拘泥する安寧


「…まぁ、綺麗な指輪だよね」


助けられた時にはめていたという指輪。
そこに彫られていたのは、自分のものである"らしい"名前と生年月日だった。


「何の金属か判らないけど、透かし彫りも本職の域だし…」


いくら助けられた時に身に付けていたとはいえ、
本当にそれが自分のものであるかどうかの保証なんて当たり前だがどこにもない。
何せ記憶そのものが無いのだから確かめようがない。
だからこの『』という名前も、生年月日から計算した一応の年齢も、
結局は仮定でしかなく、自分が『』という人間であるという、
確固たる証拠にはやはりならず。


「『へ。この日生を受けた君の幸福を願って』、か…」


けれど『』というその文字を見た時、それが自分の名前であるとすぐに確信した。
勿論、そこだけ記憶を取り戻したとかそういうことじゃなくて。
言うなれば直感。
そうこれは自分の名前である、と。
"悟った"とでも言うべきか。
悩む前に、意識と身体の方が何の躊躇いも無く受け入れたのだ。


「文面からすると、両親から娘への誕生日プレゼントって感じだけど…」


やはり違和感が残る。
指輪のサイズは今の自分の右手薬指にぴったり。
完全に合わせて作られたものだろう。
ともすれば幼少期に贈られたものとは考え難い。
かといって金属の磨耗状態から、それがここ最近作られたものでないことが窺える。
細かい傷や汚れ具合などを考えれば、おそらく少なくとも数年の年期は入ってるはず。

そもそも普通、親が娘の誕生日に指輪など贈るものだろうか。
というかそれ以前に、生年月日を彫り込んだ指輪なんてそれ自体が珍しい。
まぁ生年月日が入ってるおかげで、
それが恋人やら何やかやのプレゼントではないと思えるのだけど。


「んー…、やっぱり判んないや」


今日もまたお手上げ。
それ以上の考察はあっさりと放棄して、ごろりと寝そべる。
1番ドックの、工場の屋根上に。

指輪を翳す。
銀色の輪の中に広がる青い空。
浮かぶ白い雲。
遠く屈もって聞こえる眼下の喧騒。
鮮明に鼓膜を打つ水の音。

それらの何一つに懐かしさを覚えない自分は、少なくともここの住人ではなかったのだろう。
思って、一抹の寂しさを感じた。


「…あれ?」


と。
突如青空に出現した、太陽を背負った一点の黒い影。


「あれは…、カクさん?」


他にいるわけもないのだけど。
この街で"山風"と呼ばれるのはカクさんだけだし、
そんな芸当ができるのだって勿論カクさん以外にいない。
問題は時間帯。
この時間、カクさんが休憩を取ってることはあまりない。
なら査定の帰りだろうか。
でなければ行きか。

そんなことをつらつら考えている間にも黒い影は徐々に大きくなり、
数秒後には既にくっきりとした輪郭を得て。


「何もこんな高い所で休憩せんでもええじゃろに」


シュタッ、と。
何てことはなく着地したのはやはりカクさん以外の何者でもなかった。


「あはは、工場の屋根上って街のどこよりも空が近いから。好きなんです」
「まぁ確かに、工場も街の活気も遠いしの。
 考え事をするにはうってつけの場所ではあるがなぁ」


しかし屋根の上に寝っ転がるのは関心せんぞ、と。
言うとカクさんは、「どっこいしょ」と年寄りじみた言葉を発して、
どっかりと私の隣へとそのまま腰を降ろした。
自分だけ寝転んでいるのは気が引けて、身を起こす。
すると「相変わらず生真面目なことじゃな」と、言ってカクさんは笑った。
色々と、私の考えてることなどまるでお見通しらしい。
気遣うように頭をくしゃりと撫でられる。
休憩中だしと帽子は脱いでいたため、直に触れられる髪。

大きな手。
長い指先。
乾いた掌。

優しく温かなそれら。


「どうじゃ、収穫は?」


色んな要因が一挙に混ざり合って。
心臓が一つ、どくりと大きく脈打った。


「…残念ながら、今日も今日とてゼロです」


過去の"か"の字にも掠りませんでした。
肩を竦めてみせればカクさんは「そうか」と、それ以上何も言わず空を見上げた。


「ま、急(せ)くモンでもなしに。気長にな」
「はい」
「ただし間近に迫る納期については少々急いた方がええじゃろな」
「…はーい」
「よしよし」


その言葉がやはり嬉しくて。
その笑顔がぎゅっと胸を締め付けて。

持て余す胸の内と、口元を緩くするこのくすぐったい気持ちをどうにかやり過ごさなければ。
思い立ったが吉日とばかりに、「それじゃお先に失礼します」と告げて手早く腰を上げた。










普段は帽子の内に押し込めてある艶やかな髪を、
惜し気もなくなびかせて軽やかに降りていった


「『気長に』、か…」


よく言う。
内心そんな自嘲じみた悪態を吐く自分に、苦笑が込み上げてくるのを留められなかった。


「まったく…、『急くな』なんぞ一体誰に言い聞かせとるのか」


は全く急いてなどいない。
むしろ急いてるのは自分。
焦燥を覚えているのも自分。


「…なぁ、


が助けられた時、指輪は右手の薬指にはまっていたという。


「お前さんが指輪を首から下げてるのを見る度に、いちいち安堵しとると知ったら…」


あの指輪がチェーンを通しての首に下がっている内はまだ、と。
あの指輪がその右手の薬指を飾っていないことを確認しては大丈夫だ、と。
一喜一憂。
安堵してはまた不安に浚われる、その繰り返し。

それは、絶え間無く打ち寄せては引き去る波のように。





「───その指輪さえなくなればと、そう考えるワシをお前さんは愚かだと笑うか…?」





それはこの頬を撫でる穏やかな風のように掴み所の無い、恐怖。



オリジ色濃いっスねー…。
でも書き上がってるCP9夢をupするには、先にコッチを上げといた方がいいかと思いまして。
つかこのSSも本当はお蔵入りするはずだったんですけど…お蔵入り多いなぁ、自分。

image music:【tangeline】_ from pop'n music.