誰かを愛したい。
誰かに愛されたい。


愛し、愛されたいと願うのは、
どうにもヒトの本能であるらしい。


君という光


「シスター・
「何、トレス?」
「卿もやはり『愛し、愛されたい』とそう思うのか?」
「───…は?」


何を思ったのか突然そんな事を共用廊下で口にする相手に。
その思いも寄らないというか想像を絶する台詞に。
全くの不意打ちなそれに、
思わず落としてしまった紙の束が一瞬で大理石の床を白く埋め尽くす。


「卿は『愛し、愛されたい』と思うかどうかについて質問した」


足下の惨状と同様に、頭の中も真っ白になる。


「…急にどうしたの?
 もしかして、さっきのメンテでまだどこか不具合か何か残ってた?」
「否定ネガティブ
「………ならバックアップを取りにもう一度、教授のところへ戻る?」
「無用ネガティブ
「そ、そう…」


本当に訳が判らない。
全くもって突破口が見出せない。
何をどうすることが最良の選択なのだろうか。

───とりあえず、無惨に散らばった書類を拾おうと思った。


「あ、いいのよ。落としたのは私だし」
「俺が手伝う事により生じる不利益の入力を」
「…無いわ。ありがとう」
「無用ネガティブ


二人屈んで、黙々と床に散らばる紙を一枚一枚拾い上げていく。
掻き集めるのではなく、一枚ずつ丁寧にめくっては重ねていく。
それも効率的に、散らばった両端から丁寧に拾い集めていけば、
自然と、徐々に縮まっていく互いまでの距離。
そして最後の一枚に手を延ばせば、同時に紙の両端に触れる互いの手。

顔を挙げる。
トレスと真正面から視線が重なる。
同じ高さで、目が合う。
息を、呑む。


「シスター・


瞬かない、どこまでも透き通った硝子の瞳。
酷く整った、形状記憶プラスチック製の人造筋肉によって形作られた顔。
素直に綺麗だと、そう思った。


「聞いているのか、シスター・?」
「え、ああ、ごめんなさい。何?」
「これが最後の一枚だ」
「あ、そうね」
「どちらが拾い上げるのかの選択を」
「! ご、ごめん」


と、すっかり見蕩れて。
手を紙の上に置いたまま停止していたことを見惚れていた相手自身に指摘され、我に返る。
そうして我に返った反動で、ハッと僅かに持ち上がってしまった手を確認してトレスは、
何の感慨も見せずただ静かに最後の一枚を拾い上げた。
紙の表面を軽くはたくトレス。
その様子を視界に収めつつようやく、
一体自分はどれだけの間惚けていたのだろうといった考えに至った。
至ってまたふと考える。
よくよく考えればトレスも自分と同じ体制で停止していたはずで。
同じ体制で、短くはない時間を向かい合って過ごしていた自分達の構図を脳裏に描いて、
更なる恥ずかしさが込み上げてきた。
本気で誰にも見られていないことを祈るばかり。

両頬にじわりと熱が伝う。


「シスター・
「な、何?」


平板さ故に澄んだその声に名を呼ばれて、胸がどきりと疼く。


「まだ先程の回答の入力がなされていない。
 可能であれば速やかな回答の入力を要求する」


先のそれとはまた別の意味で、心臓が跳ねた。


「そう、来るのね…」
「何がだ?」
「ううん、何でもないわ……ええと、そうね。先にこっちから質問させて貰える?」
「肯定ポジティブ
「何を思ってまた、急にそんなことを聞いたの?」


機械マシーンであるトレスが、何の理由も根拠も無くこんな事を聞いて寄越すはずがない。
必ず何かしらの要因ファクターを得て、トレスは行動を選択し実行する。
それが脊椎内流体思考結晶プログラムというものであり、彼という機械マシーンなのだから。

