夏陽の機


「秋彦センセー、これココに置いてイイですかー?」


勝手知ったる知人の座敷に、聞き慣れない女子の声が凛として響いた。


「ああ、此処に置いてくれ」
「はーい、…って。あ、すいません。来客中でしたか」
「いいや、構わない。ただの知人だ」
「わぁ、センセイのお友達さんですね」
「知人だ」
「いやにこだわりますね…」


山積みの古書を抱えた少女は、こちらを見て「どうも」と小さく頭を下げた。

何とも不思議な声だった。
格段に澄んでいるわけでも別段特徴があるわけもないが、耳触りはすこぶる良いのだ。
鼓膜に馴染むというか染み渡るというか。
耳に残るその余韻はすっきりとしてとても心地良い。
とにもかくにも卑小な物書きの、貧相な掌程度の語彙では表現に余る代物だった。


「これは関口巽といって、一応小説家とやらの端くれということで世には通っている」
「あ、もしかしてこの間先生が勧めてくれた、
 幻想小説…ですよね? あれを書いてらっしゃる先生ですか?」
「勧めた覚えは毛程も無いが、この間君が手に取っていた小説の作者ではあるな」
「いちいち突っかかりますね…。
 あ、初めまして。私と言います」
「は、初め、まして…」


こんな齢若い、おそらく二十にも満たないだろう娘と会話をする機会など、
私の日常にはまず無い。
どうして良いのかさっぱり判らない。
屈もった、己ですら聞き取ることの危うい声でもって、
鸚鵡からは一緒にするなとの苦情がきそうだがそんな生返事を返す。
そして失語症に陥る。
毎度のことながら最悪を飾った自己紹介。
しかしそれにもかかわらず娘はとんと気にした様子も無く、
にっこりと笑うと張りのある声で「よろしくお願いします」と言った。
堪らず視線を畳へ逃がした。


「訳あって、先週から秋彦センセイの処で居候にもお世話になってます」
「わ、訳あって…?」


明らかな失言だった。
踏み込まれたくない事情があったからこそ彼女は、
先手にも『訳あって』と前置きしたのだろう。
ああどうして聞き返しなどしたのだ。
京極堂の「君は馬鹿か?ああ馬鹿だったな」とばかりの仏頂面が痛い。
そんな自分と京極堂の空気を見兼ねたのか彼女は、
「先生の処で色々と勉強中なんです」と小さく苦笑して補足を加えた。


「あ、でも多々良センセイや沼上サンみたいに妖怪関係じゃないですよ」


主に海外の哲学関係です。
勿論、妖怪関係も面白くって大好きですが。

言って娘は「あ、そうだ」と京極堂を見る。
やはり不思議な声色でもって娘は、「センセイ」とこれまたどこか微妙な発音で呼んだ。
そして凛と言う。
「アレ読んでもイイですか?」。
京極堂が淡と答える。
「ああ構わんよ」。





「それで今日はまた謎か? 不思議か? それとも怪奇かね?」





娘へと、蔵書の中でも金銭・歴史と価値を問わず稀少な一冊を手渡しつつ、
こちらへはいつもの蔑するような視線を向けて京極堂はそう言い捨てた。



関口センセとご対面ー。
次はあっちゃんとトリくん辺りとか書きたいなぁと。

というかコレ、保存にしくって一度全部消えました。(マジ泣くかと思った)
完成した4分後に、うっかり別SSを上書き保存で、一瞬で。
記憶を雑巾絞りで何とか復元してみたんですが…9割5分ぐらいかな…。