"私の好きな人ヒト"。

愛しい愛しい彼の人を想い、世の女性が心震わし呟くその言葉。


けれど。
私の場合のそれは。


私の好きな機械


さん!」
「はい?」


剣の館の、大理石の廊下に反響したのは、ぱっとは記憶に引っかからない男性の声。
振り向き声の主を確認すれば、何度か言葉を交わしたことがあったように思うが、
やはりその認識は曖昧で、おそらく国務聖省職員としての自分の同僚と思われる青年。
呼ばれたのが自分であることを確認するために、その視線を絡め取れば、
彼は驚いたように、またはじかれたようにぴんっと背筋を伸ばした。
その頬にはほんのりと朱が滲む。


「あ、あの…その、ですね」
「何か?」
「いえ、その…」


頬の微熱もそのままに、ゆらゆらと目線を宙に泳がせる相手。
口にする言葉は頼りなく途切れ途切れに紡がれて、音にすれば語尾はほどなく消えていく。
それでも、きっと口の端を引き締め、しっかりとその視界の中心に自分を納めると、
ぐっと拳を握り締め、漸く心を決めたとでも言うように双眼に強い意志を浮かべた。


「突然こんなことを言っては押し付けがましく思われるかもしれませんが…」


どうしてか時々あったりするこの展開。
何とはなく申し訳なく思いつつも、次に来るだろう台詞の内容は予想がついた。


「貴女の事が、好き、です」


強く見えて脆い、儚げでありながらどうしてか頑な。
不安げでいて、けれど何処か淡い期待に満ちたその瞳。

その真っ直ぐな姿勢に、苦く、笑う。


「その気持ちは嬉しいのだけど…貴方の想いには応えられない」
「そう、ですか…」
「ごめんなさい」
「いいえ、謝らないで下さい」


そう返せば、相手も何処か安心したように苦く笑った。

それからしばらくは。
最後まで聞いて下さってありがとうございました、と。
この想いだけはどうしても伝えたかったんです、と。
振り切ってしまったというのに、爽やかに感謝の意まで示されたりしてしまって。
そんな酷く献身的な想いに、けれど果てしなく身勝手でもあるそうした行為に、
やはり最後には微笑ましさを感じてしまっていたりする自分に内心また苦笑した。

すると。


「それじゃ、私はこれで…」
「あ、あの! ええと、こんな事を聞いて…未練がましいかと思いますけど…。
 好きな人とか…その、もう恋人とか…いらっしゃるんですか?」


尋ねておいて相手は、言い終えると酷く後悔したような顔をしたりする。
そんな痛々しい顔をされては、やはりどこかで罪悪感を感じてしまっていたりする自分には、
図々しいの一言も口にすることはできない。
だからといってこの雰囲気では、このまま曖昧に笑って去ることも許されないらしく。

けれどそれ以上に、この質問は答えるに難しくて。


「『好きな人』…」


私が好きなのは彼だから。


「……好きな『人』はいないわ」


私の好きな彼は人マンではないから。


「でも───」





私の好きな彼は機械マシーンだから。





「シスター・
「!」
「トレス」


背後から平板な、抑揚のない声を受けて振り返る。
自分でも何を言おうとしたのか判らないような最後の台詞は、
その後すぐにまた口を開いたトレスによって結局完結することはなかった。


「ミラノ公が卿を呼んでいる。
 早々に国務聖省長官室へと向かうことを要請する」
「判ったわ、ありがとう」
「無用ネガティブ。俺もこのまま同行する」
「そう? ───…それじゃあ、これで」
「は、はい! 仕事、頑張ります!」


「それでは失礼します!」と、またぴんっと背筋を伸ばし、
けれど今度は慌てたというよりはむしろ焦ったように背を向け走り出した同僚。


「?」
「もうここに留まる理由はないはずだ。行くぞ、シスター・
「え、ええ…?」


どこか腑に落ちないまま、トレスと共にゆったりとその場を後にした。


「───嘘は…吐いてない、わよね」
「何のことだ?」
「ううん、何でもないの。ただの独り言」


緩やかな午後の陽射しを浴びて、柔らかく輝く剣の館パラッツォ・スパーダの大理石の床。
そんな国務聖省長官室へと続く光に満ちた廊下には、隣を歩くトレスの、
機械的なまでに正確な歩調を刻む固い靴音が、幾分涼し気な余韻を耳に残して響いていた。










