Sinking mermaid.


「辛そうだな、嬢」


蒼い空、白い砂、碧の海。
そしてこの顔へと落ちてきた黒い影。
気付けばその人は見下ろす形で、予想以上に近い距離でもって苦く笑っていた。


「…ええ、まぁ」


目の前に広がる強烈な色彩達。
不愉快な感覚を伴ってじりじりと肌を焼き付ける白熱の日差し。
不用意にはしゃぎ立てるたくさんの耳障りな黄色い声。
息苦しささえ引き起こす熱で膨張した不快で不透明な空気。
何もかもが不必要に過剰で、それらに目眩すら覚えているこの性質を、
嘲笑うかのように鼓膜へと打ち寄せる涼やかな波音。


「無理はしない方が良い」
「…判っています」


そしてあらゆる意味で、周囲から完全に浮き立った黒衣の存在。


嬢」
「大丈夫です……"苦手"と"嫌い"は違いますから」


そう、"苦手"と"嫌い"は違う。
苦手だからといってその全てが嫌悪を誘うものではない。
苦手だけれど好ましく思うものだってある。

少なくとも、こうして同僚達と共に過ごす時間は好ましいと…大切なものだと思っている。


「そうだな」


隣に立つ黒衣の存在、もとい龍宮城之介はその言葉に一瞬ほんの少しだけ目を見張ったが、
すぐにその意味する所を悟り、ふわりと柔らかい笑みを零した。


「───眩しい…」


海自体は嫌いではなかった。
気心の知れた仲間と騒ぐのだって不得手とはいえ苦痛ではない。
それでも、こうまでも身体が辛いと感じるのは単純に太陽という存在故。


「龍宮さんも私になんてかまわず音夢達と海に入っていらしたらどうです?」
「そうはいかないさ」
「何故…?」
「ちょっとでも目を話すと、次から次へとひっきりなしに不貞の輩が寄って来るからね」


だから。
容赦無く降り注ぐ日差しが肌に触れるのが嫌で、
水着姿のは先程からずっとパラソルの下にいる。
そうして波間ではしゃぐ音夢達を眺めつつ、荷物番をこなしていれば、
『退屈そうだね、向こうで俺達と遊ばない?』やら。
『気分悪そうだね、涼しい場所に連れてってあげようか?』などと。
下心剥き出しにも、個性も独創性も無い使い回しの台詞を早口でまくし立てる、
どこからどう見たって内外どちらの面でも軽そうな男共が後を絶たなかった。

しかし当事者であるはずの彼女はといえば適当にあしらいつつも、
物好きね、なんて我が事でありながらどこか傍観に徹していたりするのものだから、
"焦らされてんだな?"などと愉快な勘違いを重ねる、城之介曰くの不貞の輩共は、
大概しつこく喰らい付いてなかなか離れようとはせず。
そのつど見かねて、蒼也や幽弥に加えて音夢までもが睨みを利かせにやって来るのだが、
効果の程はといえばまさに『焼け石に水』、要するに無いに等しかった。


「それにもう一つ、嬢から目を離せない理由がある」


するとついでとでも言うように付け加えられたのは、明らかに含みを持った口振り。
謎解き、謎掛けをこよなく愛する彼が時折覗かせるとっておきのその表情。


「何です…?」
嬢は"人魚姫"のようだからな」
「……後先も考えない浅慮でもって海の泡と消えた姫君ですか」


童話の可憐な姫君に例えられたというのに、返ってきたのは実に気の無い返事。
彼女にすれば相手が自分を人魚姫に例える理由など、
おそらく今こうして身に付けているこのパレオ故のことだろうと。
その程度の感慨しか浮かばなかったからだ。

だが彼にすれば違った。
良く言えば酷く献身的な、悪く言えばどこまでも盲目的な。
総代のためならば何であっても犠牲としてみせる、
そして自身すらも道具とすることを厭わない彼女の性質への危惧も含まれていた。

