「その母親が怒鳴りつけた気持ち、判らなくもないわ」
「あれがあの状況下において最良の方法だった」
「まぁ、それはそうなんだろうけどね」


そう返して、苦く笑う。
こればかりはどうしようもない。

彼は機械マシーンだ。
何億通りものシュミレーションの中で、
最も効率的且つ最低限の犠牲のものだったことだろう。
その判断に疑いを挟む余地はないし、挟む気もさらさらない。

だから苦く笑う。

トレスは機械マシーンだ。
彼の判断を例え肯定したとしても同意はなく。
彼の判断を例え否定したとしても釈明はない。

ならばやはり、苦笑するしかないだろう。


「でもその場における最良の方法が、その場の人にとっても最良とは限らないからね」
「………」
「言ってみればトレスの言う"最良の方法"はあくまでトレス自身にとってのものだから」
「肯定ポジティブ
「うん。でも、"その腕"に関しては…私も"最良の方法"だったと思う」


隣りを歩く彼の黒い僧服カソックの肘の辺り、
今は跡形も無い腕の傷、もとい先程修理し終えた損傷を指さしてみせた。
我が子を失いかけた事実に憤慨し詰め寄った母親とその腕に抱かれていた赤ん坊を、
死に損なった吸血鬼ヴァンパイアが、
それこそ死力を絞って放った散弾から庇ったときに負ったものだ。


「本人の自覚が無いだけで…優しいのよ、トレスは」


そう言って、微笑ってみせる。
対して、ただ黙って聞いているトレスの顔にはやはり特に目立った感情は無く。


「否定ネガティブ。俺は優しくなどない。
 卿の言う"優しい"といった行動思考はプログラムされていない」


恐ろしく抑揚を欠くその平板な声にだって何の色味も無いけれど。


「ふふ、まぁトレスのそういう所が好きなんだけど」


好きなのだと。
素直にそう納得しまう私は相当重傷なのだろう。
そしてそんな納得具合に、素直に幸せを感じてしまうことができ、
尚且つそんな単純な構造をしている自分を素直に幸運に思えてしまう私はきっと末期だ。

そんな認識も新たにしていると、会話をしている時でさえ前方以外に向けなかった視線を、
その歩みまでも止めて、こちらへと身体ごと向きを変えて絡めてきた。
いまいち意図を図りきれない行動に、さっと甘やかな淡い色彩を思考から閉め出す。

一体、何だろう?


「"好き"? ───否定ネガティブ。用法を間違えている」


ああ、そういうこと。


「どうして?」


本当は聞くまでもない。
彼の言いたいことは判る。
次にくるだろう台詞だって予測はつく。





「俺は人マンではない、機械マシーンだ」





ほら、やっぱり。

でもね、トレス。
そんなもの、私に言わせればね。


「だから?」
「そういった感情表現は、"人"に対して使用することを推奨する」
「そう、それで?」
「………」
「知ってるし判ってるわ、そんなこと」


一体誰が、その身体いじってると思ってるのよ、と。
言ってトレスの胸の辺りをトントンと2度、軽くノックしてやる。


「なら…」
「でも私が好きなのはトレスなの」


おそらく今の私は微笑ってる。
それはもう恐ろしく楽し気に。


「だから俺は」
「機械であろうと、好きなのよ」


瞬かないガラスの瞳も、馨る硝煙の香りも。
仮面のような無表情さも、恐ろしく抑揚を欠いたその声も。
全部、好き。
機械のトレスだから好き。

機械故に感じえないこの歯痒さすらも。

でも時折覗かせる人らしい感情の気配も。
判らない振りをしてみせる、隠したがるそれらも全て好きなの。

その全てでもってトレスだから。
どうしようもないくらいに愛しく想うの。


「私はトレスだから好きなの」


もう周囲も自分も今更なこの感情。
でも相手が相手だけに、手強くて。

最初はこの想いの一欠片でも、と。
一掬(すく)いでも、と。
その存在を相手に認識して貰おうと思った。
返して貰うべきなのだろうリアクションなんて全く念頭になくて、
ただこの感情の何たるかを知って貰おうと思った。

