銀の心音


おそらくマーグリスやら何やらのお偉方との通信か何かなのだろう。
監視としてキルシュヴァッサーを置いて、アルベドはこの薄ら寒い部屋を出て行った。
部屋のガラス越しに、最奥部へと続く中央エレベーターが見える。

そう、ここはネピリムの歌声。
予定外にも、モモと共にアルベドに連れ去られて来たのだ。


「おいで」


こうなってしまった以上、今何をしたところで劇的に展開が開けるわけでもない。
手近にあった椅子を引き寄せて、腰掛ける。
そして「此処で見張っていろ」とのアルベドの言葉を文字通りにも忠実に守り、
扉の前に佇んだまま全く動く気配を見せないキルシュヴァッサーへと声を掛けた。


「………」
「意図が知れなくて、恐い?」
「…いいえ」
「そう。大丈夫よ、取って食おうってわけじゃないから」


おいでおいで、と。
手をはたはたと上下に振って招き寄せる。
するとキルシュヴァッサーは特に警戒心を露にすることもなく、
不思議そうにことりと小首を傾げた。
彼女達は人を疑うことを知らない。
人を疑う術を持たない、否、与えられなかったのだ。
彼女達は実験体。
百式観測器の試験品。
限定100体製造の消耗品に、搭載されなかった機能は多い。

とにもかくにも、そのぽやんとした愛らしい仕草に、
モモに負けず劣らず可愛いなぁ、なんて。
緊張感の欠片も無いことこの上ないが、内心思いっきりにやけてしまった。


「ほら、おいで」


軽く腕を広げて見せれば、
不思議そうにも、とてとてとこちらへと歩み寄ってきたキルシュヴァッサー。
次いでぽんぽんと自分の両膝を叩いて見せる。
するとやはり控えめながらも頭上へと一つ疑問符を浮かべ、行動を停止してしまった。
「これも学習。膝の上に座ってごらん」。
判り易く指示を告げる。
さもすれば彼女は、判らないままにも辿々しい仕草でもって、
この膝の上にちょこんと浅く腰掛けた。
その一連の過程にすっかりご満悦になった私は、「よくできました」と、
よしよしと幼子をあやすような手付きでもってその銀髪を撫でてやる。
そうして驚かせないようにと細心の注意を払いながら膝の上の小さな身体を抱え上げ、
丁寧に、横抱きになる形に座り直させた。


「さて、と…」


ふわりと包み込むように柔らかく抱き締める。
突然の脈絡も事象の因果関係も見いだせない私の行動に、
キルシュヴァッサーは、虚を突かれたように目を丸くして見上げてきた。


「私は。貴女は?」
「………」
「私じゃ、名前を教えては貰えない?」
「…NO,0099」
「それはシリアルナンバー。名前じゃないでしょ」
「キルシュ、ヴァッサー…」
「そう。キルシュヴァッサー、可愛い名前ね」


笑ってみせれば、華奢な両肩に籠っていた余分な力がふっとほどけた。


「ねぇ、キルシュヴァッサーは自分の事をどう考えてる?」
「…?」
「アルベドの言う通り、自分は"偽物"だと思う?」
「!」


見上げてくる大きな琥珀色の瞳が、自分の顔を映す。

アルベドはキルシュヴァッサーのことを『偽物』と呼ぶ。
百式観測器であるモモを【可愛い桃】【罪人】ペシェと呼び、
『【偽りの百式】キルシュヴァッサーにはもう飽きた』、と。


「貴女は偽物なんかじゃないわ。
 貴女はキルシュヴァッサーであって、モモの"偽物"なんかじゃない」
「でも…」
「貴女は貴女、ヨキアム・ミズラヒにより製造された百式レアリエン」


首筋から覗く、NO,0099の数字。
アルベドのようにモモを糾弾するつもりは毛頭無いけれど、
『モモの妹』などとはよく言ったものだと思う。

キルシュヴァッサー。
百式観測器・プロトタイプであるモモのデータ収集を目的として、
ミキアム・ミズラヒによって製造されたレアリエンのサンプル体。
その存在意義は、唯一モモを完全体へと近付けること。
そのためだけに実験体はとして消費された彼女達。
悲しみを憎しみに変える術を知らない、純粋無垢な存在。
だからこそ、彼女達の中にはモモになりたいとのひたすらな切望がある。

けれど。


「モモにならなくてもいいの」


そう、モモになる必要なんて、
モモでならなければならない理由なんて、無い。


「モモがモモであるように。
 貴女は貴女でいいのよ、キルシュヴァッサー」


モモがモモであるように。
モモがモモとして笑い、泣いて、生きるように。


「貴女は貴女のままに泣いて、そして笑ってごらん」


存在意義なんて、そんなものは生まれたその時までのもの。
存在意義を、生まれた理由を、
受け入れ生きていくかどうかを決めるのは、今を生きる彼女自身。


「自分を偽物だなんて思わないで。
 自分を嫌いになったりしないで」


そう、キルシュヴァッサー自身。





「私は貴女のことが大好きよ、キルシュヴァッサー」





だからほら、笑って。
言って頬を撫でてやれば、涙で頬を濡らしたキルシュヴァッサーは。





「───…私も貴女が好きです」





その琥珀色の瞳に柔らかな光を灯して、小さく笑った。










「くっくっく…美しい涙だな。
 他者を想う涙、この世で最も尊い液体だ」


まるで心の籠らない薄い拍手を寄越して、音も無く姿を現したアルベド。
その顔にはやはり赤ら様にも皮肉った嘲笑。
キルシュヴァッサーの肩が小さく、震えた。


「さぁ行こうぜ、


どうやら御指名を受けたのは私らしい。
楽しげに口元を歪めるアルベド。
これから自分の身に降り掛かるであろう事態は、何となくだが予想がつく。
痛いのも血にまみれるのもできるとこなら御免蒙りたいのだが。
仕方無いか。
気味が悪いぐらい冷静な自分の傍観部分に呆れながら、
キルシュヴァッサーをそっと膝から降ろす。
そして鼻で溜め息を一つ、ゆったりと重い腰をあげた。


「…っ」
「大丈夫よ」


白衣の袖を掴み、見上げてくるキルシュヴァッサー。
彼女は自分の姉妹達の最期を見知っている。
涙の滲んだ双瞳にはしっかりと不安と悲壮な色が揺らいでいた。


「これを」


その細い腕に、着ていた白衣を脱ぎ、手渡す。


「預かってて貰える?」


震える小さな手に、託す。


「こんな白衣でも結構貴重なアンティークだったりしてね。
 汚すの、嫌なのよ。
 後で取りに来るつもりだから…お願いできる?」


そして、微笑う。





「でも、もし私が戻って来るより先に赤い髪の男の子が来たら…彼に渡して?」



連載第2話にしてキルシュヴァッサー夢。
………好きなもんは好きなんだからしょうがないよネ! あはは!(ヤケ)