くことはない。


「抱き寄せてはその誰かが傷付かないように、悲しまないようにと。
 そうやって自分の感情を封じ込めることで、
 一切の"先見"が流れ出ることを防いでいるんだろう」


この胸が、痛むこともない。


「───…そうして自分を犠牲にしてまで」


そう、私が全て抱え込めばいい。
何一つ漏れることのないよう。
何一つ溢れることのないよう。


「けれど、それでも君は誰かが死ぬと…誰かが傷付くと無条件に自分を責めてしまう」


視えているのだから、私が抱えこまなければ。

そこから抜け出すこともできず、かといって生きることも止めず。
死なないことで自分の価値を量ろうとする、
そんな自分が自分であるために身に付けた術だから。

それに。





たくさんの人々を"見捨てて"きた私はきっと、
それらの"痛み"を拒んではならないのだろうから。








ソウジと呼ばれた男は、私の頭を柔らかく撫でた。





「俺の元に来ないか?」





陰影以外に色の無かった世界に。
手を差し伸べてくれた貴方は酷く鮮やかだった。





「───連れて行って、下さい」





夢から醒めた気がした。
冷たい独りきりの世界に初めて蒼い空が覗いた。











「ふむ。ならばまず、その"思考の遮断"から訓練せねばな」


細い針のような、多くの好奇の視線を背に受けて。
一歩先を歩く不知火善蔵を先頭に、鴉城蒼司の横に並ぶ形で現場を後にした。


「蒼司と違って儂の講義は、ちと厳しいぞ?」
「確かに。それは俺が保証しますね」


ヤードの"協力者"として、"証明"をしてきた私は、
これからはJDCの"探偵"として、"推理"していくことになるらしい。


「さて、行くとするかの」
「そうですね」


すっと、極自然に差し伸べられた腕。


「さぁ、行くぞ。





はい、と。
言いたかったのに、その言葉を飲み込んでまで握ったその大きな手は。

総代の手は。





泣いてしまった程に温かかった。



タイトルの和訳は『千里眼』。
実は、『悟理夢中』にならって『千視万考』も『千紫万紅』を文字ってたんですよ。
誰か気付いてくれるかなぁ、なんて淡い目論みも含みつつ。(笑)
あ!あと、ヒロインの台詞の『現実とは遅かれ〜』や『現実とは常に数式のように〜』も、
有名な哲学者の言葉だったりするのです。
何たって『球形の哲学者(フィロスフィア)』ですからね、総代が。

ええと、このSSはアンケートフォームの件で御迷惑をお掛けしてしまった栗原翡翠様へ。
その節はお手数をお掛けしてしまいまして、大変申し訳ありませんでした。
栗原さんから何とも嬉しいことに、ヒロインと総代達の出会い編をリクエストして頂きまして。
書いてる本人、オリジ要素濃過ぎて退かれてるかなぁと常々不安を感じていたヒロインですが、
予想以上に気に入って下さっている方が多くて…嬉しい限りです。
こんなSSですが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。