大きくなればなる程、この手から溢れ落ちるものは多くなる。
Noise of heart.
「総代?」
「───…呆けていた、すまない」
眼下の葉巻きは予想以上に、大理石の皿の上で灰と化していた。
「いいえ…どうかしたのですか、そんなにも両手を見つめられて」
「少し、考え事をしていた」
「考え事、ですか?」
「ああ」
背もたれへと重心を預け、目を閉じ指を組む。
味わずに灰となった葉巻きの香りが頬を撫でる。
そういえば自分が呆けていた間はどうしていたのだろうと蒼司は思ったが、
デスク上の書類の束がそれを物語っていた。
全く位置を変えていない書類の束。
遮られることの無かった自分の思考。
何も言わずただ傍に居たのだ、は。
「差し支えがなければ…どのような事を考えてらしたのですか?」
「どんなことを考えていたと思う?」
蒼司にしては珍しく試すような、
それでいて何処か、聞き手に痛みを与えるような皮肉めいたその口調。
「…見当もつきません」
対して、のその整った顔には特に目立った揺らぎはなく、
デスクを挟んで向かい側に立ったまま真っ直ぐに蒼司を見つめ、落とすように言葉を零した。
決して不作法にも相手の表情を窺うようなことはせず、ただ静かに待つ。
蒼司の次の言葉を。
「………」
長年の付き合いが物を言うのだろう。
互いに互いを認めた沈黙は心地良ささえも覚えて。
静かに時が流れる。
長くはないが早くもない時の流れ。
穏やかな一瞬、また一瞬。
「───…お前も本当に物好きだな」
すると、言葉を発したのはやはり蒼司の方だった。
「酷い言いわれ様ですね」
言えばは、常には見せないような柔らかい微笑を浮かべた。
「俺は多くを望んでる」
「はい」
けれど次の瞬間にはまた先程までの不惑の表情へと戻り、受身的に相槌を打つ。
蒼司はこうして時折だがに内心を晒すことがあった。
勿論彼女以外にも不知火や九十九、息子の蒼也にも"漏らす"ことはあるのだが、
こうして"晒して"みせるのはやはりだけだった。
「手の届く範囲だけではなく、手の届かない範囲も、
それがたとえ目に見えない顔も見えない場所であっても、
可能な限り多くの人間を俺なりの方法で救いたい、護りたいと思っている」
「はい」
迷いの無い肯定。
いつだって彼女は蒼司に対して絶対的に"率直"だった。
それこそがを他3人と一線を画せる要因であり、
また蒼司が彼女に本音を晒す、また彼女を常に傍へと置く最大の理由だった。
「だが護るものが増えれば増える程、この手から溢れ落ちるものは多くなる」
新犯罪との格闘の日々。
大探偵、電話探偵として忙殺される蒼司は今や日本といわず世界探偵界の頂点に君臨し、
彼がたとえ僅か一日とて休息を取りなどすれば、治安は恐ろしい程一気に悪化するのだ。
つまり、彼が世界の多くの人々の命を握っていると言っても過語ではない。
謎解きという最高の趣味を職業とした蒼司の両肩、両腕には、
望まずとはいえ、それ程までに重苦しい現実が圧し掛かっているのだ。
デスク上に開いた両掌を見つめ、蒼司は何かを堪えるかのように瞼を閉じた。
「…なら」
がゆったりと口を開く。
「微力ながら、私も手をお貸します」
蒼司の片掌へ自分の指先を乗せ、確かめるように僅かに力を込める。
「貴方の護りたいとするものが何一つその手から溢れ落ちぬよう」
温かく乾いた大きな掌が応えるように、優しくその絡み具合を深めた。
「その両手に添えて、重ねて」
そして絡めた指先を一旦ほどくと。
両脇から、その両掌を下から掬い上げるように包んで。
「貴方の護りたいとするものを、私にも護らせて下さい」
「ついて、来るか?」
「今更愚問ですね」
「…そうか」
真直ぐな視線を受けて蒼司は確認するかのようにその細い指先を取って、口元へと運ぶ。
向けられた冴えた瞳に、その奥に宿る悲しく穏やかな光を受けて、
は薄くだがゆったりと笑んだ。
「ならば誓おうか」
「誓い、ですか…?」
「ああ」
"誓い"という単語に、その漆黒の双眼へと幾分不思議そうな、
柔らかな色合いを浮かべたに蒼司は穏やかに微笑って。
「死が我々二人を分つまで、共に歩み続ける事を…」
自分よりも幾分体温の低いそれに唇を落とした。
「───これからも傍に、誰よりも近くに」
「…はい」
自己満足総代SS第4段。
総代は大人なので即物的でなしに、精神的な繋がりでもって共に生きて行く感じですね。
奥様が亡くなってるとはいえ既婚者で息子もいるし。(笑)