「カテリーナ様」
ですね、入りなさい」
「失礼致します」


国務聖省長官室の前の取次室で曰くの『同行』を終了したトレスに、
また妙な違和感を拭いきれずも、とりあえず敬愛する上司へと頭を下げる。


「御召しに預かり参りました」


すると。


「…召す? 何の事です?
 特に召した覚えはありませんが」
「え?」


眼前の麗しい枢機卿の台詞に、その違和感はことごとく深まるばかり。


「貴女の方から私に用向きがあって此処へと来たのではないのですか?」
「え、いえ…」


両の手を塞いでいる書類から一旦視線を上げて、
本気で困惑した表情を見せる私を見据えると、カテリーナ様は訝し気に片眉を跳ね上げた。
そうしてしばらく二人揃って『訳が判らない』と首を掲げ疑問符を飛ばしていたが、
とりあえずは、自分がこの部屋へとやって来た事情から説明することにした。


「先程トレスから、カテリーナ様よりお呼びに預かったと聞き継いだのですが…」
「それはおかしいですね、呼び付けた覚えは無いというのに。
 一体どうしてそんなことを……後で私の方から聞いておきましょう」
「お手を煩わせて申し訳ありません」
「いいえ、貴女が謝ることではないわ。
 …そうですね、せっかくだし一緒にお茶でもどうかしら?」


片眼鏡モノクル越しの、剃刀色の瞳に柔らかな光を灯して微笑む麗人に、つられて顔が綻ぶ。
それはきちんと肯定の意として伝わったらしく、その美しい表情に更に優しさが滲んだ。


「───ケイト」


名を呼ばれ、デスク横に立体映像ホログラムでもって姿を現したのは、
垂れぎみの目元に泣き黒子のある上品な印象の尼僧。
教皇庁特務分室所属空中戦艦艦長にして、
Ax派遣執行官"アイアンメイデン"ことケイト・スコット。


『はい。今日のもまた力作ですよ』
「ケイトの紅茶って毎回趣向が違うから凄く楽しみなのよね。
 実はそれが目当てでここに来たのかも?」
『まぁ』
「あら、
 それだと聖職服務規定違反の現行犯で私は貴女を罰しなければなりませんね」
「それは…栄養補給が第一目的のアベルと同罪に扱われるのはちょっと…」
『ふふ。まぁよろしいじゃありませんか。それで今日の趣向は華茶でして…』


穏やかな同僚の登場と寛いだ空間の提供で、
そうして胸を満たす矛盾もどうしたって穏やかな時間に溶けてしまうのだった。










「それでケイト。先程、トレスに何があったのか報告なさい」
『ふふ、それがですね…』


女性だけの、午後の穏やかな一時を堪能した後。
予定外とはいえ、Ax臨時派遣執行官としての指令を授けられ、
その後ゆったりと国務聖省長官室を後にした


『───ということですの』
「…成る程」
『ガンスリンガーったら、その青年に向かってもの凄い殺気を放ってましたわ』
「だからといって私の元へを寄越すのはどうかと思うけれど」
『きっと、カテリーナ様の元が一番安全だと判断したんですわね』
「それはどういう意味です、ケイト?」


単語に含まれた剣呑さとは裏腹に、穏やかな微笑を口元に乗せ。
世界で最も美しい枢機卿は優雅に溜め息を吐いた。





「それにしても…トレス自身が自覚しているかどうかは別問題としても。
 ただでさえ判り難いというのに…私の所に寄越されたのでは、
 さすがのにもそれが『嫉妬』だとは思いも寄らなかったようね…」



顔見知りの同僚に告白されてみたり。そして告白妨害をされてみたり。
さすがにディレス・イエを向けられはしなかったとはいえ、告白しただけで命の危機に。
哀れ、同僚。
やっぱりカテリーナ様愛故にこんなオチに…(笑)