愛しい世界は
此処に


「アベル」


国務聖省本庁舎・"剣の館"パラッツォ・スパーダの廊下を進む、
巡回神父アベル・ナイトロードの鼓膜をふわりと震わせたのは涼やかな女性の声だった。


「ああ、お久しぶりですね」


そして顔を挙げたそこにはやはり予想通りの見知った同僚。
腰まで届く、しっとりと濡れたような漆黒の直髪。
女性でありながら、尼僧のそれではなく黒い神父の僧服カソックをきっちりと着込んでいる。


さん」


彼女の名前は
世界で最も美しい枢機卿とされる我らが上司、
ミラノ公カテリーナ・スフォルツァ枢機卿専属護衛にして、
日々忙殺されている上司をデスクワークの面からも補佐する優秀な国務聖省職員であり、
また常日頃から人材不足に嘆く教皇庁国務聖省特務分室、
Arcanum cella ex dono dei、通称Axにおいては臨時派遣執行官"カリスマ"である彼女。
その彼女は、穏やかな表情をそのまま長身の神父の元へと歩み寄ると、
彼の長身を上から下へと眺めて、そっと苦笑を浮かべた。


「任務ご苦労様。またトレスと"喧嘩"したんですって?」
「はは…、"喧嘩"っていうか、そんな可愛らしいもんじゃないですよぉ」


いまだ額に白い包帯を巻き付けている眼鏡の神父は自分の利き手を頭の後ろへと添えると、
情けない声で弁解を加えながら、につられるようにして苦笑を零した。
報告書は既に上司に提出してある。
ならば彼女も既に聞き知っているのだろう。
自分がついさっきまで教皇庁直轄の教会病院、聖シモン総合病院に入院していた理由。

それは。


「教会法カノン第188条違反及び聖職服務規程違反なんて…本当甘いんだから」


それともそんなに可愛い女の子だったの?、とからかうように笑う彼女自身もまた、
実際はこうして困ったように利き手で後ろ手に頭を掻く、
眼鏡の神父に負けず劣らずのものなのだが。


「トレスと毎度仲良く喧嘩するなんてアベルくらいよ?」
「べ、別にしたくてしてる訳じゃありませんってば!」
「ふふ、まぁトレスだって本気で殺そうなんて考えてないだろうからいいけど」
「……………アレでですか?」
「そうよ。アベルがそうなようにね」
「───適いませんね」


そうしてアベルが自分の横へ並ぶのを見計らうと、
の進行方向は彼のそれと合わせるように変更され、先程までの道程を逆行し始めた。
タイミングの良い登場は、怪我の具合見を兼ねたお出迎えといった所だったらしい。
二人揃ってゆったりと国務聖省長官室へと向かう。


「カテリーナさんにその後お変わりは?」
「無いわ。…相変わらずの働き過ぎよ」
「そうですか…」
「というわけで、ダメ神父の要領を得ない報告で出来る限りの業務妨害をよろしくね?」


そう言って、ウィンクを一つ。
こうした何気なさこそが、彼女が広く好かれ厚く信頼される理由の一つなのだろう。
言葉には出さず、曰くの"ダメ神父"は心の中でそう呟いた。


「あはは、しかしダメ神父とは酷いですねぇ…しかと承りました」
「ありがとう。そうそう、その間私は席外させて貰うから」
「え、ええ!? な、そそそそんな、またどうしてです!?」
「───ぷっ、何を想像したの。顔真っ赤よ?」
「べ、別に何にも想像してませんよ! 何にも! 全然!」
「ふふ、トレスの所へ行って来ようと思って」
「へ? ト、トレス君の所にですか?」
「そう。正しくは"教授"プロフェッサーの所にトレスの修繕の手伝いに、だけど」


眼鏡の神父が負傷したように、その喧嘩相手であった同じくAx派遣執行官"ガンスリンガー"、
ことHCーIIIXトレス・イクスもいくらかの"損傷"を負った。
敢えて"損傷"と表現するのは、彼が人マンではなく機械マシーンだからだ。

そして"教授"ことAx派遣執行官ドクター・ウィリアム・ウォルター・ワーズワースに、
電脳調律師プログラマーとしての才を見出されたらしい彼女は、
自ら進んで、また時間の許す限り、
彼によるロストテクノロジーの特別個別講義を受けに行っているようだった。
『修繕の手伝い』という言葉から窺い知るところ、
どうやら彼女の能力は今や生徒というよりは助手に準ずるものらしい。
それにしても、驚くべき成長ぶりだ。

まぁ、そこには様々な事情と私情が無きにしも在らずではあるのだが。

酷く甘やかな、愛らしい感情。
不思議とこちらまでくすぐったくなってしまい、曖昧な笑みを噛み殺した。


「───…何笑ってるの」
「いえいえ。何でもありませんよ」


気付けば半眼で横目の視線を寄越してきていた隣りの彼女。
それにまた込み上げてくるくむず痒い感覚にアベルは、
「ホント何でもないんですってば!」と何処かほくほくとした笑みを浮かべて言う。
ともすれば。


「"下心"だっていうんなら、そっちだって五十歩百歩だと思うけれど?」
「ななな何を言ってるんですかっ。私は別にカテリーナさんに……」
「ハイ、自爆。」
「!」

してやったりと、悪戯っぽい笑みにまたしてもや冷や汗をかかされることに。
くすくすと女の笑い声が大理石の廊下を涼やかに満たす。
一方神父は、俯いて頬を蒸気させるばかりだった。


「それじゃ、私はここで」


そうこうしているうちに、気付けば国務聖省長官室の扉は目前。
久しぶりの歓談に夢中になって、随分な距離を共にしていたようだとアベルは思った。


「ええ。さんもあまり無理しないで下さいね」
「判ってる。お互いに、ね?」
「そうでしたね」


各々の目的地へと向かうため、労いの言葉を交わし各々の行く道へと一歩踏み出す。
その目指す先にいるのは互いに、自分にとってかけがえのない無二の相手。





「さて、業務妨害とは…どうしたものでしょうか…───って」


柔らかな日差し、穏やかな空気、心地良いに包まれて。


「しまった! 提出するつもりだった領収書忘れた…っ!!」


温かな人々に囲まれて。


「ああ〜、主よーッ!!」





愛しい世界は、今日も廻る。



トリブラ、ついに手を出してしまいましたー(笑)
そしてトレスにアベカテ愛丸出しな感じで…あはーん。←キモイっつの
こんな私情入りまくりな路線ですが、お付き合い下されば幸いです。