光射す世界


「そんなに自分のしていることに納得できていないわけ?」


紅い炎。
黒い焔。

鼻腔に突き刺さる刺激臭。
胃の底から不快感を押し上げてくるそれ。
咽せ返るような蛋白質の焦げる臭い。


「…これはこれは。
 私としたことが、君のような素敵なレディの名に覚えがないとは何とも不覚なことだ」
「あら、戦場こんなところでこんな色男に口説かれるなんて思いもしなかったわ」


これが一般人ならいちいち『蛋白質の焦げる』などとはせず、
単純に『人が焼ける』と表現するのだろう。
それは錬金術師の性といえば決して間違いではないのであろうが、
実際にはおそらく無意識にも自分を正当化しようとする心の働きなのだ。

自分が灼いたものは人間ではないと。
自分が灼いたものは"人体"であり、"物質"だったのだと。


「クールな切り返し、惚々するよ。
 …すると君が"冷厳の"、かな?」
「イエス。初めまして、焔の錬金術師殿」


轟々と灼熱の煙る中、涼やかに鼓膜へと浸透した女の声。

冷厳の錬金術師。
確か当時14歳という最年少記録でもって国家錬金術師の資格を取得したという話だ。
所謂、天才児というやつなのだろう。
しかもどうやら相当なキレ者でもあるらしい女軍人は、
中央セントラルでは"女狐"やら"女豹"、"鷹の目"と専らの評判だと親友が言っていたか。
容姿の方も端麗で美人の部類に入るのだろうと客観的には判じられたが、それだけだった。


「確か君は隣接区域の殲滅にあたっていたのでは?」
「まぁね。それもあっさり片付いたちゃったからこっちへと加勢に来たのよ」


紅黒い光景を背に、ゆったりと気怠げに髪を掻き揚げるその仕草は艶やかで、
漆黒の髪と青い軍服とも相まって、まるで気まぐれな黒猫を思わせる。
戦場に黒猫。
場違いも甚だしい組み合わせだ。
ついに熱風で脳細胞まで融けたかと内心ごちた。


「ねぇ、そんなに自分のしていることに納得できていないわけ?」


先程と全く同じ台詞を、今度は鋭い"鷹の目"が口にした。


「……君は私を愚かだと思うか?」


何を問い返しているのか。

すっと、突き放すような色味に変わった黒曜の瞳。
それは軽蔑の眼差しか。
はたまた単なる観察行為か。
でなければ同情か何かの心遣いだろうか。
どこか霞掛かった脳では、その判断はつかなかった。


「どうして私に聞くのよ」


まったくだ。
一体何がしたいのだ、自分は。
どうして彼女に問うたのか。
それこそ当の相手に言われて初めて気付くのだからどうしようもない。
まさに愚鈍。
灼き切れた自分に嫌気が差した。
灼け焦げた人間にも、灼け付いた世界にも。

ああもううんざりだ何もかもが鬱陶しく忌々しい。


「まったく…そんなことを他人に聞く程、自分のしてることに納得できてないの?」


対して、女はやれやれといった具合に肩を竦めて寄越す。
それはまるで手の掛かる子供を前にした母親といった仕草で。
見遣ればつい数瞬前まで小高い瓦礫の上に腰掛けていたそのしなやかな姿態は、
いつの間にやら更に高みにある瓦礫へと佇み、此方を見下ろしていた。


「二の句も告げない程に責めて欲しいの?
 それとも血反吐を垂れ流すぐらい手酷く罰して欲しい?
 罵倒讒謗揶揄中傷、悪口誹謗罵詈雑言にも、
 大量虐殺者と嬲られて、いっそ悪人と蔑まれて楽になりたい?」


澱みの無い銃声。
引き裂くような悲鳴。
炎の唸る音。


「───でも、貴方は違うでしょ」


しかし聞こえてくる雑音は皆どこか遠く屈もって。
自分と彼女が向き合うこの一帯だけは何か見えない膜にでも守られているかのように厳かで。
唯一鮮明に鼓膜へと伝わる彼女の静かな声色に、
この足下こそがまるで隔絶された神聖な場所であるかのような錯覚に陥る。


「貴方は英雄ではないとしても、悪人ではないでしょう」


『一人殺せば悪人、千人殺せば英雄』。
ならば。
一など軽く凌駕しても、千にはほとほと及ばない自分は一体何者だと言うのか。

───"人間兵器"、か。


「…貴方にはそうしてちゃんと感情があるじゃない。
 そこで罪悪感も迷いも、何も感じなくなってしまったら貴方はただの機械」


人間兵器ならばやはり私は機械なのだろう。
しかし、ならばこの胸を蝕む痛みは何だと言うのか。
兵器も欠陥品ということか。


「けれど貴方はそうして胸の奥に苦いものを覚えてる」


それとも自分はまだ、人間、なのか。


「目指すものがあるんでしょ?
 その胸に、譲れない、確固たる信念が」


その射抜くような視線に、脳を覆っていた霞が四散する。





「だったらいいじゃない。
 苦悩も後悔も、懺悔も全部抱き込んで痛みを覚えたまま生きていけばいい」





光が射した、そんな気がした。





「君は…今までそうして生きてきたのか?」
「さぁね」


思わず長話しちゃったわ。
これだから歳を取るのは嫌ね。
言って軽やかに身を翻すと彼女は、じゃりと音を立て瓦礫の上から一歩踏み出す。
その足音を聞いた途端、一気に耳へと流れ込んできた外界。
澱みの無い銃声。
引き裂くような悲鳴。
炎の唸る音。

そして。


「じゃあね、"焔の"君?」


硝子が鳴るように響いた、良く通るその声。


「───…ロイだ!」
「は?」
「私の名だ。ロイ=マスタングだ!」


焼けた空気に喉が裂けかけるのにもかまわず、声を張り上げる。
宣言するかのように、この名を告げる。
すると彼女は「おや」といった具合にも目を見張って。
しかしすぐに不敵な黒猫の表情へと戻ると、やんわりとその目を細めて。


「いい顔してるじゃない。なかなか私好みよ?」


艶やかに、穏やかに微笑って。


よ。
 それじゃあ…またね、"ロイ"」





楽しげにウィンクを一つ、細い指先で投げキスを寄越した。



孫子兵法を読み返していてふと思い付いたネタ。
よもや若かりし大佐のシリアスを書く日が来るとは…人生って判らない。