この手の中には赤い林檎


この身の内を巣食うのは赤い狂気


You keep me wanting.


「天下のJDC第一班班長の刃さんを『刃のおじちゃん』扱いなんて…、
 将来、相当な大物になりますね、あの子」
「! 、君」


突然耳に飛び込んできた、聞き覚えのある低めの女性の声にはっと我に返る。
声の主は自分の良く知る人物、
彼女は開いた扉に寄り掛かり幾分穏やかな視線をこちらへと向けていた。

病室の扉を開けるのにノックの一つもしない様な礼儀知らずでは彼女は決してない。
自分は相当惚けていたらしい。
弾かれたように顔をあげる、どう考えても不自然この上ない私の態度にも、
何事も無かったかのようにただ穏やかに、
まるで流れる水のような動きで彼女は、白い床の上の『赤』を拾い上げた。


「お久しぶりです、ジンさん」
「あ、ああ、久しぶりだね。もう何ヶ月ぶりかな?」


幻影城殺人事件、密室連続殺人事件と、人類は2度も世紀末的事件を乗りきった。
世界、そして常識を根底から覆すようなそれらの解決を提示したのは九十九十九。
そしてその傍らにというよりはむしろ影に、という人間はいた。
彼と同様に謎を解体していながら、表の舞台には一切顔を出さなかった彼女。
そんな彼女は彼と共に人類を光射す方向へと導いた。

世界はその事を知らない。
それは彼女という特殊な存在の在り方ゆえ。
知っているのはJDC上層部と極一部。

けれど、私は知っている。



それは独り善がりな優越感。

僅かばかりの独占欲。




「可愛い子ですね」
「そうだね。天野君というんだよ」


そう名前だけ紹介して、手渡された『赤』をやんわりと弄ぶ。
落ちた衝撃で床に触れた部分は無惨にもグシャリと潰れ、崩れた分だけ欠けてしまっていた。
外観はそれなりにとどめていても、
もうほとんどそれとしての原型をとどめていない赤い林檎。
その『赤』に私の様子、言動からおおよその事態など既にお見通しなのだろう。
一語一句とは言わずとも、先程まで私が考えていた事もほぼ全て。
それでも全く態度を変えたりしない彼女の心遣いには本当に感謝としか言いようがない。


「あと、これもどうぞ」


と、危うく自分の世界に浸りかけて慌てて引き返す。
それを誤魔化すためか何なのか、
自分でもよく判らないまま慌ててずり落ちた眼鏡を押し上げた。

そうこうしてグロテスクな林檎の次に、実に何気なく手渡されたのは端々が所々千切れたり、
濡れてふやけたりして少々ごわついた白い紙。
その中心には水分で滲んでしまったのだろう、黒く溶けた文字がいくつか浮かんでる。
歪んでしまっても、無事被害から免れた箇所から書いた人間の人となりが判る精悍な文字。


「これは………わざわざすまないね」
「いいえ、天城さんの尻拭い…もといフォローには慣れてますから」


この無惨な紙切れは、昨日天城君から私の元へと届くはずであった、
けれど届くことのなかった総代からの見舞の品であった日本酒の包装紙。
そして滲んでしまった黒は、総代直筆の『御見舞』の三文字。
天城君の事だ。
受け取って間もなく、おそらくはJDCのロビーで。
少し位失敬しても…と、軽く飲み始めてすっかり酒瓶を空にしてしまったのだろう。
その後は『総代の旦那のサインだ』とでも言って、
通りすがった5班辺りの探偵へと体よく押し付けた。
さぞや困惑したことだろうその探偵は、
僕の見舞いにとJDCを出ようとした上位班の彼女を発見し、
捨てるに捨てられないその御紙の処理策を求めて縋ったのだろう。
そして巡りに巡って漸く私の手元へと漸く辿り着いたわけだ。


「本当、困ったものです」
「まぁ悪気はないのだろうから」
「悪気があろうとなかろうと、私が困ることにかわりありません」


敢えて口にせずとも通じる会話。
勿論、以心伝心などというような代物ではなく。
互いに探偵同士という生業と関係のなせる技。

とても心地良いと思う。
ずっと続いて欲しいと心からそう願う、祈ってしまう。


けれどそれは、この想いだけは。
決して、何があっても悟られてはならない。


「そういえば、やっとA探偵の認定を受け入れたらしいね」
「ええ…まぁ」
「どういった心境の変化だい?」


彼女はJDCに入社してからこの方、A探偵の認定を頑に拒み続けてきた。
その理由はといえば、色々あるのだが。
大まかに言えば、彼女の請け負う仕事内容の広さ、多さに重要さの問題。
加えて探偵としての機動性を重視し、維持しようとする本人の意向。

平たく言って、『一段掘り下げた』表向きには『総代の目』となること。
要は、総代に代わっての現場検証だ。
今やJDCの組織基盤であり、日本探偵界の頂点に君臨する総代は、
電話探偵という形で日に数十件と膨大な凶悪事件解決している。
つまり彼が一日でも現場に出向こうとすれば、日本の治安は恐ろしい程一気に悪化するのだ。
けれど事件の規模が大きくなればなるほど、
電話による伝達やデータだけでは推理に限界が生じてくる。
そのため第一〜第七まで編成されたJDCの探偵達が難易度に分けて、
日々こうして手分けして出張捜査をしているわけだが、
それ以上のレベル、総代自らの出張を必要とするような事件となると彼女が登場する。
次いで『更に掘り下げた』裏向きのものとなると、
JDC総代という地位では表立って立ち回れない、
裏方というよりは『裏』と、そう形容するような、
秘密裏の庶務全般を安全且つ速やかにこなすためだ。

