利用可能性
ヒューリスティック


「嫌」
「…それほどまでに嫌か?」
「絶対に嫌」


現在位置、教理聖省長官室。
午後の麗らかな陽射し差し込むフィレンツェ公の執務室は、
周囲に立つ部下が度肝を抜かれて硬直している以外は、日頃と何ら変わりもなかった。


「しかしな…」
「嫌」

「嫌なものは嫌」


先程からひたすらに『嫌』を連呼する、少女とも女性とも言い切れない年頃の娘と、
娘が『嫌』と返すその都度、普段よりも幾分穏やかな深いバリトンで宥める壮年の男。


「…フィリポの補佐なんて絶対に嫌」


それはまるで父と娘の会話。

あの法衣の偉丈夫が。
強硬派の筆頭が。
周囲で口を半開きにしている職員達の心境はまさにそれだろう。

泣く子も黙る教理聖省長官が一教理聖省職員の我侭に根気良く付き合い、
しかも背もたれへとその背を預け盛大な溜め息なんてものを吐いてなどいるのだから、
常から高圧的で重々しいバリトンに容赦無く鼓膜を打たれている部下の身としては、
仕方の無い話ではある。
そう思ってスチールフレームの眼鏡を押し上げ、呆れたように溜め息を吐くパウラとて、
部下の度肝を抜く要因の一つとなっていることに彼女自身は気付いていないのだが。


「教理聖省とて人材不足は否めないのだ。
 本来ならパウラに任せるのが最も望ましいが…今回パウラには重要な別件を預けてある。
 これ以上任務を増やしては第一優先任務にも支障をきたすだろう」
「でも…何もあたしじゃなくたっていいじゃない」


今まで『嫌』の一言で断固として命令をはね除けていた彼女だったが、
大好きなパウラを掛け合いに出されて僅かに一歩譲る。
だがしかし、彼女もただでは退かなかった。


「マタイを行かせればいいじゃない。
 ああいう頭の軽いのを扱うの得意でしょ、マタイ」
「あれは今、最新鋭空中戦艦の視察とそれの部隊編成へと遠征しているだろう」
「…なら」
「ペテロは来週の頭までVIPの護衛だ」


次々と淀みなくと異端審問官の名を挙げるが、
偉丈夫によって同テンポで端から鮮やかに却下されていく。
先程とはまるで立場が逆転したその押し問答に、
一旦口を噤むと彼女は、本当に控えめながらも僅かに顔を顰めた。
ともすれば新たに展開される沈黙による問答。

しばらくして、果敢にもそれを打ち破ったのはパウラの静かな口調だった。


「…メディチ枢機卿、やはり私が参ります」
「パウラはダメ」
?」
「パウラはここのところ働き詰めだからダメ」


しかしそんなパウラの提案もまたにより却下される。
続けて彼女は淡々と更なる抵抗を紡ぐべく口を開いた。


「マタイなんて呼べばすぐ戻って来るでしょ。
 だいたい二週間なんて任務期間に幅持たせ過ぎなのよ。
 マタイの手腕なら5日で済むような任務じゃない」
「まあ否定はせんがな」
「それにフィリポの補佐なんてするぐらいだったら、
 フィリポに代わってあたし一人で任務こなしてくる」
「…そこまで拒むか」


フィリポがに対し求愛ともいえる執拗なまでの執着行動を見せているということ。
そして「生理的に受け付けない」としてが、
あらゆる手段を尽くしてフィリポを徹底的に回避しているという事実は、
パウラから既に幾度か報告を受けてはいたが。


「でなきゃ教理聖省辞めるから」


よもやここまでとは。


「…仕方あるまい。フィリポの件はマタイに任せよう」
「最初からそうしてよ」
「ただし、マタイにはお前自身から委任を託せ」
「それもそれで嫌だけど…判った」


一向に崩れる気配の無い頑な態度と辞職発言に根負けし、
また本当に控えめながらも拗ねた子供を思わせるその表情と声色に、
結局は折れることにしたメディチ枢機卿。
けれどその言の、マタイという名前に今一度僅かにだが顔を顰めた彼女だったが、
背に腹は変えられぬと踏んだのだろう、
素直に左耳の無線機内臓ピアスをそっと指先で撫でた。


「───聞こえる、マタイ」





そうして。

彼女の『お願い』という言葉に、二つ返事で承諾したマタイに、
居合わせた職員がまたもや顎が外れんばかりの呆気にとられ、
また上司二人が心中盛大に溜め息を吐いたのは言うまでもない。



教理聖省サイド始めました。(冷し中華風に)
いや、ぶっちゃけパウラが好きなもんで書きたかっただけなんですが。(笑)
一応マタイ相手に書いていく予定ですが、
むしろ異端審問官+メディチ枢機卿のほのぼの路線になりそうな予感ムンムンです。