そしてこうした不意打ちといった行動をトレスに選択させる要因といえば大概、
教授プロフェッサーやレオンが一枚噛んでいる事がほとんどで。


「『ヒトは常に誰かを愛したい、誰かに愛されたいと願っている。
 またそれはヒトの本能である』と、ナイトロード神父とガルシア神父に言われた」


そしてその予想は。
いや、予想と言うよりはもはや確信と言うべきものではあったのだけれど。
今回も自称・協力者キューピッド達からの手厚い手回しであることが判明する。


「───アベルとレオン、ね……そう、それで?」
「卿に確認を取るようにと言われた」
「………。」


"確認"。
確認とは要するに"告白しろ"、と。
つまりはそういうことなのだろうか。


「アベルはともかく…レオンは面白がってるわね、絶対」
「シスター・。卿の発言の意図が不明だ」
「…あまり気にしないで」


既にこの想いは、もう何度となく告げているというのに。


「…ねぇ、ならトレスはどう思う?」
「その質問は適切ではない。
 俺は人マンではない、機械マシーンだ。
 本主旨の大前提である『愛する』というヒトの精神の作用に関しての、
 感情思考仕様は本機体にはプログラムされてはいない。故に回答は不可能だ」


もう周囲も自分も今更なこの想いだけれど、相手が相手だけに伝えることさえ難しくて。
トレスを想うこの気持ちは、しばしば行き場も無くこの胸の内を満たすばかり。

彼のせいじゃない。
判っているからこそ、無性に切なくなる。
そして応えて貰えないのではなく、"理解されない"この歯痒さ。
けれどそれでも、やはりトレスを好きだと思うこの気持ちや心は消えないから。


「じゃあその大前提である『愛する』というのは…『愛』とはどんなものだと思う?」
「その質問も前出の理由と同じくして回答不能だ」


だから。
形の無いものが存在することを。
こうした特別な"想い"というものがヒトには存在することを認識して貰おうと思った。

それが自分の掌程度の拙いものであっても、一つ一つ確実に言葉にして。
そして、私もまた貴方を大切に"想っている"のだということを知って貰おうと思った。


「回答不能…そうね、確かに」


たとえどれだけ時間が掛かっても。
この想いの在る限り。
この心が空になるまで言葉にしていこうと、そう決めたから。


「『愛』がどんなものであるかなんて問いに答えられる人間なんてきっといないわ」


だから私は今こうして『愛』なんて形の無いものについて真剣に考えて、
一つ一つ噛み砕いては定義付けて、より形の有るものへと変換していく。
そしてその多くが彼に伝わるようにと丁寧に言葉を紡いでいく。
真っ直ぐに自分を映す、その瞬かない硝子の瞳に向かって、
信仰心の欠片も無く、神の説く隣人の教えを無視して『愛する』ことの何たるかを口にする。


「けれど強いて答えられるとしたら…私が答えられる範囲で言うのなら、
 『愛』というものは、『愛する』という事とは、
 『自分が好むものを大切にすること』だと、そう思うの」


それ以外の愛について人間が答えることはおそらく不可能だろう。

人間は神とは違う。
人間は自分の嫌うものを大切にすることはできない。
代わりに自分の好むものを大切にして、それをどうにか得ようとする。
そしてそれは他人事でも何でもなく、自分にも全く言えることで。


「短絡的な言語還元主義と思われるもしれないけれど…、
 だとすると『愛し合う』ということは、
 その二人が互いに互いのことを『好むもの』として『大切にし』合うこと」


相手を大切にして、相手に大切にされる。
それが『愛し、愛される』ということ。

こんな言い方をしては、『それではまるでこの世は自己愛の産物ではないか』と、
『ヒトは自己の満足のために無私にヒトを愛すのか?』と。
人によってはそう非難されるかもしれないけれど、私は全くもってその通りだと思うから。
結局、人と人との繋がりなんてその程度のもので、
相互理解と相互牽制のバランスによって成り立っているようなものだから。

でも。
それでも。


「その人を護りたい、その人の支えになりたい、その人の傍に居たい。
 その人に笑っていて欲しい…理由は何であれ、
 その相手を大切にしたいと思うことこそが『愛』」


私はやっぱり、力及ばずともトレスのことを護りたいと思うし、
傍に居て、必要とされることがあるならばいつだってトレスの支えとなりたい。
もし彼が笑うことを覚えたのなら、やはり私はトレスには笑顔でいて欲しい。


