ティー・
タイミング


「よし、っと」


座木さんに奇襲を掛けようと、抜かりなくセッティングしたのは中国茶。
用意したのは華茶、所謂お湯を注ぐとふわっと茶葉が花のように開くお茶だ。
秋との『訓練』で使った植物達のリサイクル。
千切ったり結んだりして作ったお茶の玉は、自分こんな才能あったんだと驚く出来だった。


「座木さん起きてるかな」


おそらくこの時間、座木さんは部屋でウィスキーを片手に読書に勤しんでるだろう。
ちょっとした差し入れになるといい。
カッチャカッチャと茶器を鳴らしながら階段を上がる。
辿り着いた座木さんの部屋の前。 その黒い扉を手の甲で2回叩こうと拳を握る。
が、しかし。
瞬間、扉越しに中から聞こえてきた座木さんの声に手を止めた。


「…あ、成る程」


途切れ途切れに聞こえてくるその落ち着いた声色は、
トーストに乗せるトッピングについて誰かと語っていた。
電話中か。
つい先程リビングで見た時計の針の位置を思い出す。
相手はきっと依頼人だ。


「……自分で飲も」


確か夜の11時になると柱時計の鐘の音と共に子供が戻って来ると言ってたように思う。
こんな名案があったとは。
もっと早く気付くべきだった。
そうすれば多少なりとも依頼人の不安を払拭できたのに。
(もっと言えば依頼人の言動の真偽を見定める手数にできたのに)


「それにこんなヤキモチなんて妬かなくて済んだし?」


答えの無い自問自答は溜め息に交じって消えた。


「これはヤケ茶かな」


座木さんは優しい。
気遣いの点でいったら、私は座木さん以上に思いやりに満ちた人を知らない。
だからしょうがない。
だって私はそんな座木さんが好きなのだから。
苦笑いを食んでおどけつつ、すごすごと自分に与えられている部屋へと戻る。
そういえば自分はまだ、この部屋のことを『自分の部屋』と言い切ることができない。
住み込みアルバイトの、部外者の遠慮といったらそうなのだろうけれど、
実はまだ彼らの中に上手く馴染めていないという心の表れなのかもしれない。


「…どうでもいっか」


少しばかり苦労して部屋の扉を開け、電気を付け、扉を閉じる。
お茶のセットを机の上に置いて大きく息を吐き出した。
別に溜めて吐き出したわけではないのだから、これは溜め息では決してない。
そう言い訳している時点でそれは溜め息なのかもしれないけれど。
やはり落ち着くのだ、この部屋に戻ると。
世界から切り離された安心感。
秋や座木さんやリベザルは一緒に居るととても楽しいけれど、
やはり自分以外の誰かと一緒に居る間は一人で居るよりも多かれ少なかれ緊張する。


「さてと」


こぽこぽと、華玉を入れた透明なティーカップにお湯を注ぐ。
華が開いていく様を、机に片頬を貼っ付けて横から眺める。
まるでテレビで見かける失恋の一シーンを思わせる構図。
あ、何か嫌だな。
妙に物悲しい気持ちになった。


「秋とリベザル、早く帰って来ないかな…」


こうなってしまえば、座木さんと二人きりという美味しいシュチュエーションも、
苦痛とまではいかないが疲労以外の何でもない。
自分もわりと乙女に出来ていたらしい。
こんな電話程度で嫉くとは。
つまらないなんて。
寂しいなんて。
まるで子供だ。


「つい最近までこれが普通だったのにな…」


一人の家、一人の部屋。
高校の友達にはいつだって羨ましがられた独り暮らし。
帰って来れば電気を付けるのが最初の仕事で、
出迎えてくれるのは電気に続いてスイッチを入れたテレビの音。
それがここ最近、彼らと一緒に生活するようになって一転した。
玄関の扉を開ければガス灯まがいの柔らかな白熱灯の光が目に染みて。
靴を脱いで上がれば小さな男の子が『おかえりなさい!』と駆けて出迎えに来てくれる。
リビングに入れば優しげな男の人がキッチンからわざわざ顔を出して、
『おかえりなさい』と笑いかけてくれて、
タイミングさえ合えば抜群の美少年が『おかえりー』とソファに反っくり返って、
学校に行って帰るだけの道のりに一体何を期待しているのか『お土産は?』とねだってくる。


