そうそれは、
正体の知れていた執着だったのだ。
任務の期限まであと1年。
少々時間を掛け過ぎた。
そんなことをぼんやりとでも日常的に考えるようになった頃、それは現れた。


「彼女にはとりあえず、カクの元で一から大工職について学んで貰おうと思う」


アイスバーグから直々に託されたのは一人の少女。
この辺りでは珍しい、黒い髪に白い肌。
お世辞にも船大工向きとは言えない、頭に清楚なる単語が付きそうな娘だった。


「ココロばーさんの御墨付きだ。しっかりと鍛えてやってくれ」


4年の歳月をかけて得た、ターゲットからの信頼。
それの現在値を測るには良い材料だと、抱いたのはその程度の感慨だった。


です。これからお世話になります」


名を、年齢は17歳であるという。
この少女を一人前の船大工へ育てて欲しいというのがアイスバーグからの要求だった。
白紙もいいところな下地も何も無い少女に、船大工としての仕事を一から教えるということ。
何と気の長い話か。
この少女が一人前になる前に、確実に自分はこの都から居なくなっているだろうに。
その時は、そんな呪詛めいた皮肉を内心呟いていた。





「『大工の心得』、ですか?」


しかし現実は違った。
少女の成長ぶりは生半可なものではなかった。
その容姿と性格を裏切る船大工としての才は、確かすぎる程に確かな代物だった。
この時ばかりは、アイスバーグの職人の素質・器量を見抜くその眼力には、
本気で舌を巻いたものだ。
逸材。
まされにそれ。
まるで乾いた大地が降り注ぐ雨を吸い込むように、知識・技術を吸収していく。
僅か半年で、少女は一人前の船大工へと成長した。


「でも、そうした『大工の心得』を私に教えてくれたのはカクさんですよ?」


半年と、長い期間面倒をみてきたせいだろう。
少女は自分に良く懐いていた。
いつも尊敬の眼差しで、明け透けの笑みでもって自分を見上げていた。
不思議と煩わしいと、思うことはなかった。
それが任務を遂行する上で弊害と成り得る可能性を秘めているというのに。
さもすればそれは早々にも摘み取るべき芽であるというのに。

だというのにこの心は、何処か深い場所が確実に呟いていた。


「やっぱりカクさんは偉大です」


そう。
手放したくない、と。





「───カク、さん…?」


この裏切りを。
信じないとお前は涙するだろうか。
それとも許さないと憤るだろうか。


「でなければお前は一体何を信じていたというんじゃ?」


傷付けて突き放せば、離れていくと思っていた。
それが最善であり最良の方策であることは明白だった。
初めから選択肢など決まっていたのだ。
この少女がこの水の都に来る前から確定していたことであって、
迷う余地など無い決定事項だ。

そう、無かったはずなのだ。





「カクさん…私、は…」


しかしこの脚は急所を捉えながら、とどめを刺すことを躊躇い、
その中途半端な慈悲にも似た独善が、こうして足下に赤い水面を作り上げた。
何故ひと思いに殺さなかった。
殺すべきだったのに。
殺してやれば、これはこんな苦しい思いをせずに済んだろうに。
堂々巡る自問自答。
自ら問い、自ら答え、そうして何処をどう辿ってもこの少女に行き着くこの思考の帰着点。


「何じゃ」


少女の名前を呼ばんとして疼く、この口の何と不毛なことか。





「───…私は今もカクさんのことが、好きです」





一体、自分は何処で誤った?





「…そんなことは知らん」


ああ、自分が裏切っていたのは。
船大工達でも都の市民達でもでもなく、他でもない自分だったのだ。


「ワシはお前の心にそんな想いを見たことなぞ無かった…っ」


手放したくなかった、失いたくなかった。





「ワシは、お前のことを…───」





そう、それは。
とうに正体の知れていた執着であったのに。



独占欲では決してない、けれど所有欲ともまた違うそんな感情。
カクのヒロインに対する占有欲は『手放したくない』、まさにそれに尽きるわけです。

image music:【茨の海】_ 鬼束ちひろ.