ああ、一体どうしたら。
彼女が自分のものになってくれて、自分が彼女のものになれるのだろうか。


I'm yours.


っていつピアスを空けたんだい?」


運転席からの僕の言葉に、
助手席で事件の資料を捲っていたは不思議そうに顔を挙げた。


「…何ですか、急に」
「なんとなく気になって」
「なんとなくですか……高校に入学する少し前ですね」
「へぇ、結構早かったんだね」
「早いかどうかは判りませんが…老師には酷く反対されましたよ」


安全運転を常とする自分からは、彼女の表情をはっきりと窺うことはできなかったが、
ふわりと和らいだ、その穏やかな気配でが淡く微笑ったことは判った。
単純とは思いつつも不知火翁に嫉妬まがいの感情を覚える。


「それで、どうしてあけようと思ったの?」


今まで付き合った女の子は大抵『痛そう』とか『恐い』といった理由で、
皆ピアスを嫌遠していたように思う。
ついでに言えば、自分も同じようなことを考えている節があるから。
だからこれ"は"純粋な興味。
決して下心やら何やらじゃない。

青から赤に変わる信号を確認しつつ、内心そう言い訳してみたりする。


「自己体感…ですね」
「『自己体感』?」


すると、予想外にも実にあっさりと返ってきた答え。
そしてこれまた意表を突く哲学用語。
いくら赤信号で減速中とはいえ、思わずぐっと横を向いてしまった。

そこにあったのは先程と全く変わらず、淡々と資料へと目を通し続けるの横顔。


「前方不注意」
「!」


巻き戻し再生よろしく、正面へと向き直る。


「氷姫宮さんらしくもない」


ふわりと隣りの空気が和らいだ。
ような気がした。


「失礼ですね、そんなに驚いた顔をするなんて」
「あ、いや、ごめん」


…どうやって自分の表情を察したのだろう。

横目でそろりと彼女の様子を窺う。
は先程とさほど変わらず細い指先で丁寧に資料を捲っていた。
ただし、その表情は少しだけ。
本当に少しだけだけれど、口元に笑みを浮かべていて。


「天城さんじゃあるまいし…余所見運転は勘弁して下さいね」
「……了解。」


涼やかな声にやんわりと釘を刺される。
というか漂馬の奴、いつを助席に乗せて車を出したんだ。
それよりも今の彼女の笑みは、本当は自分にではなく、
実際は記憶の中の漂馬に向けられたものだったのか?
そんな今度ばかりは正真証明嫉妬な感情を抱きながら後方を確認すれば、
バックミラーに映る自分の顔。
傑作なその表情は、面白いぐらいに拗ねた子供のそれだった。


「…子供だったんですよ」
「え?」


と、ふいに自分の内心を見透かしたようなの台詞に心臓が一つ大きく跳ねる。


「自分の耳に穴を空けることで自己実現を計ろうとしたんです」


ああそっちの話か、なんて。
ワンテンポ遅れて会話の流れを把握する。
自分から聞いておいてそれはないだろうとも思うが、
今はとにかく、この上擦った胸の内を何とかして治めるのに必死で、
ハンドルを握る手にぐっと余計な力が入った。

その間も、心地良く鼓膜を振るわすの落ち着いた声。


「自分をどうにかできるのは自分だけ、自分を支配できるのは自分だけ。
 誰のものでもなく、自分が究極的に自分だけのものであることを証明したかった…、
 そのことを自分以外の外へと表明したかったんだと思います」


子供でしょう?と。
一つ、昔を懐かしむような溜め息を吐いては話しを括った。





「…じゃあさ」


新たな交差点。
信号が青から黄へ、黄から赤へと変わる。
ゆったりとブレーキを踏む。


「僕の耳にも穴をあけてよ」


が資料から静かに顔を上げた。


「…何を言ってるんですか」
「だから、僕の耳朶にピアスを打ち込んで欲しいって言ったんだよ」


脳裏で反芻される、今し方のの台詞。

『自分をどうにかできるのは自分だけ、自分を支配できるのは自分だけ』
『誰のものでもなく、自分が究極的に自分だけのものであることを証明したかった』
『そのことを自分以外の外へと表明したかったんだと思います』


の手でこの耳を貫通させて」


自分をどうにかできるのは彼女だけ、自分を支配できるのも彼女だけ。
誰のものでもなく、自分が究極的に彼女だけのものであることを証明したい。
そのことを自分以外の外へと表明したい。

ああ、一体どうしたら。
彼女が自分のものになってくれて、自分が彼女のものになれるのだろうかと。
ずっと、そう考えていた。


「僕にを体感させて」


そしてその答えを今、見つけた。





「僕にを実現して」





僕を君のものにして。





「───丁重にお断りします」
「…あっさりくるなぁ」


そんなにきっぱりフラれるとこちらとしては結構キツかったりするんだけど、と。
赤信号をいいことに、ハンドルから手を離して背もたれに縋ってみたりする。
肺一杯に吐き出す深い溜め息。
けれどバックミラーに映るこの顔は、
息苦しさを噛み締める胸の内とは裏腹に苦い笑みを浮かべていた。


「氷姫宮さん、ピアッサーの感触を御存じですか?」
「ピアッサーの…? いいや?」
「僅かに茹で足りない芯の残った白玉に、
 ホッチキスを打ち込むようなものを想像して頂ければ良いかと」
「うわ…それはちょっと…というか普通に嫌だなぁ」
「気持ちの良いものじゃありませんね」


一瞬、律儀にもリアルに想像してしまって激しく後悔した。


「それに『束縛しない、束縛されない』。それが氷姫宮さんの"売り"でしょう?」
「そうだけど…はっきり言ってくれるね」
「それが私の"売り"ですから」


言って、彼女は手元の資料をぱさりと閉じる。


「自らアイデンティティを放棄するんですか」


呆れたような声色。
が少しだけ零した、感情の欠片。


「君のためなら捨てるだけじゃなく、踏みにじってもみせるけど?」


つられて零れたというよりはむしろ故意に零した本音。


「迷惑かな?」
「迷惑とは言いませんが…」
「そう、それは良かった」


素か、はたまた故意か。
君がまたそんなことを言うから。
僕はどうしたって淡くも期待せずにはいられず。


「僕もそろそろ身を固めようと思ってね」
「どこまで本気なんですか…」





また馬鹿みたいに君を好きでしかいられないんだ。



偽物な氷姫宮氏、ここに見参。(汗)
いや、本当、バレンタイン分岐以外に幽弥SSを書くつもりはなかったんですけど…。
このネタが通用するのは現代っ子な幽弥ぐらいじゃないとなぁと思いまして。
…ほら、蒼也はこんな女々しいとも取れる台詞は絶対に吐かないでしょうから。(笑)