直感
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試行錯誤

問題解決


「おやぁ? おやおや…」


午後の麗らかな日差しの差し込む窓辺で、Ax派遣執行官"教授"プロフェッサーは、
春の陽気にも負けず劣らずの何とも間延びした声と暢気な口調でそう呟いた。


「教授?」


そんなのんびりとした独り言に、こちらもまたゆったりと反応を返したのは、
教授と同じくAx派遣執行官のアベル・ナイトロード。
昔のよしみへの久々の挨拶と称して栄養補給にと立ち寄った教授の研究室ラボにて、
本日5杯目のゲル状紅茶に優雅に口を付けていた彼は、
一旦不思議そうに小首を傾げた後、ぐっと瓶底眼鏡を指先で軽く押し上げると、
貧乏根性丸出しにもソーサーごと手に持ってスタスタと窓辺へと歩みよってきた。


「ほら、アベル君。
 "アレ"を見て御覧」
「"アレ"?」


窓枠に身体を預けて、ふうっと甘い煙を燻らせていたパイプを口元から離すと、
教授は窓外の一点をそれで指し示してみせる。
白く煙る靄の向こうに見えたのは、二人の同僚。
内庭園に面した外廊下を歩く、穏やかに微笑うと相変わらずの無表情なトレスだった。


「おや、さんにトレス君じゃないですか。
 今日もまた仲睦まじそうで…何と言うか、"お似合い"って感じですね〜」


端から見れば、見た目に爽やか絵になる二人。
そう、端からみれば。

しかし"端"以外の視点から見ればそれは。


「彼女も健気だねぇ」
「はい?」
「ほら、君のことだよ」


目に映るそれは、やはりどうしたって献身的とも言える彼女の態度。


「一途…とは言えないからなぁ。
 ほら、彼女は猊下命だし。
 そうすると、やっぱり"健気"というのが一番しっくりくると思うのだよ、アベル君」
「はぁ…」


Ax派遣執行官"ガンスリンガー"、HCIIIトレス・イクス。
短めの髪の下は端正な顔立ちだが仮面のような無表情。
だがその無い表情を構成するのは絶縁素材の皮膚と皮下循環剤、
形状記憶プラスチック製の人造筋肉、そして瞬かないガラスの瞳。
そう、彼はロストテクノロジーの結晶ともいえる機械化歩兵マシナリーであり、
その口癖通りの、『人マンではなく、機械マシーン』なのである。


「…ええと、具体的にはどの辺りが"健気"だと思われるんです?」
「ふむ。機械相手に『好き』という感情の存在の何たるかを教えようってんだからねぇ」


人の"心"という働きは、生物学的な観点からみれば脳の機能の一部であり、
感情の動きというものは高次脳機能の一種として捉えられる。
確かにトレスには一部、生体部品として大脳皮質と小脳が組み込まれてはいるから、
可能性が全く無いというものでもないが、しかし彼の思考を決定するのはそれらではなく、
その身体中を循環する脊椎内流体思考結晶に書き込まれたプログラムである。
つまり、彼に感情の何たるかを説くなど、赤ん坊に哲学の何たるかを説くようなものなのだ。

それでも彼女は言葉にし続ける。
流水のように、極自然に。

その甘やかな感情の何たるかを。


「しかもあれだけ懇切丁寧、手取り足取り一つずつ教えていくんだから、
 これはもうお見事としか言いようがない」


まったく、うちの学生達にも見習わせたい限りだよ、と。
教授は可笑しそうに、またどこか嬉しそうな、
穏やかな色合いをその深沈と静まった碧眼に浮かべて笑った。


「捨て身というか、直観的というか。
 面白いぐらいに互いの特徴を表した、アルゴリズムとヒューリスティックだ」
「あ、あるご…? ひゅーりす?」


何の事は無く学術用語を口にする相手に意味が判らず片言で反芻するアベルだったが、
どうやらいつのまにか自分の中だけで話を進行するようになっていたらしい教授は、
結局最後まで彼の疑問に解説を加えることはなかった。


「微笑ましいねぇ」


息を吐くと共に言葉を零す。


「微笑ましい、ですか…」
「だってあの二人、親鳥と雛の関係に見えなくもないだろう」
「お、親鳥と雛!?」


何だかとんでもないこと言われたような気がしてならない、
というか実際どんでもないのだろう教授の台詞に、アベルはぎょっとして眼を見開く。

『親鳥と雛』
何をどうしたらそんな単語が連想できるのか。
文学部と理学部の両講義を受け持ち、毎度自分には訳の判らないガラクタ、
もとい科学の力を生み出すこの教授の脳内はやはり人智の及ぶ所にはないらしい。


「…念のため聞いておきますが、どっちが親でどっちが雛なんです?」


自分も相当とんでもないことを聞いているんだろうなぁ、なんて。
そんな恐る恐るといった口調に対し、至ってのほほんと返された教授の台詞にアベルは。


「そりゃあ決まってるだろう。
 君が親鳥でトレス君がヒナだよ」
「───ッブ!!」


おもいっきりゲル状の紅茶を吹き出したのだった。










「おや? ほら見て御覧、アベル君」
「げほ…っ、ごほっ、はい?」


涙眼でべとべとになった口元を拭うアベルの様子にも全く気に止めた様子もなく、
先程のまったり口調とは少しばかり違った雰囲気を纏って、
何故か講義調で話し掛けてきた教授。


「やはり愛の力は偉大なのだよ」





その視線の先にあったのは。
トレスの腕の中で、無防備に感情を零すのとろけた笑顔だった。

無駄に丁寧な学術用語説明。
問題解決
心理学において何らかの目標とする状況があり且つ現在の状況から、
目標とする状況に至るための手段が直接には与えられていない場合において、
目標に至るための解決方法見つけだす過程のこと。
また、そうした問題解決の思考法には大別して、
アルゴリズム
『ある手順に従っていけば、必ず解決に至る方法』
ヒューリスティック
必ず解決に辿り着く保証はないが、
『上手くいけばアルゴリズムよりも効率的に解決に至る直観的な方法』

の二つがあり、前者はあらゆる行動を試行し可能性を尽くして考えることを前提にし、
後者はいくらかの行動を試行し偶然に上手くいく可能性に賭けるという点で、
前者よりも実際に解決に至る可能性が低くなる。
また、前者は規則的な手順を高速で繰り返すことができる機械などには有効だが、
人間が用いる場合には一概に有効とはいえない。

つまり教授が言っていたのは、アルゴリズムはトレス、
ヒューリスティックはヒロインということで。
『スキ』の続編というか、サイドストーリーというか…。
とりあえず、『親鳥と雛』以ての『雛トレス』が書けたので満足です。(笑)