流る月日の いと憎し
「あ。雨…」


ぽつり、と。
水滴が肌に打ったのと同時に、隣で少女がそう呟いた。


「こりゃいかんな」
「急いで帰らないと…!」


遅い昼食の後、間が悪くも突然泣き出した夕には少々早い午後の空。
この季節にはよくある夕立ち。
今はまだぽつりぽつりと地面に水玉を描く程度だが、
これがあと数分もすると視界を歪ます車軸の如き雨脚になるのだから困ったものだ。
毎度のことながら職人泣かせな、と不謹慎にもしみじみと思う。
今頃工場内ではビニールシート掛けに職人達が奮闘していることだろう。
そして隣の少女もそんな職人の一人であり、今にも駆け出さんと空の様子を伺っていた。


「わぁ、凄い…もう本降り」


傘など持っているわけがない。
無論、借りようと思えば借りれないこともない。
何せ1番ドック大工職職長である自分以外に、ガレーラ紅一点の女職人にして、
市民達の間では老若男女問わずにちょっとしたアイドルとなっているまで居るのだ。
そこらの店先で一言二言理由を告げれば傘の一二本快く貸してくれるだろう。
しかし傘を借りたとしても、ゆったりと歩いて帰るわけではない。
急ぎ足、もとい走って帰るのだから傘も本来の意味を成せないだろう。


「私はもう走って帰っちゃおうと思うんですけど…カクさんはどうします?」


屋根伝いで?、と。
首を傾げて問いかけてきた
要するにそれは「別々に帰りましょうか?」と、つまりはそういうことで。
ふと、空を見上げる。
の足なら此処から工場まで10分ちょい。
屋根伝いの自分の足なら2分とかからない。


「…ふむ、
「はい?」
「ほれ」
「わ…っ!?」


呼ぶなりジャージの上を脱ぎ、バサリとの頭へとかぶせる。
前置きも無しにかぶせられた当のは数瞬ぱちぱちと瞬きしていたが、
状況を理解すると「え?え?」と、次いで「あの…?」と声をあげて見上げてきた。
それに「これで多少は濡れんで済むじゃろう」と笑みを落とし、
「それじゃ行くぞ」と、混乱しているを問答無用にも横抱きに抱え上げた。


「へ…───ええ!?」
「しっかりと捕まっとれよ」


たんッ、と。
片足の裏で勢い良く地面を蹴る。
降り注ぐ雨を弾いて、空へと昇る。
視界に見上げる物が無くなった頃、手近な赤い屋根の上へと着地した。
もはやすっかりと雨水を滴らせて濡れてしまっているその表面。
気を付けんといかんな、と。
両腕の中の柔らかな温度を再度しっかりと抱え直す。
すると。


「か、カクさん!」


腕の中で縮こまっていたが真っ赤になって見上げてきた。


「何じゃ、高い所は苦手か?」
「え?いえ、大丈夫ですけど…って、そうじゃなくて!」
「ワハハ、こうした方が手っ取り早いじゃろう?」


腕の中の、無垢な存在。


「さて、と…急いで帰るとするか」


僅かに一年という歳月が、この心をお前で埋め尽くした。


「ほれ、しっかり捕まっとれ」


埋め尽くされたこの心は流れる月日を憎むようになった。
間近に迫る夢の終わりに、怯えを覚えるまでに至って。
惑いを、迷いをこの胸に生じた。

だからどうか、この雨が已むまでは。
このままこの少女が信じてやまない"カクという男"であることを。





「は、はい…っ」





今だけは、この胸の望むままに。
心のあるがままに在ることを、どうか。



一度はやってみたかったカクにお姫さま抱っこされて山風体験。
雨とジャージは乙女に捧ぐオプション(笑)


image music:【春雨よ】_ 椿屋四重奏.