クリティカル
シンキング


「…成る程、確かに異端審問局きっての天才的暗殺者」


"死の淑女"、シスター・パウラの静かなる鉄皮面を、
こうも鮮やかに突き崩した者は未だかって存在しなかった。


「苦無に風車なんて久々に見た。
 …ああ、こっちでは峨嵋刺リングニードル、鴛鴦鉞ムーンブレイドって言うんだっけ」
「───…ッ!」


息を呑む。
半瞬も掛からず全身に緊張が奔る。
得体の知れぬ存在感に、言い表し様の無い感覚が背筋を這った。


「信仰は秩序ルール、この世は神の現実ちからの具現であり一作品、ね…。
 簡潔明快で面白い考え方ではあると思うけど、
 でもそれだと"神"の説明はついても、"主なる神"についての説明はつかないよね」


パウラが振り向いたそこに居たのは、
つい先月、自分の部下とするようメディチ枢機卿より直に託された少女だった。
何故ここに彼女が?
当然に疑問は脳裏を過った。
しかしそれ以上にパウラの四肢を警戒心で凍り付かせたのは。


(───全く気配が感じられなかった…!!)


距離にしてほぼ2m。
特に警戒心も見せない相手に、そこまでの接近を無防備にも許してしまったという事実。
刑の執行を完了していたとはいえ、油断をしていたつもりは微塵も無い。
聴力センサーとて十分に稼働していた。
なのに。


「ねぇ」


足下に気を配りつつ、屍の海を見遣りながら進む彼女の夜色の瞳に一切の揺らぎは無い。
恐怖感も、嫌悪感も、通常人が死体を前にして持つべき沸き立った感情は一欠片も無い。
あるのはただ、普段と全く変わりの無い、無欲で無関心な表情。
全てを見透していながら敢えて全てを見逃しているような、透明な視線。


「どうしてわざわざそんな武器なんて使うの?」


淡々としたその口調。


「見てると、素手での戦闘の方が得意そうだけど」


鴛鴦鉞を握る指先に力が籠る。
何をして見抜いたのか。
それ以前にいつからこの場に居合わせたのか。
不確定要素が多過ぎる今や、彼女が味方であるという肯定認識は薄らと崩れつつある。
ともすれば可及的速やかに次なる対処方法を講じなければならない。


「パウラ、聞いてる?」
「…一体いつから此処に」
「いつって…最初から」
「最初から、ですか?」
「そう。最初から」


判決文朗読の少し前から、と。
まるで今朝起きた時間を聞かれて答えるかのようなその口調は至極淡白で、
全く警戒の色を含んでいなかった。


「"死の淑女"らしくもない。そんなにも動じて」
「───…ならば答えなさい。どうして貴女が此処にいるのです?」
「枢機卿からの命令」
「メディチ枢機卿からの…?」
「そう」


こくりと、小さく頷くその気怠げな所作も、
枢機卿という名を口にする度に憂鬱そうに竦められるその両肩も、
ここ一月、自分の部下として働く一教理聖省職員のそれと何ら変わりはない。

変わり無いからこそ生じる、その恐怖まじりの違和感。


「『お前は上に立つ者だ。
 指揮官として戦略を練る以上確定要素は多いに越したことはない。
 後々のため、今の内に異端審問官の力量をその目で直に確認しておけ』って」


何を訳の判らないことを。
それが彼女でなければ鼻で笑い飛ばして、即その首も共に跳ね飛ばしてやっていただろう。
だが、できなかった。
なぜならそれが彼女であったから。
彼女のその静謐な、夜を塗り込めたような瞳が、
戯れ言の類いを口にしているのではないことを如実に語り、
且つ実に鮮やかにパウラの思考回路へと焼き込んだからだ。


「次はペテロの仕事ぶりを見に行かないと…面倒臭い」


そう愚痴を呟くと彼女はパウラへと背を向けざまにひらひらとその手を振った。
それじゃあまた明日、と。
パウラは慌てた。
何故慌てたのかは自身でも判らなかったが、とにかく慌てた。
不慣れな感情の起伏の連続に、少々動揺していたせいもあるのかもしれない。


「───シスター・、貴女は一体何者なのです?」


そして追い付かない思考にやっとのことでそれだけを口にする。
対して、その僅かに焦りともとれる揺らぎを含んだ声に、
彼女はゆったりと首から上だけで振り返り、肩越しの視線を寄越した。

そして簡潔に答える。


「あたしはあたし。それ以上でも以下でもないよ」


酷く抽象的且つ哲学的な回答であるというのに、パウラは不思議と納得してしまった。
成る程、と。
彼女がそう言うのなら事実そうなのであろう、と。
納得して、気付けば彼女へと向かって伸ばしてなどいた腕を、ゆったりと降ろした。


「勿論、パウラの敵じゃない。
 …まぁ完全な味方とも言い難いけどね」


しかし最後の何処か含みをもった言い回しに、反射的に再び警戒の色を濃くする。
脊椎反射といってもいい。
冷えきった鴛鴦鉞へと再度指を絡めた。
同時にさぁっと波が引くように戻ってくる無機質な表情と口調。
"鉄の淑女"たる異端審問官のそれ。


「でも、あたしパウラのこと好きだし。
 パウラを殺すようなことはしないから」


しかしそんな出来合いの警戒心も次の瞬間にはまたあえなく崩壊させられてしまう。
『好き』という、たったの一つの単語に。
含みの無い、まるで純粋な一言に。

そして冬の夜空を彷佛とさせる、澄んだ夜色の瞳に。


「おやすみなさい」





そう言ってゆったりと踵を返した彼女は。
周囲を満たす深い闇へと後ろ姿を溶かすと同時に、その気配の一切を絶った。

とにかくパウラが書きたかったんで満足です。(笑)

次の日、多少緊張の面持ちで職場へと向かうパウラだったが、
顔を合わせて開口一番「昨日のアレって残業手当出ないのかな…」との彼女の挨拶に、
またもや鮮やかに毒気を抜かれてしまうのでした。