それは、あまり脈絡の有る話ではなかった。


例えばそれは
青空色の足踏み


「なぁ、
「はい?」
「もし、な…」


休憩中、隣に座るカクさんがぽつりと口を開いた。
私の胸元に、要するに先程まで空に向かって摘まみ上げていた指輪へと落とされるその視線。
仕事柄、手にアクセサリーやら何やらの貴金属を身に付けるのは好ましくない。
だから普段から指輪は、ココロさんに貰った細いチェーンに通し首から下げることにしてる。
ただ休憩中の今は何とはなしにいじっていたため、それはジャージの上にあって。
カクさんの骨張った指が銀の輪に触れる。
そっと、撫でるようにその輪郭をなぞる。


「もしも、その指輪をくれと言ったら…お前さんはそれをワシに渡すか?」


それはとても困ったような、弱ったような複雑な苦笑いだった。


「この指輪を、ですか?」
「ああ」


どうしたのだろう、急に。
デザインが気に入ったのだろうか。
けれど身に付けるとしても確実にカクさんの指にはサイズが合わない。
リサイズをルルさんに頼むにしても透かし彫りでは難しいだろうと思う。

カクさんの真意が量れず、僅かに返事に逡巡した。


「急にどうして?」
「………」


この指輪は唯一、私の過去を証明する"かもしれない"もの。
そして今こうして名乗ってるこの名前も歳も、
全てこの指輪に刻まれていたものなのだから、
ある意味、今現在の私をも証明していることになる。


「…そうですね」


私を、私という存在の基盤を唯一象るそれ。





「いいですよ」





言えばカクさんは、ぽかんと口を開け放って丸い目を更に丸くして目を見張った。





「………何じゃと?」
「? いいですよ?」
「いいって…お前さん」
「カクさんが欲しいのならどうぞ」
「いや、しかしな…」


自分から聞いておいて、あたふたと動揺しているカクさんが何だかとても可笑しい。

確かに"重要"なものではあるのだと思うけれど。
"大切"なものかといえば、そうでもない。
少なくとも"今の私"にとってはそう。
こうして身に付けてるのだって何となくというだけのこと。
唯一の所持品だからといって、特に執着があるわけでもない。


「記憶を取り戻すきっかけなるかもしれん大切なモンじゃろう?」
「まぁそうなんですけど…確かに記憶が戻るに越したことはないんでしょうけど、
 記憶も戻らなければ戻らないで別にいいかなぁ、なんて今は思ってたりするので」
「………」


もしも記憶が戻る日が来れば、それはとても大切なものになるのかもしれないけれど、
記憶が無いままの今の私にとってそれは、やはりただの指輪でしかないのだから。
ちょっとどころか大いに無責任な話かもしれないけれど、
誰かに欲しいとお願いされてプレゼントするのに特に躊躇いを生じる程の品物じゃない。

それに、それがカクさんなら尚更。


「あ、でもこのチェーンはちょっと…」
「?」
「これ、ココロさんがくれたんです。
 いくら指輪だからって、指につけてたら仕事の邪魔になるだろうからって」
「ああ、成る程な」


納得した様子のカクさんの表情を承諾と捉えて、
指輪を渡そうと首の後ろへと手を伸ばせば、そっと長い指先に止められる。
何だろうと思って顔を挙げれば、隣のカクさんは穏やかに苦笑していた。


「カクさん?」
「いや、すまん。聞いてみただけじゃ」


そしてそのまま、帽子越しにもゆったりと頭を撫でられて。


「まったく…お前さんには適わん」
「?」
「大事にするんじゃぞ。
 何といったって、"大事な"お前さんの名前が彫ってあるんじゃからな」
「…はい!」
「ワハハ、やっぱり適わんな」
「?」


それとも単に自分が臆病なだけか。
笑ってそう呟いて、カクさんは真っ青な空を見上げた。



大事って…! 大事って言われてるんだよヒロイン…!
『大事』は、『名前』じゃなくて『お前さん』にかかってるんだよー(笑)

image music:【スターゲイザー】_ スピッツ.