郷に入りて



君、好きだ」
「………それはどうも」


今日も今日とて我が道を進む、いや、むしろ進んだ地面が道となる、
常識の破壊者、榎木津礼二郎は無駄に健在だった。


「よし! それじゃあ早速行くぞ!」
「…何処にです?
 というかまずは『それじゃあ』の『それ』という指示語が示す内容を説明して下さい」


相手の破天荒ぶりにも慣れたもので。
特に動じることもなければ、
その脈絡の無さに敢えて必要最低限以上に突っ込むこともなくなってしまった。
"普通じゃない"と肌でさえ感じられることもこう身近で相当な頻度でもって起こると、
悲しいかな人間の慣性が順応反応を発揮する。
すると、例えそれ以上に"普通じゃないもの"があったとしても、
別段不思議なことでもないのではないかと。
そんな風に気付けばいつの間にかそれらを"普通"と思い込んでしまっている思考回路。

そう、結局人生何事も慣れなのだ。


「白無垢買いに」
「………どうしてまたそうなるんです」


───それにしたって、そうした"慣れ"にも限界がある。

結局、自分が用いる掌の内程度の言葉など所詮は常識の範疇に属するものであって、
この眼前の眉目秀麗な破壊者には到底通用するものではないのだった。


「君はさっき『それはどうも』と言ったじゃないか」
「確かに言いはしましたけど…」
「それはつまり"承諾"の意だろう!」


だから買いに行くんだよ、と。
無造作に私の二の腕を掴んで、引きずる形で立ち上がらせようとする相手。
項を捲っていた指が紙の質感から遠ざかる。
先生から借りた貴重な古書が膝から落ちる。

はっきり言って、痛い。


「…あくまで"了解"の意程度に捉えて下さい」
「もう遅い」
「貴方の勘違いが速過ぎるんですよ」
「当たり前だ。僕は神だからな」
「肯定する箇所が間違ってますよ」


そんな私のささやかな添削もやはりあっさりと無視されたようで。
二の腕を掴んでいた大きな男の手は、その輪郭なぞるようにするすると、
ブラウスの布地を滑り上がると、袖口の終わりである手首の辺りまで移動した。
今日、初めて直接に触れ合う体温と肌。
そして改めてぐいっと力任せに引き寄せられた利き手は無断に握られて。
その指先はといえば繋がれて。
絡み合うそれらを見ると、相手は酷く満足そうに微笑う。
一方、強引に指先から持ち上げられ、引き寄せられた私の腰はもはや宙に浮いていて。

けれど、なのに。


「さぁ、行こうか」


先生曰く『あの人の辞書の、君に関しての項に"撤退"の二文字は無いらしい』この人の、
乱暴、横暴、無理強いと言っても過言ではないこの行動だって、
もしかしたら無邪気の一言で片付く可能性だってあるような気がするのだから不思議だ。


「…榎木津さん、白無垢が何処で売られてるものなのか知ってるんですか?」
「知らない」
「……でしょうね」
「京極堂に聞けばいいだろう」
「……………本気で勘弁して下さい」


とりあえず、いつまでもこんな不安定な体勢でいられるわけもないので、
不本意ながらも手をつき、膝立ちで重心を支える。
と、立ったら立ったでまた次の瞬間にはもう既に身体が均衡を崩していたのは。
ふわりと足の裏が畳の感触を失ったのは。





「ああ。ウェディングドレスの方がいいのか、君は?」





身構える間も与えられずに、横抱きにもかかえ上げられることを強要されたからだった。










「よし、出発だ!」


とりあえず、どこまで本気かと聞かれたら限り無くどこまでも本気なのだろうにこの人が、
本当に白い花嫁衣装を購入してしまう前に、制して先生の元へと辿り着いてしまう前に、
何とかしてこの腕の中から抜け出さなければ。


「郷に入りては郷に従え…。
 こんな格言を残した先人を今なら躊躇い無く手にかけられそうだわ…」


そんなことを考えつつ、最後に視界の端が捉えたのは。
畳に不作法に横たわる古書と、山積みの古書の影で欠伸をする柘榴だった。



榎さんにお姫さま抱っこされてみたり。
…何でだろう、どうしてこんなにも甘くないんだろう…こんなんドリームじゃないよ!(汗)
榎さん絡むとどう踏んばったってギャグ路線に。単純に力不足か。
ちょっと色々と余裕がなくてスランプ中です…。