シンプル
リーズン


「髪、切ろうかな…」


ぽつりと呟くようなその一言に、その場で休憩していた船大工達は皆一様に目を剥いた。


「な、何だよ。
 急にどうしたってんだ?」
「いえ、やっぱり作業の邪魔かなぁって思いまして…」


失恋か!?
失恋なのか!?、と。
うっかり早とちった周囲を余所に、は一つ大きな溜め息を吐いた。

はこの辺りでは珍しい、クセなど皆無という見事な黒髪の持ち主である。
普段、作業中は邪魔にならないようにと高く結い上げたり、
でなければゆるく左右に分けて結ったりと必ずまとめている。
さもあれば、端から見ている分には全く邪魔になっているようには見えず。
ならば急に何故?
珍しくもアイスバーグへの崇拝以外の事柄で船大工の心境が一体となっていた。


「何じゃ。さっきのことをまだ気にしとるのか?」
「はい…」
「『さっき』?」


が、しかし。
その原因はカク曰くの『さっき』の出来事であるらしい。
しゅんと沈んだの様子に、パウリーが鸚鵡返しにも眉根を寄せる。
どういうことだ?とルッチさえ視線で尋ね寄越してきた。
それに苦笑を返してカクは、に向かって顎をしゃくると話の先を促した。


「実は…」


そう、先程大工職のナワバリではちょっとした"騒動"があったのだ。

今日は髪を後ろで一束にまとめて、船首装飾用の部材加工を手掛けていた
見上げれば、心地良いそよ風の吹く晴天。
今日のお昼はどうしようかなぁなどとぼんやり考えつつも、
実に真面目な勤務態度で仕事に当たっていた。
すると、ふと。
背後から掛かった同僚の声。
ともすれば、くるりと振り返ったはずみでそよ風と共にさらりとなびいた黒髪は。


「…引っ掛かったのか」
「はい…」


これから採寸して荒く削り出す予定だった部材の、
そのささくれだった木肌に、見事に引っ掛かったのだ。
基本的にはしっかりしてはいるがどこかぽやんと抜けていたりするが、
実にやりそうなイージーミスである。
しかし。
その程度の事件なら『ちょっとした騒ぎ』になどならない。
引っ掛かったのなら外せばいいだけの話なのである。
ならば何故、『ちょっとした騒ぎ』となったのか?


「まぁ、その時にがな…」


その理由は、の予想外の行動にあった。

急激に頭皮を引っ張られた痛みに少々涙目になりつつ、
被害の状況と程度を確認するべく振り返ろうとした
が、しかし、引っ掛かった位置が悪かったのか、
振り返れるほどに、自分と部材を繋ぐ髪のその長さに余裕は無かったのだ。
仕方無く、振り返る代わりにくんくんと軽く髪を引っぱって、
後ろを向いたままにも、冷静のその引っ掛かり具合を確認した。
そして周囲が固唾を呑んで見守る中、溜め息をひとつ。
首の後ろで髪を一束にして握る。
ともすれば、引っ掛かった髪を少しずつ丁寧に外していくとばかり思っていた、
周囲の予想を大きく裏切っては、腰に下げた工具ベルトからナイフを取り出すと、
そのまま髪へとあてがい、問答無用にもばっさりと切り落とそうとしたのだ。

無論、大工職のナワバリに実に耳触りの悪い野太い悲鳴がこだましたのは言うまでもない。


「………お前、そんな男前な性格してたか?」
「だって、振り返れないんじゃ外しようもなかったですし…」


なら周りの奴らに頼んでやって貰えば良かったろうに。
下心の有無にかかわらず、大工職の面子なら喜び勇んで手を貸したはずだ。
そんなツッコミが一瞬パウリーの脳裏を過ったが、すぐに打ち消した。
見かけによらずわりと個人主義者で、下手に責任感の強いのことだ。
こんなことでドックの作業効率を下げるわけにはいかないと、
自分でどうにかしなければと、そう考えたのだろう。
それは容易に想像のつくことだった。

話を聞けば結局は、「待たんか!」と自慢の脚力でもって、
一瞬でとの距離を詰め、ナイフを握る手に力が込められるよりも一瞬早く、
その細い手首を捕えたカクにより何とか無事、事無きを得たとのこと。
「職長ナイス…!」と一斉に安堵の溜め息を吐いた大工職面子の様子が、
無駄にありありと目に浮かんだ。
そしてその後、そのまま元来手先の器用なカクにたっぷり十数分をかけて、
丁寧に、毛の一本も千切れぬ結果で外して貰ったらしい。
「本当にすいませんでした…」とは、しょぼんとした様子でカクに再度謝罪した。


