同族
嫌悪


ふにゃあぁ



「柘榴、不細工」


畳の上、積み上げられた本の山影で欠伸をする柘榴に無駄とは知りつつ声を掛けてみる。
すると柘榴は一瞬だが自分の声に反応したらしく、ちらと視線を向けはしたが、
けれど次の瞬間には余計なお世話だとでも言うように、ぷいとその小さな顔を背けた。
毎度思うことなのだが、猫なら猫らしく温かい日向の縁側ででも昼寝をしたらどうだろうか。


「相変わらず仲が悪いな」
「そうですね」
「まるで他人事だな」


この、関口先生曰くの『機敏に動かぬ怠け者』の飼い猫は、
欠伸をすると潰れたようにくしゃりとなる顔が柘榴のそれに見えるとして、
先生自身によって命名された。
先程自分が指摘した表情がまさにそれ。

考えてふと、一瞬手放した視界を探れば。
伸びきっていたはずの柘榴は、私への当て付けのように先生へと擦り寄りにゃあと鳴いた。


「何だ急に、気色悪い」


かと思えば擦り寄ったところで、ぐい、と。
本から視線を外すこともなく、邪見にも指先で首元から押し退けられてしまった。
おまけに鼻先をぺしりとまでやられている。
本能か、さっと身を退く柘榴。

はっきりいって他人事だが、端から見ても相当な扱いだ。


「…先生」


呼びかけた相手の目線はやはり、活字を追ったまま。


「何かな?」
「折角苦労して手に入れた"らしい"愛猫に…また随分と手厚い愛情表現ですね」


先生の言曰く、柘榴は中国の金華山で捕れた大陸産の猫で、
『金華の猫は化ける』という言い回しが、馬鹿馬鹿しいぐらいの民間信仰、
故事来歴好きの琴線に触れたのだろう、非常に苦労して手に入れたそうだ。
しかしどうにも関口先生はこの話を眉唾物と踏んでいるらしい。
かく言う私も外面的には似たような反応を以て曖昧に返してはいるが、
実際にはどうかと確定的な回答を要求されたらどちらとも答えられないのが現実だった。

本気なのか、冗談なのか。
そういった境界がまったく掴めない、掴ませない。
榎木津さんとはまた違うが、先生とはそういう人なのだ。


「ああ。惜しみない愛情を注いでいるよ」
「………。」


『惜しみない愛情』。
本当にどこまで本気なのか。
はたまたどこまでも冗談なのか。
何にせよ随分と手痛い愛情だ。

けれど、それでも。
一人で居る時はどうだか知らないが、人前ではそんな可愛がり方しかしないにも拘わらず、
どうしたって柘榴は先生にしか懐かない。


「不思議ですよね…」


現に今だって、しっしと無下に追い払われたにも拘わらず、
凝りもせずにまた"にょろり"と近付き、先生に擦り寄ろうと柘榴は奮闘している。


「本当、柘榴は先生以外に懐きませんね」
「さてね」
「私の事なんて赤ら様に嫌ってくれていますし」
「そうかな?」
「そうでしょう」


柘榴と眼が合った。
今度は無造作に反らされることはなかった。

それは単なる偶然か、はたまた嫌悪の肯定か。


「随分と自信があるようだが…根拠はあるのか?」


柘榴から先生へと視線を移す。
視線が絡む。

ああ、やっと本から顔を上げましたね。


「同族嫌悪というやつですよ」


私は柘榴と違って体当たりではないけれど。
先生に構って貰いたいと欲しているのは同じ。

傍に置いて欲しいと、そう思っているのはきっと同じ。





「私も柘榴も、先生の事が好きで仕方ないんです」





擦り寄る柘榴も、常態でも読み取り難い不機嫌な顔つきもそのままに。
先生はゆったりと顎を掻いた。



柘榴は、可愛いのか可愛くないのか良く判らないところが好きです。(笑)
あんなに京極堂(千鶴子さんにも?)に構って貰えていいなぁ。

そろそろ、敦っちゃんや榎木津の愉快な下僕達も出してやりたいです。