そこに救いがあるならば、
永遠に醒めることのない優しい夢を。
「帰れ!!
 おめェらに渡す物などない!!」


ダメ。
血が、血が足りない。

荒い呼吸を必死に抑え込んで叫ぶアイスバーグさんの背を支える。
止血だけでもできれば。
けれどそれすらも状況が許さない。
唇を噛む。
昨日の今日で、どうしてこんなことに。

眼前には5人。
ニコ=ロビンと仮面で仮装した男女。
おそらく、昨日アイスバーグさんを襲撃した犯人とその仲間。
私1人じゃとても太刀打ちできない。
それどころかアイスバーグさんを庇い切れるかどうかすら危うい。
どうすれば。
どうすればいいの。

一体、どうすれば。


「………なくては困る…」


低く、良く通る声。
黒牛の仮面を被った男が口を開いた。

なのに。
吸い寄せられるように視界の中心に収まったのは黒牛の男ではなく。
その斜め後ろに控えた不吉な髑髏の仮面。
つ、と身体が強張る。
何故。
混乱する。
背中を冷たい汗が伝った。
目を逸らしたいのにそれができない。
身体が拒絶する。
その窪んだ暗い両穴から覗いた無味な瞳から目を逸らせない。

訳が、判らない。





「───カク、さん…?」





まるで他人のもののように自分の声を聞いた。





「まず、何から話せばいいのか…」


黒牛の肩に白い鳩が止まる。
違う。
あれは白い鳩なんかじゃなくて。
そう、あれは。


「死にゆくあなたに」


ハットリ。


「な…!!」


驚愕にアイスバーグさんの身体が大きく震える。
音を立てて引いていく全身の血の気。
どこか確信めいた予感に、指先が温度を失くしていった。
そんなこと、あるわけもないのに。
あっていいはずがないのに。

だというのに、黒牛の仮面の下から現れたのは。


「あなたにはがっかりさせられた」


ルッチ、さんで。


「あんたが悪いんじゃぞ…。
 政府が大人しく申し出とる内に…渡さんからこうなる」


色褪せた声色。
冷めきった眼差し。
まるで、別人のようなその人。
けれどそれは確かに私の知る人で。
カクさん、で。
ただ目深に被った黒い帽子、そこに"Galley"の文字は無かった。


「───できることなら。
 あなたを傷つける事なくこの町を思い出にしたかった」


外された女性の仮面。
ふわりと香った、良く知った花の香り。
甘く、冴えたその香り。
気怠げに髪を掻き揚げてカリファさんは、艶やかな声でそう言った。


「頑固さも師匠ゆずりか…」


ルッチさん。
カクさん。
カリファさん。

つい数時間前まで、誰よりもアイスバーグさんの身を案じていた人達。
『心配するな』と優しく肩を叩いてくれたのに。
『安心して待っておれ』とそっと頭を撫でてくれたのに。
『大丈夫よ』と笑って抱き締めてくれたのに。

私が誰よりも信じていた人達は。


「お前ら…政府の人間だったのか…ッ!!」





誰よりも信じてはならない人間だった。





「───…うそ」


自分でも驚く程に乾いた声。
場の視線が集中する。
鋭いそれらが冷たく肌に突き刺さる。
耳が痛む静寂。
世界が近くて、遠い。


「だって…」


一体、何が嘘で、何が本当だったのか。


「『頑張って』って、いつも気に掛けてくれたのも…」


『一人前の船大工への昇格、おめでとう』。
言って、白いワンピースを選んでくれたのは。


「いつだって『気にするな』って、さりげなく手を貸してくれたのも…」


『適材適所だ』と。
力仕事の覚束無い私を見掛けては、言葉少なにも手を差し伸べてくれたのは。


「『迷ったらワシの所へ来い』って、優しく頭を撫でてくれたのも…!」


『お前さんは自慢の弟子じゃ』。
常に、誰よりも近くで温かく見守ってくれたその穏やかな瞳は。


「───全部、全部嘘だったんですか…ッ!?」


本当のものなど何一つ無かったなんて。
全てが嘘だったなんて。
認めないで。
どうか。

これは悪い夢なのだと、誰か。





「でなければお前は一体何を信じていたというんじゃ?」





醒めて見る夢は、とても残酷な音を立てて崩れた。





「ど、して…?」


アイスバーグさんが、私の手首を強く掴む。


「騙したのかと?」


その人は。
私が信じたものは全て、嘘以外の何物でもなかったと。
そう、言った。


「お前さんが勝手にそういうものと思い込んでいただけじゃろう」


頬を伝った熱さに、自分が泣いているのだとようやく気付いた。

もはや滲みきってまともに像を結ばない両眼。
現実を拒む私の心がそうさせるのだろうか。
止まらない、涙。
不思議と嗚咽は込み上げてこなかった。


「まぁどっちでもいい話じゃがな」


輪郭のぼやけた黒い影が近付いてくる。
けれどその冷えた眼差しの硬さは明瞭に感じられて。
アイスバーグさんが何かを叫んでいた。
掴んだ私の手首を強く握り締めて。
何かを、必死に。
それは私の名前のようだったけれど、良く判らなかった。


「どちらかで何が変わるでもない。
 受容でも拒絶でも、好きな方を選ぶといい」


抑揚の無い、平板な口調。
けれどやはりそれはその人の声で。


「大人しく死ぬか、抗って殺されるか。
 お前さんが辿るのはそのどちらかじゃ」


その人は。
カクと呼ばれていたその人は。
至極淡々と。





「生かしてはおけんからな」





夢の終わりを、死の宣告を下した。



ということで黒カク第二段。
本格的に痛いな……つか、コレって夢か…?(汗)

image music:【シャイン】 _ 鬼束ちひろ.