確証バイアス


「あのね、パウラ」
「何ですか?」


今日も今日とて教理聖省は平和だった。
異端審問官の女性陣が、世間話を挟みつつ優雅に紅茶を啜れる程度に。


「この間、マタイに『私の事をどう思っていますか?』って聞かれたの」
「…それはまたいつになく直球ですね」
「私もそう思う」


有能な秘書を思わせる、スチールフレームの眼鏡の端を押し上げてパウラは、
静かな口調に、本当に僅かながらも同情にも似た気配を滲ませそんな感想を零した。
対しては、その当事者であるというのにまるで他人事であるかのような態度で返す。

いつものことながら、彼女は自身を含めた物事大概に関して本当に無関心、淡白だった。
ある意味徹底的に客観・傍観に徹していると言ってもいい。
それも全て、彼女のその並外れた無欲性から生じるものなのであろうが、
下手をすれば天然とも捉えられかねないその性質を、
マタイなどは酷く気に入っているようだった。
それが好奇心の一対象としてなのか、はたまた恋愛としてのそれなのか。
現段階では、その判断はパウラにはいまいち尽きかねたが。


「それで、何と答えたのです?」


ただ、彼女の一挙一動にマタイが面白いように揺さぶられ、
時に本気で気落ちしていたりなどするのだから、
あながち誤り穿った深読みでもないのであろうと。
そんな考察を加えつつ、パウラは静かな口調で話の先を促した。


「『好きじゃないことは確か。
 また好きと嫌いは相背反する命題である。
 ともすれば結論的帰着としておそらく嫌い?』って答えた」
「………貴女も負けず劣らずの正直さ、いえ率直さですね」
「うん。マタイにもまるで同じ事言われた」


"死の淑女"として異端者だけでなく身内からも恐れられるパウラに、
非常に控えめながらも呆れた声色なんて代物をこしらえさせることができるのは、
おそらくこの世で唯一彼女一人だろう。
その彼女といえば、やはりマタイから貰ったというお茶請けのクッキーの一つを、
特に美味しそうにでもなく、淡々とした所作で口へと運ぶ。

それを眺めつつパウラは心中小さく溜め息を吐いた。


「では
 『好きじゃない』から逆説直結的に『嫌い』というのではなく、
 むしろ評価値加算差的に『好きではないが嫌いでもない』という、
 許容としての中間境界域は存在しないのですか?」


何故自分がブラザー・マタイへのフォローまがいな言など紡いでいるのかと。


「…成る程。そういう考え方もあるのね」


すると彼女はふむと利き手を口元へと当て、その視線を何処か宙へと向けた。


「優しいね、パウラは」
「ブラザー・マタイを気づかったつもりは皆無といっていいほどありませんが」
「そう? 私はパウラのそういうところも好きだけど」


穏やかな、けれど夜の森を思わせる深沈としたパウラのその美貌に、
一瞬だが柔らかな熱が、照れにも似た気配が射したことに、
常から全てを見透し且つ敢えて見逃している節のある彼女は気付いただろうか。


「パウラのことは好き。
 ペテロも面白いから好き。
 でもフィリポは嫌い。生理的に受け付けない」
「ではメディチ枢機卿は?」
「上司に好きも嫌いもない」
「………」


そこに関しては敢えて沈黙を返答としたパウラに、
彼女はさして気に止めた様子も無く話し続ける。


「勿論、メディチ枢機卿も嫌いじゃないけどね」


彼女は思考することをとても好む。
物欲は皆無といって憚り無い程に乏しいが、その分知識欲に関しては非常に旺盛だった。
特に自身には決して持ち得ない無い、"他人の視点"というものには目がなく、
時に幼子のように何故?どうして?と純粋に問いを畳み掛けてくるサユリに、
ペテロが困ったように狼狽し、メディチ枢機卿が盛大な溜め息を吐き、
マタイが下心満載であらぬことを吹き込もうとしたり、
もっとも後者は排除しつつも、パウラそれらに苦笑を噛み殺すこともしばしばだった。


「でもマタイは同族嫌悪」


と、回想もどきの思考に浸りかけて思わず顔を顰める。
『同族嫌悪』。
彼女はマタイと自分が同族であると言う。
はっきり言って二人が同族足り得る共通項がまず思い付かない。
しかしそんなパウラの疑問などその穏やかな鉄扉面からでもお見通しなのか、
でなければ最初から補足として用意してあったのか彼女は、至極淡白に言い捨てる。


「戦術思考が卑怯・卑劣、手段を問わないところが同族」


まるで他人事のように、淡々と。


「…そうは思えませんが」
「そう? やっぱりパウラは優しいよ…ありがとう」


が小さく微笑った。
僅かにだが柔らかな色合いの光を灯した夜色の瞳。
しかし滅多にお目に掛かれないそれは、
次なる台詞と共に、すぐに普段の低い温度を取り戻した。


「確かに、信仰心の点では違う。
 神や奇蹟への信仰心ゼロのあたしと違って、
 マタイもやり方が手段を問わな過ぎるとはいえ、
 アレはアレできちんと神への信仰の元にやってるわけだし。
 それに…まぁこれは立場の違いもあるんだろうけど、
 あたしは究極的に必要に迫られなければ行動以前に思考すらしないしね」


そう、彼女は異端審問官の中でも殊更特殊な立場にある。
メディチ枢機卿により必要であると判断されまた要請され、且つ彼女が承諾を成せば、
教理聖省長官に次ぐ強権を与えられ、自分達の上へと立つことがあるのだ。
その回数はいまだ片手で容易に数え足りるものだが、
自分の知る限りにおいても、いくつもの戦役を経験している。


「でも卑怯・卑劣な戦術手段を思い付く思考の決定方略はマタイとほぼ同じだし、
 その出来だったら経験と熟練の差で断然あたしの方が上だよ」


『損害を150%までお許し頂ければ御期待の3倍以上の結果をお持ちしますが』と、
言ってそれを現実にした彼女は事実、冷酷無比の指揮官として、
一部の上層部からは畏怖と共に危険視すらされているのだ。

けれど。


「ですが貴女の行動原理は『不自由を常とすれば不足無し』でしょう。
 常に物事は必要最低限であることを良しとし、
 面倒事・争い事そしてフル活動は全力で避けて通る、違いますか?」
「…それはそう、だけど」
「なら貴女とブラザー・マタイはやはり、同族などではありませんよ」


自らの性質を最も理解把握し、そして誰よりも危険視しているのは彼女自身であるから。


「そう、かな」
「そうですよ」


彼女が、平穏という状態を何よりも愛していることは知っているから。





「…ありがとう、パウラ」





ふわり、と。

本当に小さくでも、ほどくように微笑うその笑顔を自分達は、
『見守りたい』などと神の代行者にそぐわぬ想いを抱いてしまうのだ。



なんかパウラばっかですね。←他人事か
本当好きなんスよパウラ…!むしろ大本命(笑)

しかし枢機卿+異端審問官どもはヒロインにはかたなしですな。