マルチ
プルアウト


今日も今日とてやはり、教理聖省は平和だった。


「ペテロって面白いよね」
「むう!?」


教理聖省本庁舎の廊下を連れ立って歩くのは、
生真面目を絵に描いて額縁に嵌め込んだような青年と、
気まぐれな猫を思わす夜色の瞳が酷く印象的な少女。
あらゆる意味合いで壮絶に違和感を醸し出す異色の凹凸コンビ二人は、
たとえその会話から想像がつかずとも、立派な教皇庁異端審問局局長と一異端審問官だった。


「…もしかして自覚無い?」
「自覚が無いも何も、某は面白くなどない!」
「要するに無自覚ってことね…」
「な、何を申すか! 自覚の有無以前の問題だと某は言っておるのだ!」
「人はそれを無自覚って言うの」
「〜〜〜断じて違うッ!!」


錆びた鉄を思わせる重低音が大理石の床に反響し、轟々たる反響音を伴って響き渡る。
腹の底から押し出されたそのがなり声は数秒で、
穏やかな昼の陽射し差し込む教理聖省の廊下に死屍累々の山を築いた。
いうなれば騒音公害。
まさにそれだろう。
しかし音害発生源すぐ隣の少女はといえば、両手でもってばっちり鼓膜をガード。
巻き添えを喰ってそこかしこでのたうち回る不運にして憐れな一般職員達を横目に、
無事、事無きを得ていた。


「貴様、某を愚弄しているのかッ!?」
「? まさか。あたしパウラと同じぐらいペテロのこと好きなのに」
「む、むぅ…っ」


もしかして馬鹿にしてるようになんて聞こえた?と。
何の含みも嘘偽りもない、至極淡々とした表情と声色でもって、
そんなことを正面きって尋ねてくるにペテロは思いっきり口籠る。
ともすれば、その無駄に真っ直ぐな性分のせいか、
向けられる静かな瞳から視線を逸らすこともできず、
かといって下手に論駁することも、逆ギレすることもできない彼は二の句も告げず、
ただただ困り果てたように八の字にその眉根を寄せて、時折不明瞭な音声で唸るだけだった。


「局長、


そんなペテロにとって助け舟とでもいえる光明を射し寄越したのは、
背後からかけられた、図書館司書を思わせる女性の穏やかな声色だった。


「あ、パウラ」
「おおシスター・パウラ! 良いところに。先程からこやつが…」
「局長、枢機卿がお呼びです」
「む」


しかし、味方を得たりと思ったのも束の間。
援護を募ろうと言を紡げば、事務的な口調にさらりと流されてしまう。
それが故意によるものであることに彼自身が気付いているかいないかは別として、
『枢機卿』という単語に『聖務』という自身の使命を見い出すとペテロは、
先程までのたじたじに弱り切った佇まいをさっと整え、
異端審問官局長としての鋭いそれへと表情を切り替えた。


「枢機卿の招致とあれば致し方あるまい。
 しかしよ、この決着は然る後正々堂々とつけようぞ!」


そして謹直な動作でもってフィレンツェ公の執務室の方角へと体の向きを変えると、
そのまま大股に颯爽と、というよりは突進まがいにずんずんと、
戦場へとでも赴くような足並みでその場を後にした。

対して、捨て台詞と共にその場へと残されたは。
えらい勢いで小さくなっていくその大きな背中へとことりと小首を傾げて。


「………何の決着?」


不思議そうに、小さくそう呟いた。


「パウラは判る?」
「私に聞かないで下さい…」


一方、疑問符を浮かべる、普段よりも幾分幼さを垣間見せるその顔を向けられたパウラは、
騒音公害が去って、周囲から湧いてくる安堵の息遣いを耳に入れつつ、
呆れの溜め息混じりにも力無く眼鏡のブリッジを押し上げた。


、局長をからかうのもほどほどにしておきなさい。
 でないと周囲は不用意にも甚大な被害を被らなければなりません」
「今のは別段からかってるつもりはなかったんだけど…判った」


『今の"は"』というのは、普段のそれはやはり意識してやっていたのか、と。
内心思いながらも口には一切出さずに、
代わりに新たな任務を枢機卿より仰せつかっていると彼女に告げて、
その説明と資料を渡すから自分の執務室へと一緒に来るようにと促す。
するとは素直に頷いて、ペテロとは逆方向に一歩踏み出したパウラの後へと続いた。


「ペテロ、何で怒ったんだろう。
 "面白い"って良いことだと思うんだけど…」
「人によりきでしょう。
 局長のように"面白い"という単語に"侮られている"との感を捉えて、
 抵抗を感じる者も多くありますから」
「ふぅん…そんなものなんだ」


彼女の中の『面白い』の第一義はおそらく、
辞書の編纂通りに『興味深い、心にかなった好ましいもの』であるのだろう。
一般人をしても、その認識にさしたる隔たりはないはずだ。
けれど『面白い』という言葉にはまた『滑稽な、風変わりな』という意味もある。
ペテロとしては彼女の言動からそちらのニュアンスを捉えて、反論を試みたのだろう。


「…でも」
?」


この小さな、けれど底深き哲学者に。





「他人に興味を持たれるなんてとても凄いことだと思うのに」





ふと振り返り、ペテロの去った後を見つめそう呟く彼女のその頭を、
穏やかに眼差しを和ませるとパウラは、丁寧な手つきでもって優しく撫でてやった。



ペテロ初登場。
でもオイシイところはやはりパウラがもってくという。(笑)
ちなみに二人が連れ立って歩いていたのは、一緒に昼ご飯を食べに出た帰りだったからです。
下心皆無です、二人とも。
なのにこの後ペテロはマタイに笑顔で問いつめられたりなかったり。(オイ)

というか平和過ぎるだろ教理聖省とのツッコミは是非無しの方向で…!