葬迎の韻


「───待って、榎木津さん!」


足は無惨にも折れて、首は残酷な様で千切れてしまった黒い鶴。
それを容赦無く足蹴に踏み躙ろうとした破壊的探偵の暴力的行いを、
ぴたりと停止させたのは、凛と響いた若い娘の声だった。


「…どうするつもりだ?」


白い娘が探偵へと歩み寄る。
否、探偵の足下へと転がった女王の身体の元へと。
停止した探偵の代わりに、黒装束の祈祷師が怪訝な声色をもって問い質す。
その声を振り切って娘はもはや胴と翼しか原型と判別できないそれを、
両手で丁寧に拾い上げると、伯爵の眼前へと持って歩み出た。


「何、を…」
「これは剥製です」
「………」
「貴方のお父上が標本として作られた、そして貴方へ家族として与えた鳥の死骸です」
「死骸…」
「はい。
 死んだ人間の体を死体というように、死んだ動物の体を死骸というのです」


悩ましげに寄せられた眉根が、憂いを帯びたその表情が。
悲哀の色に染まった。


「彼等も…いえ、"それ"も"死んで"いるのですね」


否。
それはただ、単に私が伯爵に同調したからそう見えるだけなのだ。


「はい。死んでいます」


凛と響いた声が、細かい瑕だらけのこの鼓膜を更に削った。

胃の辺りが煮え滾るように熱い。
汗ばんだ掌とは真逆に、冷えきった指先の感覚が無い。
しかし頭の芯は痛いぐらいに醒めていた。
腹が、立ったのだ。
よもやこの娘に腹を立てる日が来るとは思わなかったが、
確かに怒気といえる不快さが胸を中心に沸き立った。
何故。
何故まだそんなことを言う。
もう十分じゃないか。
京極堂の詭弁だけで事足りたろう。
この人は。
この人は今打ち拉がれているのだ。
愛する者を、世界を、今まで自分が信じてもの全てを破壊されて。
失って、弔って。
だというのにこの娘は。
やめろ。
声を上げようとするのに。
この愚鈍な喉は張り付くばかりで濁った呻き声しか発せられなかった。


「さぁ、伯爵」


凛、と。
張りのある清音がこの濁音を掻き消す。


「"これ"を破壊して下さい」


ああ、世界が遠く白む。


「こ、壊すって…」
「これはもう生きてなどいません。
 死骸です。ただの"モノ"です」
「しかし…」
「方法は簡単です。
 一旦その両の手で"これ"を受け取って、そのまま床へと落とせばいいだけ」


決して冷ややかではない、むしろ穏やかですらある声色で娘は至極淡々と言いのけた。
何処か遠いものでも見るような視線で黒いそれを凝視する伯爵。
痛々しい。
惨い。
何たる追い打ちだろう。


「さあ」


青白い伯爵の眼前へと、真っ直ぐに差し出された黒い胴体。


「よせ、
 その必要は無い」


まるで諌めるように。
おそらく咎めるように。
良く通る低い声が、危惧の籠った硬い音味で娘の名前を呼んだ。
しかし。


「やめません」


迷いの無い断言が、躊躇い無くそれを却下した。
部屋に入って来て初めて、拝み屋が口を噤んだ。


「伯爵」
「はい…」
「これは貴方が彼方から此方へと迎え入れられるための通過儀礼です」
「ぎ、れい」


世界を支配する沈黙。
祈祷師も探偵も、警部補も元刑事も警察官も。
何かに取り憑かれたかのように声を失って娘と伯爵のやりとりを凝視する。
今世界は、二人と二人以外のものに隔てられていた。


「そうです。
 貴方が此方を望むのなら、その手で"これ"を破壊して下さい」


伯爵の微かに震える指先が黒い塊へと伸びる。
恐々と毛羽立ったそれに触れる。
しかし女王の躯が鳴き声を上げることはなかった。
まるで水を掬うような動作でもって伯爵の掌が黒の外延を抱く。
見計らったように娘は全ての重量をその骨張った手へと継いだ。
そしてそのまま二歩下がる。
まるで次の動作を促すように。


「死ぬということ…、死体…、死骸…」


一旦、きつく眼を瞑った伯爵。
しばらくして真一文字に引き結んだ血色の芳しくない唇をほどいた。
視線を黒から白へと移す。
黒い残骸から白い棺へと。
冷たく眠る最愛の女性の顔へと。

そして。





「───生きているということ」





かしゃん。
おおよそ羽毛の質感に似つかわしくない音を立てて、鳥の女王は砕けて散った。





「これは…」


声を発したのは予想外にも祈祷師だった。
砕けた黒の中から飛散して床の上へとぶちまけられた白い砂。
否、粉か。


「そういうことか…」


呟いて、虎の眼の奥が哀し気に揺らいだ。


「これは…一体何なのです」
「お母様の御遺骨です」
「そんな…。あ、あぁ…!」


娘の静かな宣告をもって。
優しい母は数十年の時を待って今ようやく、死んだ。


「此方へようこそ、伯爵」


床に散った母の骨を握り締めて伯爵は泣いた。
娘は静かにそれを見下ろしていた。










「───あの人が、あとほんの少しでも愚かだったら…」


ぽつり、と。
零れ落ちるようなそれは、まるで祈りのようだった。


「…そう考える私こそ愚かなんでしょうね」


何かを堪えるかのように伏せられた長い睫毛。
想いの全てをその瞳の奥にしまい込んだその顔からは、何一つ感情を汲み取れない。


「そんなことはないさ」
「先生…」


頭上のステンドグラス越しの柔らかな陽光が、
くぐもった色味を帯びて、娘の白い肌へと降り注ぐ。
白い光が、青い光が、赤い光が。
娘の顔に陰影を作る。
それはまるで泣いているかのように見えた、否、自分には思えた。


「伯爵が言っていただろう」


黒い着流しが、白い羽織がふわりと翻る。
白い光が、青い光が、赤い光が。
祈祷師の背中を哀し気な色合いに染めあげる。


「『ありがとう』と…」


背中を向けた拝み屋の表情は伺えなかったが、
優しく頭を撫でられた娘は寂し気に、悩ましげに、
そう、どこか伯爵にも似た仕草で淡く笑った。


「だが今回は少々"同調"し過ぎだ。
 一歩間違えれば関口君と同じだぞ」
「次からはもっと上手くやります」
「やり方を改める気はないんだな」
「はい。これが私の"やり方"ですから」
「まぁ、いい。帰るぞ」
「はい」



とりあえず陰摩羅鬼の瑕ネタを。
こんな感じで1冊SS1本って具合に書けたらなぁと思ってます。

image music:【告白】_ ゴスペラーズ.