魔法のコトバ
「おかえりなさい、トレス」
彼女は聡明だ。
「アベルも任務ご苦労様」
「いやぁ、ただいまですさん。お出迎えありがとうございます」
相手が最も必要としている時に、最も必要としている言葉を。
「カテリーナ様がお待ちよ。あと…今日はちゃんと領収書持って来た?」
「ええ、持ってきましたよ! 持って来ましたとも!
前回はうっかり報告書に添付し忘れた御蔭で、
食費を経費で落として貰えませんでしたからね…。
音の鳴らない、重さの無い財布にどれ程までに銀弾を詰めてやろうと思ったことか…!」
「でもそうすると、懐は重くなるけど…、
銃を撃つ度に空の財布を確認しなきゃならなくなるわよね…」
「そう、そこなんですよっ!」
本当に何気なく。
「それは卿の落ち度だろう、ナイトロード神父」
「そ、そんなぁ。
確かにその通りではあるんですけど…フォローくらいしてくれたって…!」
「ふふ、相変わらずね、二人共」
時には相手すらも気付かぬ程自然に、優しく抱き締めるように与えてみせる。
「ええ、相変わらずの仲良しさん、ナイスコンビですよ! ねぇトレス君?」
「───これ以上の雑談を続けるつもりなら、俺は一足先にミラノ公の元へ向かう」
「へ? わわ、置いて行かないで下さい〜…──じゃなくて!
ちょ、ちょっと待って下さい!」
意識の一番深い所から、じわりと満たしてくれる。
「何だ?」
「ほ、ほら、トレス君! まだ何か忘れてるでしょう?」
「『忘れてる』? 何の事だ?」
「し忘れてることがあるでしょう?」
「ナイトロード神父、卿の発言は意図が不明だ。質問の再入力を要請する」
「あのですねー…」
自分も含め、多くの者達を満たす彼女の言葉。
彼女の言葉に満たされる自分も含めた多くの者達。
「最初にさんは君に向かって何て言いましたか?」
存外、それは機械
マシーンである彼も例外ではないらしく。
「『おかえりなさい、トレス』だが?」
「でしょう?」
『おかえりなさい』
彼女が彼にだけ使うその単語。
自分を含めたその他には、
敢えて『お疲れさま』『ご苦労様』という言い回しを代用するその想い。
自分を含めたその他には無い、機械である彼へとだけ向けられた特別な感情。
「ならちゃんと返事をしなきゃいけませんよね?」
一方的に満たされてばかりいるのは申し訳無い。
人と人は支え合っているなんて、そんな潔癖な言葉を口にする気はないけれど、
持ちつ持たれつと、世の中とはそういうもので。
「アベル…」
「ふふ、さぁトレス君、『おかえりなさい』ときたら?」
だからこそ、例えその1mm分であっても可能ならば彼女へのお返しを。
「───『ただいま』、シスター・」
微々たるも、彼女の想いへのささやかな助力を。
「…ありがとう、トレス」
「無用
ネガティブ。何故卿が礼を言う?」
「あ、えっと」
「『嬉しいから』。そうですよね、さん?」
「アベル…そうね。嬉しいから、かな」
そして願わくは、それが彼女の笑顔へと。
ひいては"彼等"の幸せとならんことを。
「ナイトロード神父」
「はい、何でしょう」
「どうして判った?」
「は? 何がですか?」
「何を根拠にそれが『ただいま』という単語で、
シスター・が要求している言葉だと判断した?」
「あー、それは…まぁ、何と言いますか…」
いやそれは彼女が君を好きだから、その君が言うから彼女は喜ぶんですよ、やら。
『要求』という程に図々しいものではないと思うんですけどね彼女のそれは、なんて。
言っても良いものか、はたまた一体何から述べるべきかを迷っていると、
どうにも思索に時間を掛け過ぎたらしく、
見限られたのか相手は無言でさっさと歩き出してしまう。
勿論その瞬かない瞳も平板な声も普段と何一つ変わることはなく、
温度の低い存在感を保って。
「わわ、だから置いて行かないで下さい〜っ」
しかし、かと思えば。
「シスター・に関しては絶対的に情報が足りない…」
「え?」
絶縁素材の人工皮膚と形状記憶プラスチックの人造筋肉が作り出したのは、
その薄い唇が紡ぎ出したのは、僅かに温みを帯びたそんな音声。
何処か焦燥にも似た声色。
こんな拙い自分の、その程度の言葉であっても。
教授
プロフェッサー曰く、殊更彼女に関しての事象については、
他とは全く異なった、所謂 "雛反応"を見せる彼にはどうやら思いの外上手く伝わったようで。
いや、実際のところこれっぽっちも伝わってなどいないのかもしれない。
本当は理解してなどいないのかもしれない。
自分の都合の良い解釈でしかないのかもしれない。
でも、それでも。
「こんな単純な単語が索引語
キーワードだったとは…」
「───!」
たとえそこまで辿り着かなくとも。
『おかえりなさい』という言葉に、『ただいま』と返すことが。
彼女の笑顔を引き出す索引語
キーワードであることはしっかりと学習
インプットされたらしく。
「…さんはですね、君がこうして無事に帰って来てくれることが、
"生きて"帰って来てくれることが嬉しくて、ああして穏やかに微笑うんですよ」
「"生きて"? ───否定
ネガティブ。俺は人
マンではない、機械
マシーンだ」
「ええ。だからこそ、です」
不器用な彼という機械
マシーンは。
「機械であるからこそ、平然と傷付く事を容認する君にもっと自身をいたわって欲しいと、
君にむやみに傷付いて欲しくないと思うからこそさんは、
無事に生きて帰って来た君のために、『おかえりなさい』と、そう告げるんですよ。
ちゃんと君の帰りを待つ人間がいることを、
君にその自身の価値を知って貰おうと思って、ね。
…もっと言えば、人じゃないとか機械だとかそういうことじゃないんです」
彼女に対するたった一人の存在としての彼
トレスは。
「人
マンであろうと、機械
マシーンであろうと関係無い。
トレス君、『君だから』こその『おかえりなさい』、ですよ」
「───…了解した
ポジティブ」
彼女というたった一人の存在を笑顔にするという、ただそれだけの。
彼にしてみればいまいち理解し難い、今はまだ魔法のような感覚を伴うのだろうコトバを、
しっかりと、その脊椎内流体思考結晶のプログラムへと書き加えたようだった。
20000hits記念企画に8月一杯公開しあったJDCフリー夢小説、トレスVer.です。
記念企画SSを書くにあたって軽くアンケートを取ったのですが、
コメント欄が無いにも拘わらず、トレススキーの皆様から熱いお言葉をたくさん頂きましたー。
とても励みになりました…これは迂闊なモノは書けん、と。(笑)
尚、このSSは期間限定SSですので、これよりのお持ち帰りは御遠慮下さい。