「でもね、実際に『愛する』ということが具体的には一体どういうものなのかと言えば…、
 それはもう本当に人各々だから。
 相手を想うこと、傍に居ること、手を繋ぐこと、口付けること、身体を繋ぐこと。
 それはもう種々様々、色々とあるけれど、
 トレスが求めているような100%演算予測可能な答えはおそらく存在しないわ」


これがたとえ私の自己愛エゴだとしても。


「だけど、私は。
 それが愛している人なら、大切にしたいと想える人ならば、
 やっぱり出来る限り一緒に居たいし、手だって繋いでみたいと思う。
 …傍にて、手を握って欲しいと、そう、思うの」


それがトレスなら。





「それが愛してる人なら、私はやっぱり愛されたいと思うわ」





貴方がトレスだからこそ、そう思うの。










「───…参考になった?」
「肯定ポジティブ


先程散らばらせた書類の束をまとめて、分類して再度積み重ねて。
再び山を完成させたところでそう尋ねれば、トレスは一つ大きく頷いて肯定した。


「でも、トレスの参考になったのは良いけれど…レオンにも報告されるのよね、これ…」


今更だけれど、そう考えると真面目に答えた分だけ恥ずかしさが込み上げてくる。
ついでにあの男臭い肉食獣の含み笑いまでもが軽い頭痛を伴って脳裏に甦ってきた。
けれど。


「否定ネガティブ
「え、だって…」
「ナイトロード神父とガルシア神父には確かに『確認を取る』ようには言われたが、
 『確認を取って来る』ようにとは言われていない」


よってナイトロード神父とガルシア神父への報告義務は無い、と。
そんな私の頭痛を至極あっさりと取り除いてみせたトレス。
けれどならば何故、報告義務も無い質問にこれだけの時間を割いたのか。
無駄の排除を美徳とする機械らしからぬ行動に、また新たな疑問が浮上して、
すっきりとした頭もまた自然と傾ぐ。


「じゃあ何のために?」


こんな質問を?、と。
問えばトレスはやはり真っ直ぐにその瞳に私を映して。





「構造と仕組みを理解し、それを実践しようとした」





その薄い唇で淡々とそう紡いだ。


「───…え?」


『構造』、『仕組み』、『理解』、『実践』。


「それって一体どういう…」
「情報集積不足に対する能動的改善行動だ」
「能動、って…」


『情報』、『不足』、『改善』、『行動』。
そして『能動的』とは要するに『受動的』の逆の意味で。
それはつまり『自主的』『積極的』と同義語で。


「さあ行くぞ、シスター・


混乱する私を差し置いて、すっと差し出された大きな掌。


「ミラノ公が待ちかねている」





戸惑いながらもそっと指先を重ねれば、そのまま無駄の無い動きで絡め取られて。
一旦その手を視界に収め、繋がれたことをしっかりと確認するとトレスは、
カテリーナ様の元へと向かうべく、目的地の国務聖省長官室へと歩き出した。

その顔はやはり仮面を貼付けたような無表情だったけれど。





に聞いてみろよ。手っ取り早くてお前好みの回答を入力してくれることだろうぜ?』
『そうですねぇ。さんなら、きっと君に一番理解し易い形で答えてくれる思いますよ』





なんていう。
送り出され際に寄越された二人の神父の台詞を、
トレスが口には出さずに再生リピートしていたことを知る由しもなかった。



長ッ。…ごめんなさい。
今回は『愛』についての学んだトレスでした………ってギャー!
ああもう本気で恥ずかしいんです、逃がしてやって下さい。(汗)

そしてこのSSは、見ていらっしゃるかどうか判りませんが、
復活おめでとうございます!な秋乃羽依サンへ。
また近い内にそちらへとカキコにお邪魔させて頂きたく…!