そして、その根底の全ては総代へと繋がっていて。
彼女のJDCでの存在意義は総代にあると言っても過言ではない。
恩人である、そして何よりも敬愛して止まない総代の負担を少しでも減らすこと。
その足しにならないものには一切目もくれない、
その妨げになるものには容赦の無い彼女とって、
JDC第一班という国内最高の肩書きも、
A探偵という世界的な名誉すらも例外ではなかったのだから。


「九十九さんと…総代御自身からも口説かれまして」
「はは、それはまた熱烈だね」
「ええ。おかげ様で見事に口説き落とされました」


しかしそんな彼女も、『表裏』という意味でも実に好対照な、
また個人的にも親交が深いらしい九十九に加え、
当の存在意義とも言える総代本人からのお達しとあらば、
さすがに折られざるを得なかったらしい。

それでも私は更に思考を巡らす。
彼女がA探偵の認定を受け、第一班所属にならなければ『ならなくなった』、
彼女が表舞台に引っ張り出されてしまった事情。
それは明らかにJDCにおける人材の不均衡。
JDCには私、刃仙人に九十九十九、不知火善蔵とA探偵が3人いた。
けれどそれは以前の話であって、最近までは一人もいない状態が続いていたのだ。
その理由といえば、不知火善蔵は亡くなられ、九十九十九は栄えあるS探偵へと昇格、
そして私はといえばこうして京大病院に入院中。
S探偵が2人に増えたとはいえ、
どうにも頭でっかちな感が否めなかったのだろう。

───要は自分の腑甲斐無さのせいだ。


「何はともあれ、なるたけ早く戻ってきて下さいね『班長』」


どうやらまたも悲観的思考は見事に顔に表れていたらしい。
重ね重ね無駄に、彼女に気を使わせてしまった。

「JDCの第一班班長はやっぱりジンさんでなくちゃ♪」
以前見舞いに来てくれた霧華君の言葉を思い出す。
『JDC第一班班長』。
こうしてドクターストップを受け療養を命じられるまでの、JDCでの自分の立場。


病は『気』から。
その『気』を蝕まれた私は、こうしてJDCの高みから陥落した。

誰もが狂気に侵されるという家系と名の呪縛。
父も母も、祖父も祖母も。
精神を患い発狂し、ある者は廃人となって、またある者は自らその命を絶って逝った。
そして弟も。
12歳の時、自らの生を悲観して、自殺という形でその人生を終わらせた。

そんなものは迷信であると証明するため、ただひたすらに生きてきた。
生に対し強くあろうと必死に努力してきた。
けれど。
この身の内に確実に存在する狂気。
もうこれ以上目を背けることも、否定し続けることもできず。
ただただその暗い影に怯えて。
それでも様々な思考を巡らして。
全存在を懸けて無様にも抗い続けた。
ずっと目を背けてきた、塞き止め続けてきたこの狂気が、
ヒビの入ったこの『器』破壊して、外へと溢れ出さないようにと。

祈った。

目を醒まさないように。
どうか、この狂気が目を醒まさないようにと。


「そろそろ時間なので…私はこれで」


この『狂気』が自分以外の誰かに対しての『凶器』とならないように。


「……ああ」


この『赤』が大切な人々を染め上げることのないように。


「また来ますね」






───どうか、彼女を穢さないようにと。






本気でそう祈るのに。

これ以上近くにいてはならないと、

遠ざからねばならないと、判っているのに。



この狂気は、この心は。





「───君っ」





どうしたって君を求めて止まない。





「何です?」
「その……時間のある時でいいんだ、良かったらまた来てくれないかな?」


そう、元よりありもしないような勇気を振り絞りきった私の言葉に、
どうしてか彼女はおかしそうに笑って。


「だから言ってるじゃないですか、『また来ます』って」


柔らかく微笑んで。


「あ、ああ…そう、だったかな」
「では改めて。『また来ます』」


そして酷く艶やかに微笑って。






「『貴方に会いに』」










「───ありが、とう」










この手にあるのは赤い林檎。


この身の内を巣食うのは赤い狂気。


そんな私が求めるのは、君。


こんな私の中にある醜い赤さえも。


その身で包み、浄めてしまう絶対的な光の色。







浄化の白



JDC強化週間第一段はジンさんです。
何だかやたら長ったらしくてすみません。
カーニバルでの設定も入れてしまいたかったので…。
というか、ヒロインの設定なんだかえらいことになってますねー。←他人事か。
いや、カーニバル自体がアレだからコレくらいは許して貰えるかなぁ、っていうか、
これぐらいやんないと目立たないどころか、
毎週土曜日恒例犯罪の一被害者になり下がってしまうだろうよ、と。(笑)
───ひいてしまった方、ごめんなさい。(汗)