だからこれが普段の彼女なら、何の注釈を加えずともこう言い返したことだろう。
『総代こそが私の存在意義ですから』、と。
けれど結局、そうした台詞が彼女の唇により紡がれることは最後までなかった。

予想以上に余裕が無いらしい、と。
彼が心中苦笑を漏らした事にすらは気付かなかった。


「はは、手厳しいな。嬢にしたら人魚姫の童話は好みじゃなかったかな?」
「好き嫌い以前の問題ですね。童話に対してそういった類いの感情は沸きません」


それはまた嬢らしい、と。
太陽にも負けず劣らずの眩しさでもって、城之介は空を見上げて笑った。
それを視界に収めて彼女は一瞬だけ目を細めた後、
またもや何の感慨も込めずに「どうも」とだけ返して受けた。

眩しさにふと、外した視線の先を陽炎が掠める。


嬢は本当に人魚姫のようで…心配で目が離せない」
「…こだわりますね」


気分が悪いせいもあってか、顔色もお世辞にも良いとは言えず、
元より無いに等しい愛想は更に輪をかけて、限り無くゼロに近いものとなっていたが、
それでもなお、律儀にも相手の言葉に一つ一つにはきちんと応えていく。
対してそんな彼女の顔を、正面から捉えるように腰を折ると城之介は、
その頬を乾いた掌で一撫でし、ふいにふわりと笑って見せた。
周囲でそれとなく様子を窺っていた男性陣がその距離の短さにぴしりと固まる。
一方、周囲の様子に全く気付いた様子の無いは。
相手の一連の行動に、先程の謎掛けに、
酷く納得いかないような表情を見せていた。


「こだわるさ」
「だからどうして」


気温で膨張した空気の厚い層越しの喧噪はくぐもって、少しばかり遠くに聞こえる。
けれどそうした中でも波の音だけは、水の気配だけは鮮明に覚えて。





嬢の声が聞けなくなるのも、嬢が涙する姿を見るのも、
 嬢がここではない何処か遠くへと行ってしまうのも…どれも龍宮は嫌だ」





黒衣の探偵の声と表情はそれ以上の感度をもって知覚されて。





「人魚姫のように可憐で一途な嬢が、
 海になんて入ってどうしようもない王子を拾ってはいけないから、ね?」





覚えるのは甘やかな、目眩。






「───それは…」
ー! 城之介さーん!」
「おや、九十九嬢達が戻って来たな」


の台詞の終わりを待たずに、城之介はその声に振り返る。
そして浜辺へと引き返して来る同僚達へ向かって軽く手を振った。
その表情は逆光に輪郭を奪われて、はっきりとは確認できなかったが、
けれども彼がまとうその陽だまりにも似た気配から、
彼が笑っているだろうことは彼女にも判って。
必要以上に、その穏やかな笑顔までが手に取るようにリアルに想像できて。


「…拾いませんよ、そんなもの」


雑音と波音に攫われて、言った本人にすらも聞き取れたかどうか怪しいような呟き。


「私は元より両足もあれば、文字を綴る術だって持ち合わせてますから」


笑顔で走り寄って来る音夢。


「知っているよ」


ふわりと視界で黒衣が翻る。





「───だからこその"牽制"、だよ」





その台詞の背後で、蒼也と幽弥が渋い顔をしていた。



ナチュラルな確信犯の龍宮さん。
見事に牽制されていたことにようやく気付いて不機嫌モードな幽弥と蒼也。(笑)

このSSは古愁千鶴さんからの40000hitsキリリク作品で、リク内容は『龍宮さんと海』でした。
───upがヘタレも極みに遅くなってしまって大変申し訳ありませんでした…!!!!
リクエストを頂いたのは残暑も引き摺った9月…。
こうして後書きを書いている今現在は、立ってる者なら師匠も走らせコキ使う12月。←意味違ッ
ああ、もう、本当に申し訳無さ過ぎて腹切るしかないというか首括ってしまいたいです。(汗)
こんなSSですが、少しでも楽しんで頂ければ嬉しいというか昇天できそうです…!