「───分を弁えぬか、小娘めがッ!!」





じりりと熱を持つ右頬を抑える自分の手は、思いの外冷たい代物だった。


人は
曖昧なもの程
恐れ尊ぶもの
だから


「何が、弁え足りないんだろう…」


反応の一つも示さない自分に興が醒めたらしい。
足並み荒く去り行く男達の背中を見遣りながらぼんやりと呟く。

私が身を置くのは豊臣の軍。
ワールドトリップなんていう漫画か小説の中でのみ起こるべき事象に、
呆気無く見舞われたこの身はこの戦国もBASARAの世界へと跳ね飛ばされた。
そうして流され着したのは名古屋、尾張の国。
異世界へと放り出された私は何度も死の淵を彷徨いながら、
小さな、本当に小さな農村へと辿り着いた。
当然、拒絶されるものと思っていた。
しかしその村は、飢えと乾きで目も当てられなかったであろう私を手厚く受け入れてくれた。
今顧みてみれば何という幸運だったのだろう。
私を拾い、介抱してくれたのは村でも村の長に次ぐ長命な老夫婦だった。
戦で年若い息子を失ったという彼らは私を娘として置いてくれた。
嬉しかった。
ただただどうしようもなく嬉しかった。
だから私は、私が持ち得るものの中で、
この村の人々からの恩に替えられるものがあるのならば全て差し出すと決めた。
この時ほど、物の設計を専攻することを決めた自分を誉めたいと思ったことはなかった。
私に持ち得て、彼らに差し出せるもの。
それは現代知識の再現。
最初に手を付けたのは農具だった。
養父の手を借りて木を削り、慣れない手付きで皮膚を削り、
高校の日本史の授業で見かけた、資料集に載っていたそれを見様見真似で作り上げた。
戦で若者が狩り出され、働き手が中年寄りと幼子となっていたこの村。
人々にはとても喜ばれた。
次いで、農作業の手法。
この時代にはまだ開発されていない、手法の一部を伝えた。
村は少しだけれど豊かになった。
村人達の慎ましさを失わせることなく豊かになった。
何かを生み出し育む道具を考え、作り出すのは純粋に楽しかった。

そしてしばらくして、その時はやって来た。


『───これらの農具を作ったのは君かい?』


柔らかに波打つ白い髪。
陽に透くような白い肌。
病的とするよりも鮮やかと、そう強く視覚に映り込む紫水晶の瞳。


『君を豊臣の軍に迎えたい』


その丁重な物言いとは裏腹に、既に村の周囲は一個小隊が取り囲んでいた。

一体、どこをどう辿って私に辿り着いたのか。
一瞬そんな疑問が脳裏を過ったが、すぐに打ち捨てた。
私のような一百姓になど知る由も無いことだ。
そうして速やかに逃避を切り上げ、現実を直視する。
眼前には白く紫がかったの男。
戦場以外では仮面を外しているのか。
普段からあのヨーロピアンな格好をしているわけでもないのか、などと。
危うく再度現実を逃避しかけて何とか踏み止まる。
背後には声を失して震える村人達。
地に額を擦り付けて、慈悲を嘆願する義父と養母。

───ありがとう養父さん、お養母さん。


『どうだろう、君?』


選択肢は、無かった。










『次の戦は城攻めになる。何か妙案はないかな?』


竹中半衛兵の邸へと身を置くようになってしばらくは、
農耕に関わる道具の開発と、作業手法に関する整備をまとめることに明け暮れた。
成果は、月毎に半衛兵から手渡される検地の報告書に、
具体的な数字として如実に表れていった。
それに伴い、相応の地位が与えられていった。
豊臣秀吉に度々の目通りが叶う程に。
不足は無かったが、充実することも無かった。
半衛兵の邸に引き蘢り、半衛兵より担わされた政務・執務をこなす日々。
そんなある日のことだった。
『何か妙案はないかな?』
まるで明日の天気を聞いて寄越すような気軽さで半衛兵はそう言った。
その口調には試す素振りこそ無い。
しかし『無い』という回答など、認められるはずもないことはすぐに理解し得た。
私の命の背には、あの村が、あの村の人々が在る。
そう、選択肢など無い。
そうとでも思い込まなければ、答えることなどできなかった。


『成る程……さすがだね、


それから私の仕事は、どれだけ効率的且つ大量に人を殺すかを考えることになった。










「───分を弁えぬか、小娘めがッ!!」


半衛兵に囲われ、豊臣秀吉に重用される百姓の娘。
心温い風当たりなど期待するはずも無い。
しかしそれ以前に、風当たりなどどうでも良くなっていたのも事実。
そう、どうでも良かった。
あの村が今もあの場所にあり、あの義両親が生きているのならば、
それ以外の事象など何がどうであろうと構わない。
ただこうして絡まれるのは面倒だった。
半衛兵の邸に引き蘢る私は、半衛兵や豊臣秀吉の命でもなければ私は登城しない。
だからかもしれないが、こうして私の登城を見計らって待ち伏せる者も居た。


「何が、弁え足りないんだろう…」


彼らは何が気に入らないというのだろう。

半衛兵が私を傍に置くのは、私の作る兵器が優れているから。
半衛兵が私に微笑むのは、私の持つ智識が有用だから。
半衛兵が私を戯れにも抱くのは、私の身体が手近に存在するから。

私自身に価値などない。
価値があるのは私の作り出す兵器と用いる智識、そして女という器。


「早く、帰ろう…」


そう、根幹にあるのは豊臣秀吉への一心。
彼のために、彼の思想を実現するに見合う軍を用意すること。
それだけが半衛兵の生きる目的であり理由なのだ。
私はそれを実現するために、半衛兵の手札へと加えられた一枚。
ただそれだけだというのに何を妬むことがあるというのだろう。


「女性の顔を手の甲で殴り付けるとはね。
 これは調教しつけの見直しが必要かな」
「! 半衛兵…」
「また思いきりやられたものだね」
「…っ」
「ああ、痛むかい?」
「…どうでも、いいもの」
「そう」


半衛兵の温度の低い掌が腫れて熱を持つこの頬を包み、撫でる。
乾いたその唇が甘ったるくこの輪郭に触れ、なぞり上げた。
まるで睦言じみたそれ。
けれどそこに感情のぬくみなど一欠片も無い。
物を扱うのと同じ。
だから私はされるがままにも、無抵抗にそれらを甘受する。


「門前まで送るよ」


私が半衛兵の傍に居るのは、彼の手にあの村の全てが握られているから。
私が半衛兵の笑みを受けるのは、彼の手にあの村の全てが握られているから。
私が半衛兵に戯れにも抱かれるのは、彼の手にあの村の全てが握られてるから。

半衛兵自身に価値を見出しているからでは決してない。
私が失いたくないのはあの村であって、半衛兵じゃない。
ないのに。
ない、はずなのなに。


「ああ、そうだ。
 さっき君に手を上げたあの男には相応の懲罰を与えておかないとね」


離れていくその冷めた温度に、感傷じみたか細い痛みを覚えてしまうなんて。





「───僕の物に手を出すとどうなるか、知らしめるには良い機会だ」





ああ、けれどきっと。
半衛兵の命が費えると同時に、私もあの村もこの世から消えて失くなるのだ。



姫さんとは別ヒロインで半衛兵夢。
利用する(ことを利用する)者と利用される(ことに利用される)者。
方やそれを愉しみ、方やそれを苦しみ……で、秀吉は基本放置プレイ(泥沼やん)