けれど傲慢な私はそれだけで満足できるような人間じゃなくて。

一欠片の次は一掬い。
一掬いの次は一纏り、と。

だから考えた。
少しづつ、一つ一つ丁寧に伝えていこうと思った。
そう決めたから、今もこれからも。
こうして一言一言確実に言葉にしていく。





「好きよ、トレス」





きっと、この心が空になるまで。





「───了解ポジティブ





その前に、頭の方が空になってしまった。





「は?」
「了解した」
「りょ、了解したって…一体どういう」
「シスター・
「は、はい」
「心拍数が急激に上昇しているようだが?」
「え? いや、あの…」


混乱する。
実際、本当に目眩までしてきた。

そうして気付けば、目の前には向かい合う形で自分の正面へと立っていたトレス。


「!」
「体温も平均水準値よりも高い」


伸ばされた腕の先の、その手袋越しにも伝わる冷たい感触が頬に触れた。


「風邪の諸症状に酷似している」
「………ええと、これは風邪とかじゃなくて、ね?」


至極真面目な顔でそんなベタな診断を下される。

ああ、もう。
何だっていうのよ。
どうしろっていうのよ。


「あのね、トレス。
 私は大丈夫だから。だからまずは、さっきの『了解』の意味を…」
「シスター・
「何? ───…って」


頬に触れていた大きな手が、その感触がふと消える。
消えたと思ったそれは、視界の端で無駄の無い動きでもって肩口を滑り、二の腕をなぞって。
今度はふわりと背中に、そして同時にもう一方の腕も腰の辺りへとその感触を移していた。

これはつまり。
これはどう考えたってやはり。


「と、トレス…?」


所謂、抱き寄せられたという状況で。
両腕で抱きしめられているという状態で。


「ちょ、トレ、ス…」


一度、そうしっかりと自覚してしまえば。
あとはただただ、抱きしめられている身体は熱を増すばかりで。
けれど混乱するそんな頭の中にも、ここが剣の館パラッツォ・スパーダで、
自分達が立っているのはその共用廊下であることだけは、無駄にはっきりと意識されていて。

そしてこの状況に、少なくはない幸せを感じてしまっている自分がいて。


「風邪の初期段階では、まず身体を暖めることが有効だ」
「は、はぁ…」
「身体の体温を上げ、発汗を促す」
「そ、そうね」
「また抵抗力を高めるためにも十分な栄養の摂取と水分の補給を…」


でも、トレスは機械マシーンなんだからそれこそ暖めるも何も…やら、
というか体温を上げて発汗を促すのは熱が上がる前の、
寒気がする段階で行うものなんじゃ…やら、
っていうか根本的に風邪じゃないんだけど、
なんていう突っ込みは故意に深い所へと飲み下して。


「もう、どうでもいい…」
「『どうでもいい』? 話を聞いてるのか、シスター・
「聞いてる。聞いてるからこそ、よ」


この体勢じゃどうせこんな幸せで仕様が無い顔なんて見えないだろうから。
ならば少しぐらいは、と。
あと少しだけ、と。


「ねぇ、もう少しこのままでいて欲しいのだけど…」


ぎゅっ、と。
重心を委ねてねだってみせれば、相手は。





「───…了解、した」





回した両腕にやんわりと力を込めてくれたような気がした。



「相手はトレス」と、駆け引きもへったくれも無いので、隠すこともなく開き直ってるヒロイン。(笑)
ので、トレスを除く周囲の人間はみんな知ってるという実に微笑ましいというか羨ましい状況。

このSSはアンケートフォームの不具合について掲示板で報告して下さった神凪光耶様へと、
こっそりと捧げさせて頂きたいと思います。
この度は、多大なご迷惑とお手数をお掛けして申し訳ありませんでした。
アンケートのSSリクエストに『トレス君のドリームで、糖度の高い物』とありましたので、
トレスにしてはかなり糖度の高いものを目指して頑張ったつもりなのですが…うーん(汗)
というか実を言うと、書いた本人、
甘過ぎて(恥ずかし過ぎて)どさっりと砂吐きそうです。ギャース!!
こんなSSですが、少しでも楽しんで頂ければ嬉しいですv