「今までこんな寂しい生活してたんだ、私…」


自分以外の他人のぬくもりのある生活。
それはとても温かくくすぐったくて、そして慣れていない分少しだけ疲れる。


「でもこういうのも幸せの内、なの…かな」


温かな湯気の香りに心地良く眠りを誘われ、そのままふっつりと意識を手放した。





──────





コンコン


さん?」


なるたけゆるやかに、第一関節で2度ノックする。
返事は無い。
首を傾げる。
部屋の中には気配がある。
しかし当の部屋の主に身動きした気配は無い。
気配がひたりとも動かないということは寝ているのだろうか。
しばし逡巡したが、結局は「失礼します」と一言断りノブに手を掛け扉を押し開いた。


「…おや」


鍵の掛かってないそれを開けば、
机につっぷして静かな寝息を立てていた少女。
その横には中国茶器のセット。
ガラスカップは2つ。
その中には開ききった花が、もはやふやけてだらしなく水面へと浮かんでいた。


「これは悪いことをしてしまいましたね…」


何か自分に用があるのだとは思っていたのだが。
まさかお茶の差し入れだったとは。
悪いことをしてしまった。
明日は朝の挨拶の次に謝罪を。
そして彼女が1番好きなダージリンのロイヤルミルクティーをいれよう。


「さて…」


彼女の部屋に、軽く掛けられるようなタオルケットの類いは無い。
住み込みという遠慮からか、はたまた彼女の趣向なのか、
この部屋には簡素な必要最低限の物しか置かれていない。
一旦部屋を出て自分の部屋に戻り、読書中の転寝用である小さな毛布を取って戻る。
そしてそっと、その華奢な両肩に掛けた。
浅い呼吸に合わせて上下する狭い背中。
いつだったか秋が言っていた台詞を思い出す。





『本人は気付いてないみたいだけど、
 って寂しさを知覚しないよう本能的にスイッチが入るみたいだね』

『まるで眠り姫だ』

『まぁ随分とメルヒェンな自己防衛機能だけど』





「『眠り姫』、ですか…」


彼女は中学に入学してからずっと一人暮らしをしているのだという。
両親は両方とも健在で、『23区のどこかの区』で暮らしているのだそうだ。
理由のほどは『気味悪いんだって』と、
実にあっけらかんと言い放った彼女の様子を今も鮮明に覚えてる。
『まぁ私も我が事ながら気味悪いと思ってたし』。
彼女の表情に卑屈や自嘲といった類いの色は一切無かった。
それは『自分に出来ないことは、他人に求めない』が彼女のスタンスであり、
だからこそ実娘に『気味が悪い』と別居を求めた両親に対しても、
やはり同じ理屈で彼女は別段の嫌悪を抱いてはいないのだと言う。
『毎月生活費を送って貰って助かってます』程度の話なのだと。
本人こそまるで悲観的に捉えてはいないが、
端から見れば大方不遇と称される生活送っていると判じられるだろう。
彼女の潔さはそういう環境に適応するために秀でたものなのかもしれない。


「今度は私の方から差し入れましょう」


既に冷えつつあるカップを持ち上げる。
出過ぎて濃く、深く苦みの奔ったそれに口を付ける。
ふわりと鼻孔をくすぐった、甘い茶の香り。


「ごちそうさまでした」





──────





「…あ、れ」


いけない、寝ちゃったのか私。
時計を確認する。
日付けの変更線はつい20分前に過ぎていた。
どうやらうたた寝で済んだらしい。
中途半端な睡眠でぼけた頭のまま、眠りこける寸前までをとろとろ思い返す。
思い返そうとして、ようやっと背中にかかった温かな重みに気が付いた。


「毛布…?」


毛布なんて掛けて寝た覚えはない。
元より毛布なんて代物、この部屋には無い。
私の持ち物じゃない。
ともすれば。
今この家に秋とリベザルは居ないのだから、消去表でいけば座木さんの物になる。


「あ…」





いつの間にか空っぽになっていたカップに、思わず目の奥が熱くなった。



ヒロインの設定を織りまぜつつ『銀の檻を溶かして』ネタで。
というか『銀の檻を溶かして』といえばもう憎茶のイメージしかないんですが…(笑)

image music【望郷〜過去への扉〜】_ 志方あきこ.