「そういや、お前。ファミリーネームは何て言うんだ?」
「───ファミリーネームって…ああ、そうか。レオンは知らないのね」


太いダミ声に振り返った黒髪の女は苦く微笑ってそう返した。


マイ ネイム
イズ


「ああ、知らねぇな。聞いたこともねぇ」


その返答に、自分だけ知らされてなかったという意味合いを、
また自分以外は知っているという事実として捉えた男は幾分拗ねた素振りを加えて、
ハッと一つ、つまらなそうに鼻で笑うとその大きな掌を左右にひらひらと振ってみせた。
けれどその次の瞬間すぐに、男は自分の吐いた台詞に、行動に深く後悔することになる。


「それはそうよ。
 元より私にファミリーネームなんてものは無いもの」


ファミリーネームがない。
常に数式のように原因と結果が因果する現実において、
それはやはり高い確率で過去に何かしらの暗い事実あったが故の結果であって。


「…その、何だ……悪りィ」
「いいのよ、別に」


女は更に苦笑を深めた。
男はばつが悪そうに髪をかき回す。


「それに『無い』とは言っても…自ら捨てたようなものだしね」
「………そうか」


この身をAxに繋がれてからそれなりに長い付き合いとなるが、
男は自分が女についてほとんど知らなかったことに、今になってようやく気付いた。
それはこうして自分が所属する、
訳有りな人間で構成されるこの非合法な組織の性質故と言えば、
至極簡単且つまたその通りではあるのだが。
男には、どうしてかそれ以上に女の性質が物を言っているように思えた。

ケイトとはまた違う物腰の柔らかさ。
ノエルとはまた違う優しさと包容力。
トレスとはまた違う冷静さ、冷徹さ。

そして、アベルとはまた違うその根底に抱えた暗い部分。

絶妙で危うく、それでいて安定しているようにも見えるそれらのバランスに、
いつだって周囲を、あの鉄の女すらも解きほぐし安定させるその"何気なさ"に、
その素性や過去の一切など気にも止まらなかった。

よくよく考えればその"何気なさ"こそがこの女最大の"防壁"なのかもしれない。


「───何?」
「あ?」
「…そんなにもキツク見つめられると穴が空きそうなんだけれど?」


先程までひらいていた数歩分の距離をいつの間にか詰められていたらしく、
予想以上に近い距離で困ったように笑う女。
こういったどことなく湿った雰囲気はやはりどうにも苦手だ。
心中呟いて男はわざと、にやりと分厚いが形良く整った唇の端を吊り上げて見せる。
何とも男臭い、けれど気高い肉食獣のそれを思わせるその笑み。


「へぇ。穴、なぁ…」
「あのね…これ以上下品な妄想を続けようものならケイトに訴えるわよ」
「何でミラノ公でなしにケイトなんだよ?」
「あら、『半径3E以内に近付いたら、馬でも妊娠してしまう』だったかしら、確か?」
「……………そいつぁ…」
「ケイトのことだからそれは素敵な"おしおき"を用意してくれると思うの」


と、にっこり。
そのとても綺麗な、けれど意識して作られたことこの上ない笑顔が、
同じくAx派遣執行官にして、教皇庁国務聖省特務分室所属空中戦艦の艦長である、
上品な尼僧のそれと重なって、男はぶわっと全身の毛を逆立てるような寒気を覚えた。
ケイトの"おしおき"とくれば、"アイアンメイデン"から空中に吊るされた上に、
そのまま任務地(という名目の敵戦地)へと放り出(というか投下)されてもおかしくない。

アイツならやりかねねぇ。
いや、やる。
アイツなら絶対にやる…!
男は恐怖をぐっと堪えるように、ごくりと唾を飲み込んだ。


「いや、まぁ何だ…アレだ」
「『アレ』?」


大理石造りの国務聖省本庁舎である"剣の館"パラッツォ・スパーダの、
ひんやりとした涼しい廊下で、
不自然に汗をかきまくる、引き攣り笑いをその顔に貼付けた巨躯の神父。
その会話の方向を反らすのに懸命な、
というか必死な視線は明後日の方向で宙を彷徨うばかり。

けれど、ふと。
がしがしと伸び放題の蓬髪をかき回す手をひたりと止めると。
古い言い回しで恐縮だが、頭上でピコーンと電球に明りを灯してまた、
先程以上にいやらしく、にやーりと笑って。


「な、何?」
「へへ…なぁに、お前は将来のファミリーネームに関して何も心配するこたねぇと思ってよ」
「心配ないって……どういうこと?」
「おいおい野暮なこと聞くなよ」


へっぽこじゃあるまいし、と。
にやにやと下品にも口元を歪ませ、
いかにも返り討ちを楽しんでいますといった不躾な視線を寄越して男は。





「しっかりとファミリーネーム持ってやがるだろ、拳銃屋がよ?」





ウィンクを一つ、親指を立てた握り拳を突き出した。


「───レオン」


一方、女といえば堪えるように細く長い指先でその熱っぽいこめかみを抑えて。


「はっは。照れんな、照れんな。結婚式には呼べよ?」
「………そうね。でもその前に、レオンの前に呼びたい人がいるの…」
「ん?何だ、ミラノ公か? 確かに直属の上司だしなぁ。やっぱり挨拶は…」
「ううん、違うわ」
「あァ? じゃあ一体誰だってんだ?」


そして次の瞬間には。


「───ケイト」


同じ指で僧服カソックの襟裳に光る小さなカフスをぴんっと弾くと、
眼前で、一瞬でその顔の色を蒼に変えるという見事な顔芸を披露した男を。


「な"ーッ!?」
「いってらっしゃい」


笑顔で、その抜け出しかけた魂ごと送り出したのだった。



ようやっとレオン登場です。
レオンも好きなんでやっと出せて満足です。
というかレオンとケイトのコンビ(やりとり)が大好きな私は、
やはりマイナー道を極めるべきですか(笑)