「はぁ…、まったく。勿体無ぇだろうが」
「勿体無い、ですか?」


女に関するあらゆる事柄に反発的なパウリーの目から見ても、の髪は綺麗なものだった。
誉める時に頭を撫でるぐらいでしか直に触れたことはないが、
切るに惜しい代物だと、素直に思う。
しかし自身については殊更無頓着且つ疎いは、
「何が勿体無いんですか?」と問い返したげな面持ち。
が、そこはいい歳こいて無駄に硬派にできているパウリーである。
そんな気障っぽい台詞、口にできるはずもない。
う"っと口籠ったパウリーを見てカクは、苦笑交じりにも代わって問いに答えた。


「お前さんの髪じゃよ」
「私の髪が…?」
「ああ。お前さんの髪は綺麗じゃからなぁ。
 切るのは惜しいと、つまりはそういうことじゃ」
「はぁ…」


そういうものなのだろうか。
ことりと小首を傾げたはどうにも釈然としない様子だった。

一方、自分には言えなかった台詞を実に平然と言ってのけたカクを、
フォローして貰ったことは自覚しつつも、八つ当たりまがいに睨み付けたパウリー。
対して「睨むな」とカクは至極愉快そうに笑った。
そんな二人のやりとりに『カク、その辺にしといてやれっポー』とツッコミつつルッチは、
『クルッポー!それに根本的な問題は解決してないしな』と腹話術で話の軌道を修正した。


「あァ? 根本的な問題?」
が髪を切るか切らないかって話だっポー!』
「おお、そうじゃった」


「あ」と口を開け放ったパウリーに、ぽむとグーとパーで手を打ったカク。
二人の反応に片手で顔半分を覆ったルッチからは「忘れてたのかお前ら…」と、
本気で呆れたような低い声音が洩れた。
それがルッチの地声であると気付いたのは、職長ズとだけだったのだが。


「ふーむ。要は作業中、邪魔にならなければいいんじゃろう?」


言うなり、にこりと笑って腰を上げたカク。
そうして長い足で数歩歩んでの真正面へと立つと、「隣、邪魔するぞ」と指差し、
「よっこいせ」と年寄りじみた掛け声を発してどかりと腰を降ろす。
そしておもむろに「ちょっとじっとしとれ」と言って、
自分に背中を向けさせる格好でをやや斜めに座らせると予告無くその髪へと触れた。
さすがにこれには驚いたが「か、カクさん…?」としどろもどろに返すが、鼻歌で黙殺。
の手首に結び付けられていた結い紐を取ると、
数度その骨張った指で手櫛を通して、器用にもあっという間に黒い髪を結い上げた。

呆気。
まさに周囲の心境はそれである。


「…カクさんってもしかして妹さんとかいらっしゃるんですか?」
「いいや?」
「でも何だか手慣れて…」
「元来器用にできてるようでな」
「そう、なんですか」
「そうなんじゃ」


結局、煙に巻かれてしまった。

結い終わり、ぽんぽんと頭を撫でられたは、
とりあえずお礼を言おうとカクに向かって座り直す。
そうして「ありがとうございました」と丁寧な動作でもって深々下げた頭。
ちなみにこの時の頭の中で『髪を切る切らない』の問題は、
カクに髪を梳いて貰った心地良さにすっかり抜け落ちてしまっていて。

だからそう、油断したのだ。


「ほれ、こうすれば問題無いじゃろう?」


ふわり、と。
下げた頭に被せられた温かい"何か"。
思わず瞑ってしまった瞼を頭と共に恐る恐る上げれば、そこにあったのは柔らかい笑み。


「───え?」


帽子を脱いだカクの笑顔だった。


「やろう」
「え、でも…」


ワシもお前さんの髪が好きじゃからな、と。
これで髪を切らんで済むじゃろう、と。


「"それ"に髪を押し込んでおけば邪魔にはならん。問題解決じゃ」





こうして大工職の師弟は、お揃いのGalley帽を被るようになった。



手フェチのカクスキーによる煩悩炸裂夢(笑)
お揃いのGalley帽の謎大解明です。(誰も謎になんて感じてねぇって)