ねぇ、
君に決めた。


ギイ、ギギギギギィ。


「いらっしゃいませ」


軋む木製の扉を押し開き、店内へと入って来たのは紺のブレザーを着た女子高生だった。


「本日はどのような御入用でしょうか?」
「表の張り紙を見たんです」


女子高生は、『全てがらしくないもの』で構成されている店内にも、
さして気にとめた様子も無い。
にこやかに店主席で微笑み対応した座木に向かって、閉めた扉の前でそっと一つ会釈をする。
そしてそのまま自分の来店の理由を噫も無く、実に簡潔にきっぱりと告げた。
その一連の態度は、いつもの通りに本棚の間へと身を隠した秋をして、
「今時珍しくも潔い女子高生だね」と言わしめたほどだった。


「表の張り紙、ですか…」
「はい」


表の張り紙。
要するに秋手書きの、悪徳商法に良く見かけるようなキャッチフレーズのことだろう。
どこぞ武術道場よろしく厚い木の板に墨で『深山木薬局』と書かれた店の看板の、
その脇に所在無く貼られているそれはもはや雨風に晒され、
解読できるかできないかギリギリの状態にまで文字の溶け切っている。
ずばりそこにはこう書かれている。


『どんな薬でも症状に合わせてお出しします』。


薬事法をものともしない内容である。
まるで悪い冗談のようだが、実際真実『看板に偽り無し』なのだから更にタチが悪い。


「本当にどんな薬でも作って貰えるんですか?」
「Yes, of course !」


座木が口を開く前に彼女の問いに答えたのは、良く通る少し高めの声だった。


「へ?」
「秋…」


店の奥、正しくは棚の間から発せられた耳に心地良いクイーンズ・イングリッシュに、
また棚の奥から姿を現した、小柄の美少年と赤毛の男の子の登場に、
女子高生は少しばかり間抜けな声を上げて目を見張った。


「どんな薬を御所望で?」


溜め息を一つ、腰を上げた座木と入れ替わるように店主席へと腰を据えた少年は、
机に肘をついて組んだその指先の上に顎を乗せるとニコリと笑う。
一方、美少年という壁をなくした赤毛の男の子は、ささっと座木の後ろへ隠れた。
突然の、同世代を軽く百馬身は引き離す15歳そこそこの超絶美少年と、
自分を見て怯えるように隠れた幼い子供の登場にやはり一瞬面食らったようだったが、
元来適応力があるのだろう。
すぐに真面目な表情に立ち戻ると女子高生は、またも潔く簡潔に答えた。


「私の特殊な能力を消す薬を作って下さい」


相当に冷静で沈着な性質の持ち主なのか、
はたまたよほど切羽詰まっているのか。
でなければダメもととばかりに完全に開き直っているのか。
リベザルにはその判断はつかなかったが、
その真っ直ぐな姿勢は、人見知りの激しいリベザルの目にもとても好ましく映った。


「特殊な能力を消す、ですか?」
「はい」


確認するように問い返した座木に、女子高生はこくりと頷く。

古ぼけた骨董品店を彷佛とさせる、
というよりもむしろ店自体が骨董品のようですらある焦茶色の木張りの建築。
秋曰く『レトロ』という時代錯誤なガス灯、に見せかけた蛍光灯。
極めつけはどこぞの武術道場を思わせるような木板墨書きの店の看板。
そんな怪しい薬局に客として訪れる人間は、
大抵は公の場に出られないか、もしくは手段を選んでいられないとばかりに、
窮状極まっているというパターンがほとんどだ。
どうやらこの女子高生は、御多分と例にも漏れず前者であるらしかった。


「ふぅん…、で、どんな能力なの?」


その至極平素な態度からそれが冗談やひやかしの類いでないことは一目瞭然。
どこかわくわくと浮き立った様子で秋はパイプ椅子勧めて、話の先を促した。
すると素直に椅子へと腰を降ろして女子高生は、
「うーん…、何と説明したものか」と利き手を口元へと添えて小さく唸る。
店に入ってから初めて見せた年相応の仕草だった。


「あー…、唐突で申し訳無いんですけど、植物か植物の種とかあります?」
「植物の種、ですか」
「はい」


パチン!


「へ?」
「ハイ、種」


にっこりと差し出された黒い種数粒。
少年が指を鳴らしたと同時に、突如何も無い空間から出現したそれ。
確かに種。
まごうことなき何かしらの植物の種子である。


「…ええと。とりあえずは保留、というか、
 これは手品なんだってことで納得しといてイイですかね?」
「状況判断能力に優れているようで助かるよ。そして直感にも優れてるようで結構結構」


彼女の反応に更に気分を良くしたらしい秋は、
うんうんと頷いて、差し出された掌へと黒い粒を乗せた。
どうやらいたく彼女のことをお気に召したらしい。
性格を知る者にすれば詐欺としか思えない天使の笑みを浮かべている。
それも営業用ではない本来の笑みを、だ。


「…見てて下さい」


そんな、見れば男女問わず十人中十人が赤面するような笑みにもさしたる反応を見せず、
彼女は表情を真剣な面持ちに検めて、掌の上の黒い粒へと視線を落とした。


「え…?」
「しっ、リベザル」


種を覆っていた黒い薄皮がピリリと割れる。
ひょこっと萌黄色の芽が頭を覗かせる。
続いて子葉、双葉、本葉と鮮やかなまさに文字通りの萌黄色の葉が開いた。
次いでしゅるりと細い蔦が肌に沿って伸びる。
まるで科学番組で良く見る、カメラを高速再生するかのような光景。
ぷくりと膨らむと、間もなく綻び始めた蕾。
ふわりと香る甘やかな芳香。
そうして可憐に花弁を開いた白い小さな花。
種の正体はどうやらラビアンローズだったようだ。
いつの間にやら肘の辺りまで伸びていたらしい蔦の、
その緑が纏う可愛らしい棘が、皮膚を裂かない程度の強さで白い肌へと食い込んだいた。


「うわぁ…!」
「おぉ」
「これは…」


ものの数秒の内に。
水も土も無しに、種から見事に開花した白薔薇。


「スッゲ───!」


今まで一言も発していなかった赤毛の男の子が、
興奮したように頬を染めて白薔薇に釘付けになった。
そのきらきらと輝く大きな瞳はすっかりと花へと釘付けで、
どこか寂しげな苦い笑みを浮かべた彼女の表情は映らなかった。


「FFならヘイスト、ドラクエならピオリムをかけた感じだな」
「ですね!」
「しかし華人、華仙なんて久々に見たなぁ」


はしゃぐ男の子を余所に、腕を組んで関心したように感想を零した美少年。
その耳を掠めた聞き慣れない単語に女子高生は小さく首を傾げた。


「ハナビト、カセン…?」
「そう。中国の…というよりは東洋の花の精」
「いや、私人間なんですけど」
「ん? そういえばそうみたいだね」
「そういえばって…」


この美少年、大丈夫か?とでも言いたげなその表情。
突然何も無い空間から種が出現したり、
精霊やら何やらの非現実的な単語が出てきたというのに、
この女子高生が聞き知らぬ単語に不思議そうな顔こそすれ、
訝しげだったり胡散臭そうな顔一つしなかったのは、成る程、この能力故というわけか。
一人納得して座木は、たしなめるように赤毛の頭を撫でる。
すると撫でられたリベザルが不思議そうに見上げきた。
自分と同じ条件で悟れとは酷か。
きょとんとした大きな瞳に座木は穏やかに小さな苦笑を落とした。


「能力だけの超隔世遺伝なんて珍しいなぁ」
「隔世遺伝、なんですか…」
「そう。それもかなりの世代を隔絶した隔世遺伝。
 だから君はほぼ人間と変わりないわけ。
 で、君はその能力を消す薬を作って欲しいと」
「はい」


秋のこれまた簡潔な説明に、いきなり現実味を覚えられるわけもないのだろう。
しかし納得はせずとも、とりあえずそういうものなのだと暫定的に理解したらしい彼女は、
秋の再確認にも別段動揺した様子も無く改めて頷いて見せた。

が、しかし。


「勿体無い」
「はい?」


返ってきたのは、そんな可愛い顰め面。


「だって素晴らしい能力じゃないか」


僕なんか喉から手が出る程じゃないけど、欲しい能力だよ。
言って秋は大仰に肩で溜め息を吐く。
対して彼女はぐっと眉根を寄せると反論した。


「確かに種からならこうして花を咲かせることができますけど、
 でもそれが生きている植物なら、触れるだけで問答無用枯らしてしまうんですよ?」


言って、三人の眼前へと持ち上げられたその掌。

つい先程、蕾を開いたばかりの白薔薇は、
見遣ればこの会話の間にも端々から瑞々しさを失い、
ついにはかさかさと乾いた音を立てて崩れ落ちていった。

小学生まではそれが普通だと思っていた。
皆そうなんだと思っていた。
けれど違った。
周囲には気味悪がられた。
中学時代は徹底的に隠し通した。
高校に入って、人に触れることさえ恐くなった。
触れただけで植物を枯らすということはもしや、
人の生命も同じくして枯らしてしまうのではないかと。
物的にも心的にも人と触れ合わぬよう、
着かず離れずの、当たり障りのない距離でしか人と居られなくなってしまった。

言って彼女は自嘲げな笑みを浮かべて俯いた。
その表情に、先程座木が自分をたしなめた理由にようやく思い当たってリベザルも俯く。
浅はかだった。
今更後悔しても後の祭り。
弁解の言葉も謝罪の言葉も見つからず重く黙り込んだリベザルを見て、
彼女は「あ…」と顔を挙げると、少しだけ躊躇って、けれどやはり柔らかく苦笑した。
そして一言「ありがとうね」とだけ告げて、秋へと再度向き直った。


「それでこの力を消す薬を…」
「それは君が力の制御方法を知らないからだよ」
「は? 制、御…?」
「そう、制御」
「…できるの?」
「モチロン」


パチン!

小気味の良い音を立てて鳴った指先。
彼女の指から肘にかけて絡み付いていた白薔薇が消えた。


「制御さえ覚えれば、逆に植物を癒すこともできるようになるよ」


言って秋は背後の二人を振り返る。
すると言わずもがな、秋の意とするところは了承しているらしい座木はにこりと笑って頷き、
リベザルは頬を染めてぶんぶんと首を縦に振り乱した。


「ねぇ、どうだろう」


くるり、と。
ふわり、と。
再度彼女へと向き直った秋は、片手を差出しにっこりと笑った。





「その能力を生かして、ウチでバイトしてみない?」





そうして彼女は、深山木薬局初の住み込みバイトとなった。



ずっと前に書き上げて、放置していた薬屋夢。
何だか続きそうな感じですが、そんなことはなく。
っていうかイロイロとツッコミどころは満載でしょうが、どうぞノーツッコミの方向で…(汗)